見出し画像

墓守の女/仏壇守の女

絶縁

 彼を失い帰郷した私に母から連絡が来た。箇条書きすれば

  • あの子大丈夫かな(後追いされたら困る)

  • 再就職させなければならない(金銭援助はできない)

 あの子とは私だ。後追いの心配と金銭的な心配だ。それは世間体の心配事だろう。基本的に母は〈話し合う〉という発想が無い人なのだろう。話し合うとか歩み寄るという事は、自分の意見を曲げる=負けと思っているのかも知れない。

 息子が小さい頃に元旦那とチラシを見ながら安い旅行の話をしていたら、母に「その日はダメだ。兄の結婚式じゃないの」と止められた。妹は知らないうちに遠方に嫁いでいたし、しかもその時は妹は実家住まいで、私は実家で家業を手伝っていた時期だった。実父が亡くなった時は相続の書類が代理人から郵送されてきて押印し返送して終わった。その後、実家は大半が取り壊されて貸駐車場となった。追い出されるように実家を離れたので残された私の荷物は消えた。

 実父の三回忌の席上で強制参加させられた彼の前で母は「○○(私)に戻って来て旧姓に改名して欲しい」と喪主の挨拶で言った。墓守と仏壇守のためにだ。あまりに一方的で突然の言い分に私の目は怒りに燃えたのだが、私以上に慌てた隣席の親友が私と彼を交互に見ながら手で抑えてくれた。彼が吹き出したのはたぶんわざとだ。

 連絡が来たときに母に「あの話は許せない。彼が亡くなった以上、アナタ(母)はもう彼に謝る事さえできないんだから、もう連絡してこないで」と言ったら「そんな事を言うはず無いじゃない。あなた達が協力しあって幸せにやっている事を知っているのに」と言い放った。そこで電話をガチャ切りして絶縁は完了した。

ダメ押し

 短大を卒業した年の夏に実家を離れた。「親の言うことを聞けないのなら出ていけ」という言葉に従ったまでた。2年後に一ヶ月ほど入院した事があったのだが、動けず病院まで送って欲しいと連絡するまで音沙汰なし。もちろん入院中も。さらに2年後に結婚のやりとりするまでも音沙汰なし。

そんな環境だったにも関わらず、跡継ぎの長男と絶縁してしまったので急遽代役として白羽の矢が立ったのである。電話は絶縁のダメ押しになった。〈お前の幸せより墓守/仏壇守が大事〉と認識しているとわかった。

呪縛

 それでもなお気にしてしまう自分から逃れられない。
母が高齢(87)であること。彼実家で墓仕舞いをした翌年に彼が亡くなったこと。私自身が墓守/仏壇守をしなくてはならないという呪縛がそこにはある。

 高齢であることは、私よりも母が気にしている事だろう。それなのに何も連絡してこないでいられるのは例のごとく代理人に後始末を一任したのだろう。だったら、私はその日が来るまで放置していいのかも知れない。
 全くの余談になるのだが、話し合うべき相手がソコに存在しているのに、すべて棚上げして遺言というびっくり箱に託してしまえる法律は一体何なのだろう?あまりに一方的であり、死人に口なし、逃げ得...。まぁ、それがまかり通る法治国家に自分が居るという選択をしているのだけれども。

 もう1つ、というか墓守以前に、母との関係をこのままにしていいのか考えてしまう。彼は突然亡くなってしまったし、コロナもありお別れができなかった。伝えられなかった気持ちは宙に浮かんでいつまでもそこに留まってしまっている。「ありがとう」「愛している」もはや、誰に言っているのかわからないほどつぶやいている。

 もちろん、母に対して「ありがとう」「愛している」は毛頭ない。この年になっても未だに〈両親を尊敬している〉という気持ちを理解できないでいる。しかしながら、母と和解しなければならないという命題のようなものも感じてしまう。

 父とは和解しているのか自分でも判らない。故人であるし、そもそも子育てに関わらなかったので傷つけられてはいない。最後の大喧嘩で私に謝ってくれているし、父を亡くしてもグリーフケアとは無縁だった。

 書きながら考えているのだけれど、わからなくなってくる。私はこれ以上兄と揉め事を繰り返したくない。自分ではもう放置しておきたいと答えが出ているのかも知れない。ただ、納得できない未来を鵜呑みにするのが嫌なだけかも知れない。

とりあえずぐるぐる思考からはまだ抜け出せていないなと確認できた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?