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ガクアジサイと未来

Trust Me

 実家にガクアジサイがあった。母の好みだ。私はガクアジサイよりもまん丸になるアジサイが好きだ。先日、近所の放置されながらも立派に育っているガクアジサイが目に止まった。

ガクアジサイ

 目立つ装飾花がまだ咲かずに、真の花と蕾が美しい色合いを放っていた。まさに〈木を見て森を見ず〉の対極ではあるが、スマホのマクロと手ブレの限界に挑むような小花は美しかった。
真の花(しんのはな)とは正にインナーチャイルドのようである。大きく育ったガクアジサイの存在感の一部分となっていながら、表立って主張することなく、しかし生涯の一部分を担っている。
 インナーチャイルドを癒やすと言うと、正直何をしてあげればいいのかわからなくなる。しかし何もせずに、まずそのまま信じてあげようと思った。
Trust Meは自分に言う言葉だった。何よりも信じて貰っていなかったから今の私があるのだから、そのまま丸っと信じてみよう。真の花の美しさは繊細さもあるだろう。きっと真の私も壊れないように抱え込んでいる繊細さは、もろく儚く美しい部分だろう。

 息子が高校生の頃、先生から連絡が来た。サボって学校に来ていないと言う。帰宅する息子を待ち構えながら、どう話すかをずっと考えていた。バレているだろう事も十分に承知している息子は遅くまで帰宅しなかった。

理論的に話すことを大事だと思っていた私は、まずサボった事実の立証の必要性を感じ、先生の証言だけでいいのかと..…

 いろいろ考えた挙げ句に全ての考えを捨てた。まず私が〈正直になろう〉と切り替えた。

「私は君の親だから、君が嘘をつこうがつかまいが関係なく信じるべきだと思うし、最後まで信じるのが親だと思う。だから君は何回私を裏切っても嘘ついてもいい。だけど、他人を裏切ったり嘘ついたりはしてはいけない。他人は親じゃないんだから」
「不満があるならそのまま言ってくれなきゃわからない。親は本人じゃないんだし、親がなんでもわかってくれる程君はもう小さくないし、複雑な思考ができる年齢だから」
「親や周囲に不平不満が持てるという事は、精神的には自立してきているということだと思う。しかし、君はまだ未成年なんだから自分の責任を金銭的に解決することができない。だから、その部分は親を利用するしかない。対価としてルールに従う。しかし不満があれば言葉で伝えなければならない。
たぶん、肉体的、精神的、金銭的に成熟すれば大人だと思う」

と、伝えた。そこまで話すとアホらしくなったのか、息子はポケットから刃物を出して机に置き、自室に戻って行った。息子の反抗期は1日で終わった。戦いの歴史のような反抗期を持つ自分とのギャップに驚いている。

ガクアジサイ

 母が好んでいたモノを自分が好きになる事に葛藤がある。これも呪いのようなものだろう。徹底的に排除しなければならないような気になってしまう。しかし、自分に素直になる事を優先させれば超えられる壁であった。
 母が好きかどうかより自分が好きだという感情のほうがずっと大事なんだと認めていいんだ。そんな当たり前なんだろう気持ちに気がつくと新鮮な感動がある。

 死別してから季節の移ろい、花の季節の華やかさを感じるのが嫌でクロスステッチをして過ごした。彼の残したレジンを使いたくてレジンも始めてみた。どちらも「一生続けられるか」などという大袈裟なモノではない。ただ自分の気持ちに従って始めてみて、〈一生続けられるのか〉という呪いを跳ね除けていた事に気がついた。思っていたよりも知らずに乗り越えたモノがあるのかも知れない。ソレに気づかせてくれたガクアジサイは毎年未来の私に勇気をくれる花になるだろう。

 

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