負け続けた父の日の贈り物
私は小学生の頃から男に貢いでた。
なんて言うととても大げさだし、なんだか違うような気もする。
ことのはじまりは、刺繍のハンカチ。
小学生の頃、授業で習った刺繍に心を奪われていた。時間があるといろんな布に刺繍をしていた。もうすぐ父の日だし、刺繍のハンカチをプレゼントしようとひらめいた。
お小遣いでガーゼのハンカチを買い、青色の刺繍糸で、バラの花を小さな布の上に咲かせた。
丁寧に包装紙で包み父の日に
「お父さんありがとう」
と、ごつごつとした父の手にプレゼントを押しつけた。
父は何も言わず、包装紙をおもむろにびりびりと破ると
「ハンカチか? 俺は使わねーなぁ」
ゴミを放るように、ひょいっとテーブルに投げた。
「ありがとう。嬉しいよ」
父が喜んで、笑顔で私に言ってくれる。思い描いていたそんな映像は、百トンハンマーでぺちゃんこにされた。
その日を境にして、毎年父の日が近づくと、そわそわして落ち着かない気分に襲われるようになった。
だからといって、父の日や父の誕生日にプレゼントを渡さない選択肢はない。
父は、自分が主役になれるイベントにプレゼントがないと、機嫌が悪くなるからだ。
私は毎年懲りずに戦った。
ネクタイを買ったときは
「こんな色つかわねぇな」
父はブランド物が好きだったから、バイトをしてためたお金で、高いポロシャツを買った。
「このボタンがいやだ」
それならTシャツはどうだ。
「布が暑苦しい」
お酒は?
「俺はこんな酒は飲まない」
刺繍のハンカチ事件の日から、できるだけ父を観察するようになった。
色は、濃いグリーンと黒が好き。
襟にボタンがあるシャツが好き。
ジーンズばかり履いている。
イベントに出かけるときは、スーツを着てビシッとお洒落をして行く。
父の事をわかってきたと思っていたのに、毎年、観察結果は成果に反映されなかった。
父が何を好きなのかさっぱりわからなかった。
夏休みの宿題でだされた、朝顔の観察に似ている。
毎日のように朝顔を観察しても、朝顔の気持ちがわからないのと同じだった。
父は、私に観察されていることに、まったく気がついていなかった。
あまりにも一方的な観察だった。
相変わらず、父の日が近づくとそわそわしていた。
むきになって、父の日のプレゼントを探した。
倒されても立ち上がり、たった一人で戦いを挑む戦士のような気分だった。
そもそも父は家にあまりいない。
家にいるときはいつも、ぶすっとしながら酒を飲み、しばらくテレビを見ると、早々に自分の部屋にこもってしまう。
たまに、ほんとうにたまに機嫌がよくて面白いときがある。
そしてちょいちょい怪獣のように暴れる。
料理は好きだが、作った後の片付けはしない。
お客さんが遊びに来たときだけは、人が変わったようにご機嫌になる。
酒が入ると陽気になり、喋りが止まらなくなる。たとえ次の日が期末テストでも、夜中まで父の話を聞かなくてはならない。
それが、私と父の付き合い方だった。
私が結婚してからは、夫と二人で父の日のプレゼントを探すようになった。
数年経ったとき
「お父さんさ、プレゼントした服着たとこ見ないね」
夫に痛いとこをつかれた。
「あぁ~、実はね……」
今までのことを夫に話しているうちに、思い出した。
「そう言えば、一度ヘンテコな靴下を買ったんだ。『ぱぱぁ』って書いてあって、眼鏡のおじさんの絵がついた靴下。今考えても、どうして買ったのかわからないんだよね。何をあげても使わないからって、やけになっていたのかも。それなのに、その靴下はやけに気に入っていて、よく履いていたよ」
あれは、まだ小学生だったか、それとも中学生になっていたのか。
とにかく悩んで悩んで迷走した結果だろう「ぱぱぁ」の靴下。
それを父に渡すと
「なんだこれ? おもしれぇなぁ」
笑って履いたのだ。
仕事にも、休日のお出かけにも「ぱぱぁ」靴下は大活躍だった。
どうして今まで忘れていたんだろう。
全敗ではなかった。
ヘンテコな靴下で、私は父に一勝していたのだ。
少しだけ勝利に浸った。
ほんの少しだけ。
そのほんの少しの勝利感を味わって、私は変わった。
「父の日、何が欲しいか言ってよ」
「おう」
何が欲しいのか、直接聞くようになった。
やたら高い靴を頼まれたり
「店にいっしょに行ってくれ」とブランドの店に連れて行かれたり
財布の中身が心配なときもあった。
欲しい物をプレゼントしたのにそれらも結局ほとんど身につけることはなかった。
私があれこれとプレゼントをしても、私の誕生日や、こどもの日に、父からプレゼントをもらったことはない。
「おまえいくつになっただ? 中2か?」
高校三年生の時、父に言われた。
どうやら父は私に興味がないらしい。
それでも私は、父の日にプレゼントを渡し、誕生日にはケーキを買っていた。
父はよく暴れたし、わけのわからない時が多かったけれど、たまに優しい時もあった。好きとか嫌いとかの感情ではなく『私のお父さん』という存在だった。
今はもう、父の日にそわそわする必要はない。
自分でさっさとこの世を去ったから。
実家へ遺品の整理に行き、父の部屋の古いタンスを開けた。
上から二段目の引き出しには、私が負け続けた父の日の贈り物がぎっしりと並んでいた。まるで敗戦のトロフィーが飾られているように。
小学校のとき渡したガーゼのハンカチを手にして、青いバラの刺繍を確認するように撫でた。
「お父さん喜んでくれるかな」
幼い私の声が聞こえたように感じた。
毛玉だらけになった『ぱぱぁ』の靴下も「ひさしぶり!」っと私の事を見上げていた。
「あぁ、もう全然着ないし使わないのに『捨てるなよ』って言っててさ、本当にタンスの肥やしだったよ」
母があきれたように言って部屋を出て行った。
「どうしたの?」
夫と娘の声が重なった。
「これ、私が父の日にプレゼントしたやつ。使ってない物ばかりタンスにぎっしり。全部捨てなくちゃね」
ハンカチを見せると
「これ、刺繍のハンカチじゃん。母ちゃんが作ったの?」
娘がハンカチを手に取った。
「きっと嬉しくて使えなかったんじゃないのかな? オレも嬉しくて使うのもったいないって思うから」
「そんなことはないよ。そんな人じゃないよ」
夫の言葉を遮り、娘からハンカチを奪うとゴミ袋に捨てた。引き出しからポロシャツも靴下も全て取り出し、全部捨てた。引き出しが空になって、スッキリした。心もスッキリした。
「これ落ちてる」
娘が拾って渡してくれたのは、私が書いた父への手紙だった。
「お父さんいつもありがとう」
便箋にびっしりと父への感謝の言葉が書いてあった。
何度も何度も
「お父さんいつもありがとう」と。
私を見て欲しいと言葉にはしていないが、そんな気持ちが文字からあふれ出ていた。書いたことも忘れていたその手紙も、ゴミ箱へ捨てた。
私と父の間には、感動する話しやハチミツのような甘い話しは存在しない。
それが私と父の物語。
父が何を思っていたのかなんて知らなくていい。
もう知ることもできない。
それなのに父の日になると、必要ないはずの、あのそわそわした感覚を思い出す。
もうプレゼントもいらないのに。
少しだけ寂しいような奇妙な感覚が、私の中に残っている。
目の前からいなくなった今も、父はまだ私に勝ち続けている気がした。
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