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「ボクの宝物」 短編小説

「これ、落ちてましたよ」

「ありがとう」

 事故現場で見つけたものを渡すと、困り顔でベッドの横に立っていた男性の表情が、ほわっと緩む。男性から柔らかな波紋が広がる。それはとても心地の良い波紋だ。吹き荒れる木枯らしの中で見つけた、日だまりのような感じだ。

 この心地良さといったら、何物にも代えられない。

 だから、本人がどれだけ喜んだとしても、落とし物を本人に返すのは、ボクのワガママだ。そのためにボクが拾うのは、返してもらったことを喜びそうな人のものだけにしている。

 他の仲間からしたら、バカなことをしているって思われているのは、知っている。

 みんなは先生の言いつけ通り、落とし物は先生に届けている。先生に届けた落とし物の数で、成績が決まるからだ。成績が優秀な子は、すぐに上のクラスに上がっていくけど、ボクはずっと同じクラスのまま。

 みんなは何人かでグループになっているけど、ボクはみんなと同じことをしないから、いつもひとり。

 でもボクはそれでもいいと思ってる。

 上のクラスに上がってしまうと、落とし物を直接落とし主に届けることができなくなるから。

 初めてそれを手にしたとき、なんてあたたかく綺麗なんだろうと思った。先生が「とても大切なもの」だって言っていた意味が分かった。しっかり先生に届けないといけないなって思った。

 いくつか拾っているうちに、色がついているものを見つけた。見るだけで、胸が締め付けられるような色。果てのない悲しさと寂しさが伝わってくる。綺麗なのに、見ているだけで切なくなる。

 手にすると、今まで拾ってきた他のものと一緒で、あたたかかった。

「これ、すごく寂しい色だね」 

 手の中のものをそっと包み込んだ。

「はぁ? 何言ってるの? 色なんてどれも一緒じゃん」

「そうだよ。そんなことより、早く次に行こうよ」

「いつまでそうしてるの? かして、届けてくる」

 一緒にいた仲間は、それをボクの手から奪うと先生に届けてしまった。

 みんなはこの色が見えないんだ。もしかしたら、綺麗だってことも知らないのかな? 温かさも分からないのかな?

 後で先生に聞いたら、何を感じるかは、それぞれ違うんだって言われた。

 それからは、時々一人で出かけるようになった。その方が、拾ったものをじっくりと眺めることができたからだ。

 色がついているものは、だんだん増えてきた。増えてきたというより、ボクに色が見えるようになってきたんだと思う。

 それをみつけたとき、内側にたくさんの元気が閉じ込められているように感じた。花が開く前の蕾みたいだった。手にすると、少しだけ動いたような気がした。こんなことは初めてだった。

 その頃には、ボクと一緒に見つけようっていう仲間はいなくなっていた。

 色だけじゃなく、誰が落としたのか、その人がどこにいるのかも分かるようにもなっていたから、話しを分かってくれる仲間は誰もいない。

 これを落とした人は、すぐ隣の建物の中にいる。どんな人なのか興味が出てきた。

 ベッドを囲んで立っている大きな人達の輪の外に、その女の子はいた。

 ボクが近づくと、女の子がボクを見た。

 ボクに気がついている!

 もしかしたら、ボクの仲間なのかもしれない。

 ボクは嬉しくなって、持ってきたものをその子に渡した。

 その子は、それを受け取ると笑顔を輝かせた。同時に、柔らかくあたたかい波紋が周囲に広がった。今まで感じたことのない、心地良い安心と充足がボクの中に満ちていった。

 気がつくと、女の子の姿は消えていた。

『息を吹き返したぞ』

 大きな人達が慌ただしく動き始めた。そのとき、囲んでいたベッドの上に、さっきの女の子の体が、横たわっているのが見えた。

 そのことを先生に伝えたら、ものすごく叱られた。

「それが落ちるのは、実った果実が地に落ちるのと同じこと。次の循環の始まり。それを妨げるのは、自然に反する行いです。次からは、本人へ返すことはせず、必ず届けなさい。とても危険な行為なのですよ。あなたが無事だったのは、単に幸運だったからですよ」

 叱責のあと、それまでに教わった内容を、再び教え込まれた。普通なら、再教育をされた仲間は、先生に従順になるらしい。でもボクは違った。ボクは他の仲間と違うから、当然の結果なのだと思う。

 落ちているそれは、相変わらず綺麗であたたかく、眺めていると、うっとりとした気持ちになってくる。宝物ってこういうもののことなんだと思う。

 だから、拾ったものは先生に届けたけど、それは十分に眺めたあとだった。

 でももしまた、あの時のように他とは違うものを拾ったら、本人に渡してみようという気持ちは、少しもなくならなかった。

 だってあのときの心地よさを、忘れるなんてできないもの。

 先生からすれば、きっとボクは、良くない存在に違いない。いつまで経っても上のクラスに上がれない劣等生で、問題児だから。

 あの日見つけたものは、深い孤独と苦しみの色をしていた。それは、どんな色をしていてもうっとりするほど綺麗で、やっぱり素敵な宝物だった。

 今まで見たことのない色のそれを落とした本人は、すぐ横にいた。穏やかな、優しいまなざしでボクを見つめていた。

 じんわりとあたたかいそれを、その人に返そうとした。

 その人は首を振った。

「どうして?」

「もう疲れてしまったから」

 それが、人と交わした初めての言葉だった。

 背を向けて去ろうとするその人に、ボクはそれをムリヤリ渡した。それを渡せば、またあの時と同じように、心地良い波紋が広がると思ったからだ。

『おい、気がついたぞ』

『良かった』

『救急車はまだか』

 横たわっているその人の周りには、何人もの人がいた。目から水が流れている人もいた。周りの人からは、喜びと自責の波紋が伝わってきた。

 それなのに、その人が発したのは、全てが凍り付くような絶望の波紋だった。先生から叱られたのに、それを守らなかった。前のときはたまたま大丈夫だっただけ。これは、自然に反することをしたボクに与えられた罰だ。

 期待していたのと真逆の波紋は、ボクを打ちのめした。徹底的に。

 孤独はどこまでも果てがなかった。

 苦しみはいつまでも消えなかった。

 絶望が全てを飲み尽くした。

 そう思った。でも、絶望が飲み尽くせないものが、ボクの中にあった。あのとき女の子から広がった心地良い波紋。その欠片がボクの中に残っていた。

 気がついたときには、辺りには誰もいなかった。

 そのあと、先生と仲間の所へどうやって戻ったのか、覚えていない。とにかく、このことは秘密にしようと思った。

 しばらくして、ボクを叱った先生は、このことを知らないまま次の場所へ行った。

 それからずっと、ボクは落とし物を見つけても、拾わずに通り過ぎていた。他の仲間が次々に上のクラスへ行く中、いつまでも残っているボクを心配したのだろう。新しい先生は「タイミングが悪いだけだから、諦めることなく続けましょう」と励ましてくれた。

 長い長いときが過ぎた。それでもボクは、ずっと同じクラスのままだった。

 落とした人は、それを拾えない。どれだけ切望しても拾うことはできない。自らを掻きむしるような思いをしても、それは叶わない。

 目の前で悔しそうな顔をした人を見たとき、ボクは唐突に気がついた。落とした人の気持ちが分かるようになっている!

 その人は、目の前に落ちているものを欲しがっていた。

「まだ生きていたいの?」

「心残りがあるから」

 優しい色をしたそれは、蜂蜜色に光っていた。手に取ると温かさが染みこんできた。ずっとずっと忘れていた懐かしい感触。綺麗なボクの宝物。

「はい、どうぞ」

「え? いいの?」

 ボクが頷くと、その人は笑顔になった。

「ありがとう」

 いつまでも上に上がれないダメなボクは、いっそのこと消えてしまった方がいいと思った。最後のときに、綺麗な宝物に触れることができたし、素敵な笑顔も見られた。

 次の瞬間、ボクを襲ったのは、あらゆるものを引き裂く絶望の波紋ではなく、優しくつつみ込んでくれる心地良い波紋だった。


 それからのボクは、まだ生きていたいって思っている人に、それを渡し続けている。

 やってきては次の場所へ向かう先生達は、成績の上がらないボクを叱ったり心配したりした。魂の循環についても、丁寧に教えてくれた。

 ボクだって、先生や仲間が言うように、魂を次の循環に送り出すことが、とても重要なことは知っている。循環を繰り返すことで、魂は成長する。循環は、魂にとって大切で必要なことだ。

 それに、落とし物であるそれが、魂と肉体を結んでいることも知っている。しかも、それを先生に渡さなければ、魂は次の循環に旅立てないことも。それがないと、新しい肉体と繋がれないからだ。

 それでも、まだ生きたいって思っている人の魂は、もう少しそのままでもいいかなって。急いで成長しなくてもいいんじゃないかなって、ボクは思う。

 最近やってきた新しい先生は、ず~っと前に、同じクラスにいた仲間だった。今もまだここにいるボクのことを見て「お前は相変わらずだな」って言われた。

「お前みたいなヤツが、一人くらいいるのも、世の中面白くなるかもな」

 だって。包容力とか、寛容さを身につけた姿を見て、ちょっとだけ悔しくなった。同じクラスにいたときは、ボクのことをバカにしていたのに。

 だけど、ボクはボクだ。

 それに、あの心地良い波紋のことは、たぶん先生達も知らないと思う。

 だからボクは、今日も落とし物を本人に返す。自分のために。

 素敵で綺麗な、ボクの宝物を。

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