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ジョーカーについて書いてみたら1万字超えた話

僕はジョーカーという存在、もしくは概念というべきだろうか。それを非常に面白いと捉えている節がある。象を見たら大きいと感じることと同じくらい単純な理由で、ダークナイトのヒースレジャーに惚れ込んでいるからに違いない。

そんなジョーカー好きな僕ですが、ようやっとトッド・フィリップス監督の「ジョーカー」を見てきました。正直なところ、ジョーカーだから興味があったわけではなく、話題になっていたから一度は見てみようかなと。
そう言った心持ちで足を運びました。
ジョーカーが好きだからこその主観的な感想を残してみます。
一人の映画好き、ないしジョーカー好きの意見であり、誰かを非難する訳でもないことを先ず記しておきます。

まずは見る前に予習

こういった主観的な感想の文章というものは、結論から書くのも悪くはないのかもしれません。
が、あえて徒然と書いていきます。スコッチでも飲みながら味わうようなnoteになればいいなと思っています。

ということでまずは予習編。なぜ予習をするのかというと、それを味わい深く楽しむためです。下調べせずに旅先で見る銅像と、様々な歴史の背景を知ってから見る銅像はまた一味違った楽しみがあるような、それの類と同じです。

今回は3つの視点で予習してみました。一つ目はジョーカーそのもの、二つ目はトッド・フィリップス監督がどういった作品を生み出してきたのか、最後に主役のホアキン・フェニックスがどういった癖があり、どういう役柄なのかという視点です。

予習 1. ジョーカーという存在

それではまずジョーカーという存在から。
ジョーカーは言わずと知れたDC映画(またはDCコミックス)のアンチヒーロー。
現代において、ジョーカーが知れ渡った代表作となったのは名監督クリストファー・ノーランのダークナイト。(ジャックニコルソン演じるジョーカーが好きな方もおられるかと思います。)バットマン3部作の作品なのにダークナイトだけは異質の作品で、ジョーカーが主役ではないかと思わせられるほどに強烈な印象を与えています。
それは想像を逸する奇行、152分の中に詰め込まれたあらゆる事件、そしてヒース・レジャーが人ではなくジョーカーであること。これほどまでにDC映画をコミックスの延長ではなく、映画として新しい息を吹き込んだ作品は他にないと思っています。奇才のノーラン監督だからこそ描くことが出来た側面であったと思います。
ジョーカーはマフィアを怒らせることもあれば、政府に対して楯突くこともあれば、バットマンに直接勝負を挑むこともあります。それは退屈凌ぎの類かもしれないし、生きがいだったのかもしれない。どちらで捉えることができるのだが、ジョーカーは人を疑い続けた人物でした。

それは二つのシーンから感じられます。一つは口裂けの理由を語るシーン。ジョーカーほどの奇行を行い続ける人物が、あえて父親に口を裂かれたと話します。それは相手を脅かすためかもしれません。ただのプレリュードと捉えることもできます。ただ、二つ目のシーンで船上の人たちがスイッチを押さないことに対して腹を立てます。そんなことはないと怒っていることから、口裂けの話をしたのは恐怖を煽る以上の感情があったのではないかと思います。それらのシーンから、ジョーカーはどこか寂しい思いを持ち合わせており、少しばかり人間臭さを放っています。

そして何よりもヒース・レジャーの役作りが尋常ではないことがダークナイトの魅力でもあります。
ジョーカーになりきる為に、撮影の1ヶ月前からホテルにこもりピエロやジョーカーの研究をし続けたと言われています。そして、生み出したのが口裂けピエロ。異常者だからこその笑い方・話し方・身動きを体得したのはそのホテルにこもったからこそでしょう。
そんなヒース・レジャーはダークナイト公開の半年前にOD(オーバードーズ)で亡くなります。28歳の若さです。その後、アカデミー賞で助演男優賞を得ています。ここまでジョーカーになり切れる人が他にいるでしょうか。僕は金輪際いないと思います。それくらいに素晴らしい役者でした。

さて、少し話が脱線しますが、ダークナイトの話はこれくらいにして、そのダークナイトを少し深掘りしてみます。何と言っても奇才のクリストファー・ノーラン監督の凄まじさ。あらゆる細部に魂を込めており、ダークナイトの病院爆破もその為に建設したと言われています。
ノーラン監督のことを知るのであれば、「メメント」と「インセプション」で十分です。他にいくつも名作がありますが、この2作が非常に素晴らしい出来です。
そして観た後に思うことでしょう。「ノーラン監督は誰かを信じたい欲求が強い人だ」と。善意だろうが悪意だろうが関係ありません、それは結果として現れて行為に過ぎませんから。
メメントとインセプションを堪能しつつ、ダークナイトを味わうのも非常に楽しいものです。そうするとダークナイトがより楽しめます。映画は監督の主観的表現が大いに現れる表現手法です。
だからこそ、ダークナイトを楽しむために、そして理解するためにも、ノーラン作品を見ることをおすすめした。

話は戻り、ジョーカーは捕まった後日談としてスーサイドスクワットに登場します。もうこれが本当に僕には耐え難い作品です。なんてたって、そのジョーカーはファッションでしかないわけです。見た目や背景の映像にこだわり、まるでジョーカーが目立つことが大好きの存在であるかのように。女を連れて車で走っているシーンは見るに耐え難いものです。侮辱しているのではないかと思わされるほどでした。
個人的には観ても何も面白くないので観なくて大丈夫です。ただ、マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインは可愛いですが。。。それよりもノーラン監督を楽しんでください。(ノーラン大好きなのがバレましたね。)

だいぶ長々と書きましたが、ジョーカーという存在は理解できないほどの奇行者でありながらも、わずかながらも人としての寂しさを持ち合わせた存在であることがダークナイトを見ればわかります。もちろん、これは現代の位置付けとされているジョーカーです。もしかしたら今後はダークナイトのジョーカーではなく、「ジョーカー」が時代の基準になるのかもしれません。
ただ、今回の映画「ジョーカー」を楽しむ為に、まずはそこが出発点です。

予習 2. トッド・フィリップス監督作品

では、次にトッド・フィリップス監督の作品について。
トッド・フィリップス監督が「ジョーカー」を撮る、これが何よりも一番面白いところです。
トッド・フィリップス監督といえば、バチェラーパーティでやらかす映画「ハングオーバー!」が有名です。その後に公開した「デューデート」などもイかれた男たちの話で、コメディonコメディ映画です。どう考えてみても、そんな監督がシリアスな作品を撮ることができるのか?と思いませんか?
僕も全くもって同意見です。むしろ心配でしかありません。
まずはその心配を味わう為にハングオーバー!を観て見ることです。3までありますが、3は映画市場駄作トップ3に入るくらいに面白くないので、観ても2までをお勧めします。

ここからが本題です。そんなトッド・フィリップス監督がジョーカーを撮るのに参考にしたのが、巨匠マーティン・スコセッシの「キング・オブ・コメディ」と「タクシードライバー」と言われています。
なるほど、全くそうだ。前者は夢を見るイかれたコメディアンの話、後者は夢などないがとある出会いから大きく人生が変わる異常者の話。ジョーカーにはどちらの要素も盛り込まれています。撮影手法や切り取り方というよりかは、人物やストーリーの側面に影響しているのではないかと思います。

この2作品は予習としてマストです。これらが無ければ、そもそもの概念だったり価値観を知らずに鑑賞するようなものです。韓国料理を食べたことがない人はほぼいないと思いますが、辛い食べ物が有名であると知らずに韓国に行くようなものです。
また、どちらもロバート・デニーロが演じています。もう少し若ければ、ジョーカーの主演はロバート・デニーロでもよかったのではないかなとさえ思ってしまいます。

少し話がそれるように感じるかもしれませんが、トッド・フィリップスはアメリカ国民です。それが何って話ですが、アメリカは元より少しイかれた人の作品が多く残っています。フィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」やカポーティの「ティファニーで朝食を」など。そもそもそういった気がおかしい人の行動が受け入れられやすい文化なのかもしれません。もちろん日本ではないのかと言われればそうでもありません。こころや人間失格といった作品もあります。ただ現代まで続いているかというとそうでもないんです。現在公開中にワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドはマンソンファミリーを題材にしています。日本ではそういったイかれた類の事件は少ないのもありますが、作品になることはほぼありません。JAL123便墜落事故の「沈まぬ太陽」など実話の事件を元にした作品は多くありますが、奇行の作品は受け入れられ難いのでしょう。

予習 3. ホアキン・フェニックスについて

話を戻します。ジョーカーという存在、そして監督の作品に触れてきました。最後に主役のホアキン・フェニックスについて。
僕は彼の作品は「her」や「エヴァの告白」くらいしか観たことがありません。もう少し予習をしておきたかったという気持ちは拭えません。。。
その中でホアキンに対して感じたことは、何にでもなれるということ。いろんなシーンや役柄の中で、得意不得意というよりはそつなくこなすタイプです。逆に言うと、本物のジョーカーになれるのかどうかが心配な部分でもあると言うこと。ヒース・レジャーのジョーカーがあまりに凄まじいものだったので、それなりのジョーカーでは太刀打ちできないのではないかと感じます。ただ、それは払拭されました、理由は後述していきます。
ホアキンの作品をいくつか観て、彼のスタイルを見つけることでジョーカーをより楽しめるのではないかなと思っていますので、ぜひ一度ご覧になってみてください。

ジョーカーという映画

さて、ようやっと「ジョーカー」という映画について。
もうだいぶ読み疲れてきましたよね?もう一杯スコッチのダブルを入れてから読み進めてもらえたらと思います。
読者は既にジョーカーをみているという前提で書いていきます。
なので、ネタバレ的な要素も含みますので、まだ知りたくないという方は一度ご覧になってから読み進めてください。

そもそもこの作品はダークナイトのジョーカーが生まれた背景として描かれたとされています。ただし、監督自らも公言していますが、背景としては描いてはいるもののダークナイトのジョーカーに無理に繋げようとはしていません。ジョーカーは一つの作品として生まれています。
またDCコミックに登場するキャラクターですが、その点も多く意識しているわけではないと公言しています。
なので、予習で色々と書いてきましたが、何かと紐づけて見る映画ではなく、一つの作品として見ることをおすすめします。

ストーリー展開について

では早速、ストーリー展開としてですが、非常によく出来た構成だったなと素直に感じました。アンチヒーローが生まれた個人的な背景や社会情勢がうまいこと描かれています。それは現代に通じる社会情勢でもあるからかもしれません。
ピエロの化粧はそもそも笑いを生業にしたコメディアンを目指していたからという流れは非常に納得がいきます。
もう一つのトゥレット障害という不本意な場面でも笑ってしまう障害も非常に面白い要素です。この要素が全体のストーリーの要であることは誰も疑いの余地はありません。蛇足ですが、やはりここでもダークナイトのジョーカーには繋がることはありません。一度もダークナイトのジョーカーはそのようなそぶりを見せていないですから。

地下鉄で男を3人殺してしまったホアキンは、恐怖を覚えつつも初めて清々しいような表情をします。このシーンがこの映画で最も印象的なシーンではないでしょうか。あの少年たちに怯えていたホアキンが、自らの手で人殺しをした後にあの表情。何を感じているのか。
おそらく自分に気づいたのかもしれません。何かを成し遂げたという自分に。それがたまたま人殺しというものだったわけです。
多くの人はその歳になるまでに、何かしら自分で頑張ったという達成感を感じたことがあるはずです。しかし、彼には今までの人生で一度も味わったことがなかったとしたら、きっとそれは自分でやり遂げた達成感だったのではないでしょうか。その結果の表現が、あのスローなダンス、そしてあの表情であったと、そう思うわけです。

そこから世論が大きく、大きく動き出すことになります。ピエロの表情をした人たちがどんどん増え、殺人も肯定する動きとなってしまいます。日本ではあまり見受けられませんが、世界ではカリスマ的な存在が崇められる節があります。それこそキング牧師といったヒーロー(FBIから漏れた文書で名誉がガタ落ちですが。)だけに限らず、マンソンファミリーなどといった人たちも。それは社会情勢に大きく左右されています。日本は島国なので、移民問題に影響をほとんど受けていませんし、奴隷制度もありませんでした。
これだけ国民としての問題が少ない国は相当珍しいと思います。(もちろん慰安婦問題や拉致問題など、全くないということではありません。)
世論が大きく動いたことで、ホアキンは自身が感じた達成感を大きく膨らましたのかもしれません。そして肯定しつつあったと思います。
自分が初めて世の中から求められていると。

話の流れは変わり、アメリカだからこその家族愛が描かれているのが非常に興味深い点です。だからこそ共感者が多いのかもしれません。その上で、急に同じマンションの女性と関係を持ちます。映画によくあるスパイスとしてはバッチリです。そして何よりも彼女が白人ではないこと。現代の映画では白人が出ている作品ばかりが表彰されていると批難を受けていますが、大きなストーリー展開で彼女が出てきたことはそれなりの意味を持たせているのでしょう。
同時に、社会から溢れた人たちが働く職場や極端に背が小さな男性、これらも少し前に時代ではあまり出てこなかった人たちです。今の時代だからこそフォーカスが当てられ、同時に社会情勢に対してのプロパガンダだと見受けられます。
つまり、現代だからこそ描かれる、描きたいシーンが数多く存在しています。これは今の時代だからこそ刺さるシーンと考えています。もし50年前、ないし50年後ならまた少し違った感じ方をするのではないでしょうか。

そしてホアキンが女性と関係を持ったことから少しずつ行動が変わってきます。前向きに捉えることが出来たきた矢先に発覚した母の手紙。そこから行動が急に過激になってきます。今まで自分では行動が出来なかったホアキンが自分の意思で行動を始めるわけです。これほど人間として大きな成長はありません。そして発覚してしまった母親の異常な行動。その結果、被った自分の障害。自分が信じていた、愛していたものが一度に壊れる瞬間が非常にうまく描かれています。その反面、少し現実的な見方をすると、それだけの障害を負ったのであれば保護施設に入れられて育つはずです。なので、母親と二人暮らしいう設定はやや違和感を感じる部分もあり、また母親が異常な行動が全くなくなっている点をいささか疑問が残ります。あえてそこは言及せずに楽しむのが賢明かもしれません。

さて、もう話も終盤です。ホアキンがなんとTVに出ることになりましたね。そんなまさかな展開でした。その時の状況から、何をもって承諾したのか、この時点では???な展開です。
TV出演の際の名前がジョーカー。びっくりするくらい急に出てきました。ホアキンの人生は今までピエロだったのに、切り札でもありハズレの札でもあるジョーカーが出てくるわけです。混乱of混乱です。流石にちょっとどうしたって思ってしまいましたが、ここでも目を瞑っておきます。笑
最後のシーンは非常に興味深いシーンでした。何度も練習をした登場シーン、それ以上の派手さで登場した訳です。驚くほどにジョーカーは落ち着いていました。きっと、これからやること全てをイメージ尽くしており、そしてもう何も失うものはないという気持ちがあったからこそでしょう。
語り始め、そして殺人を吐露し、司会者を殺害。この流れが非常に興味深い訳です。今までホアキンは計画的に物事を考えることができませんでしたし、落ち着いて話すことも全くできなかった訳です。なのに、ジョーカーになってからというもの、急に計画的となり、同時に落ち着いて行動ができる人間へと変化した訳です。それはまるでダークナイトに出てくるジョーカーのように。

その後のシーンはストーリーとしてではなく、映像として楽しむシーンでした。多くの人たちに囲まれて映るジョーカーは寂しそうでもあり、どこかやり遂げた感もあり、捉えようのない瞬間でした。それは変化し続けてきた先に、何か一つのことを終わりを迎えた際に感じる、今までの自分と今の自分とを比較した葛藤感なのかもしれません。
子供の時、学生の時、社会人の時、親になった時、それぞれ何かの終わりを迎え、そして今までの自分と比較した時に得たものもあれば失ったものきっとあるはずです。それに近いのかもしれませんね。

総じて、素晴らしいストーリー展開でした。ただ、Twitterとかで見るような意見とは少し異なります。ずっと気負いするような映画だったや、2回見ないと分からなかったという意見をいくつか見たのですが、正直そこまでの感じはしませんでした。
21g」や「セブン」「ミスティック・リバー」といった作品の方が常に張り詰めますし、「メメント」ほど2回見ても理解できない映画は無いでしょう。と、書くのはきっと映画が好きだからかもしれませんし、きっとそうです。

トッド・フィリップス監督にとって躍進的な作品

ここまでが、ストーリーについてです。次は監督について。
ハングオーバー!を見られたことがある方は非常に驚いたのではないでしょうか。この監督がこれほどまでにシリアスな映画を撮れるなんてことに。僕も正直驚きました、テイストが全く異なる中での挑戦を感じた気がします。
そして、タクシードライバーとキング・オブ・コメディの影響が非常に色濃く出ている作品でした。
タクシードライバーのトラヴィスのような何に対してもやる気のない出だし、そこから出会いから始まる気の狂い方。
キング・オブ・コメディからはなんといってもストーリーへの影響。おそらくこの作品に影響されていなかったら、このコメディアンという設定はなかったかもしれません。

ジョーカーの設定を少し考えてみましょう。コメディアンを目指していた、障害をもつ中年の男性。この設定でよかったことは何だろうか、それ以外の方法もあったのではないだろうかと。
僕なりの見解として、非常に設定がよかったと思っています。どこか子供に見せると真似しないかなどといった意見もありましたが、おそらくあんまりないかと思います。何故かって、そんなに単純な映画ではないこと、そしてコメディアン目指す人は子供でもあまりいないので共感が薄いこと、最後に特殊な障害を持っているという前提があまりに色濃く出ているので、自分とは違った人という捉え方をするのだと思います。
逆にダークナイトの影響で死者が出たのは、「背景が分からないけど、イかれた野郎」だったからです。そういった人は世の中にゴマンといます。だからこそ、影響を受けることがあったのではないでしょうか。

そこから監督の意思を感じました。シリアスな映画ではなるけど、何か悪影響に及ぶことはしたくない、ただ作品を楽しんでもらいたいと。ハングオーバー!も同じです、ただその作品を笑いながら見てもらえたらいいんだという意思を感じます。

この作品はトッド・フィリップス監督に大きな影響を与えることとなったのではないでしょうか。ただ彼の中心にあるのはおそらくコメディです。なのでシリアスな作品ばかりを撮ることはしないと思います。もしかしたら最初で最後かもしれません。ただ、多くのことを学び得た作品になったのは間違いないので、次回のコメディ作品を楽しみにしています。

ホアキン・フェニックスという役者

非常に、非常に素晴らしかったです。元より何にでもなれると書きましたが、まさしくその通りでした。あれだけの笑い方を続けることができますでしょうか。そして何よりもヒース・レジャーのジョーカーの動きを再現しているシーンがいくつもありました。かなり見込んだことが伝わってきます。
彼の演技のどこか素晴らしいかというと、何よりもその表情です。こんなに複雑は状況のジョーカーの表情は言葉では決して表すことができません。(と言いつつnote書いてる僕はなんなんだって話ではありますが。)
そして、この類の気が狂う作品は演技が急に変わるので非常に難しいはずです。しかし、それも感じさせない変容ぶり、とても素晴らしかったと思います。もう少し別の作品も見てみようかなと思います。

何故これだけヒットしたのか

理由は2つあったと思っています。
それをお話しする前に、大前提としてAISASの法則で現代のマーケティング活動は進んでいると考えています。
Attention, Interest, Search, Action, Shareの頭文字をとったものになります。
そのスキームにしたがって考えてみます。

参考記事
AISASモデルとは

まずはAttentionから。言わずもがな、めちゃくちゃ映画の広告をあらゆるところで出していました。日本で公開されるのが決まり、Web記事が出たのが2019年の2月、公開日が2019年10月4日。
それまで何度目にしましたか?あの広告を。笑
恐ろしいくらいに事前の映画告知をしてきました。Attentionにはもってこいですね。笑

そしてInterest。これは圧倒的なキャッチコピーです。
興味を持って貰えるかどうか、非常に重要な役割。
簡潔に興味を持ってもらえるかどうかを考え抜き、生まれたいいキャッチコピーだったからこそ響いたのではないでしょうか。

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そして、そもそもジョーカーという存在ははなんとなく、知っている人が多い訳です。それだけダークナイトは見られていましたから。そこにぐさっと気になるキャッチコピーが入ってきた訳です。

本当の悪は笑顔の中にある

もう気になって仕方ないですよね。笑
そして、気になった先のSearchに繋がります。
検索すれば出てくるんですよね、予告動画が。笑
それだけSEO対策をしていたんでしょう。外部リンクも恐ろしい数になっているのではないでしょうか。

そしてこの予告動画。映画の予告って素晴らしいくらいに興味を惹かれるようにできてます。これでもうイチコロです。笑

そこからActionに繋がります。
そして、話題になっているものは人はShareをしたがる生き物なので、TwitterにもInstagramにもfacebookにもご登場という訳です。
そんなに有名でも無い映画を見たときって、基本的にShareしないですもんね。。。。もちろんジョーカーは面白かったんですが、それ以上の要素として話題性があるってのは大きいということです。

何故そこまで面白いのか、それは共感だったのでは無いかと松本さんが考察されています。

この時代の映画界では、圧倒的にかけ離れた世界観を持っているか、または共感があるかのどちらかがヒットします。
アラジンやトイストーリー4といったアニメを始め、アベンジャーズなどがヒットしたのは世界観からでしょう。もちろんその中で共感する要素もあったからだとは思います。
その反面、共感は少し難しい部分があります。何故かというとそれは一つの側面を押し出しているためです。つまり、共感できない人ももちろんいる訳です。ジョーカーがヒットしたのはおそらく、多くの人が感じるであろう共感の要素があったからこそヒットしたのかもしれません。同時に世界観として、ダークナイトのジョーカーになるまでという生い立ちストーリーを描くのは非常に興味を持たれることだと思います。もしダークナイトがヒットしていなければ、もう少し話題性は乏しかったのかもしれません。

比較するものでもないものを比較して

ジョーカーが好きだと誰かに伝えると、今はトッド・フィリップスの「ジョーカー」の話になります。ただし、僕が好きなのはヒース・レジャーのジョーカーです。ただ、ホアキンと比較するものではないと思っています。
それぞれが素晴らしく、それぞれにファンがいればいいなと思います。どちらかもそれぞれ新しい概念や演技の仕方などを産んだのではないでしょうか。それがこれからの映画界において新しい風になれば、それほどまでに楽しくて面白いことはないでしょう。
どうかあまり比較しすぎずに、ただジョーカーを楽しんでいただけたらと思っています。

ここまで読んでくださりありがとうございました。
3杯目のスコッチに手を伸ばし、あなたが見て感じたジョーカーに思いを馳せていただければと思います。

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