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妄想日記「ちょっと贅沢したい気分」

炭鉱と製鉄の街、八幡の生まれだが、4歳のころ、次第に激しさを増す空爆から逃げるように、私たち家族は親族を頼って豊前の宇島に疎開した。それ以来ここに住んでいる。

昨年、高校の就職科を卒業してすぐに、小倉駅前のデパートの、子供・婦人服の販売員として働き始めた。終戦間もなくは、まだまだ不景気で、高校を卒業してすぐに就職できたのは、自慢ではないが、私を含め比較的真面目で学業優秀な生徒だけだった。

通勤は電車と路面電車を乗り継いで1時間ほどかかり、多少不便ではあるものの、人と話す事が好きな私は、デパートの販売員の仕事がそれなり気に入っていた。

それに、ありがたいことに職場ではそれなりの定評を受けている。幼い頃、4人の兄と末っ子の弟と一緒に、泥だらけになって外で遊んでいたからか、ずっと体が丈夫で、まともに風邪すらひいたことがない。大人になってからも、体の強さは健在で、デパートで働き始めて1年が経ったが、未だに無遅刻無欠勤だ。

そのおかげで、婦人服売り場の課長から、型落ちして特売場送りの商品を、棚に並ぶ前に物色できる権利を獲得したほどだ。丈夫な体に産んでくれた母には、頭が上がらない。

出勤時、家から10分ほど歩いて、最寄り駅から汽車に乗る。駅のプラットホームに着くと、巨大な鎧のようなS Lが、その何倍も巨大な黒煙を吹き上げながら近づいてくるのが見えた。重い金属音と共に駅に進入し、私の目の前に旅客車両が来る位置で、ゆっくりと停車すると、息切れを整えるかのようにプシューと白い蒸気を吐き出した。

構内の時計に目をやると、きっかり6時半。こんなにも巨大な機械を、寸分狂わず正確に操作できる技術には、いつも感心する。人類はどこまで進歩するのだろう。

旅客車両に乗り込むと、一番後ろの席に中野さんが座っていた。中野さんは、私とほぼ同時期に入社した同僚で、紳士服売り場で働いている。彼女は一つ前の中津駅から小倉行きの汽車に乗る。特に待ち合わせをしているわけではないが、1時間に1本しか特急がないので、必然的に毎日同じ電車になる。

中野さんは、仕事の同僚や上司、常連のお客さんのことになると、少し饒舌になるところがあったが、基本的に無口でおとなしいタイプだった。

彼女とは、一度も一緒に食事をしたことすらなかったので、友人と呼よべるかは危ういところだったが、出退勤で彼女と共有する時間は、すーっと穏やかで、なかなか嫌いじゃない。

私は奥まで進み、彼女に、おはよう、と言った。中野さんも、おはよう、と微笑むと、となりの座席の置いていた彼女のハンドバッグを足元に移動させた。

お礼を言いながら、彼女の隣に腰を下ろすと、木製の座席がギシッと音をたてた。無数のお尻によってペラペラになるまで押し伸ばされたクッションは、真夏の湿気と乗客の汗を大量に吸っていて、まるでぬれ煎餅の上に座っているかのようだった。

デパートの特売日に少し思い切って買った、外国製のハンドバックは、床に置くのが惜しくて膝の上に抱えた。汽車は、再びドカドカと大量の黒煙を吐き出しながら、踏ん張るようなスピードで進み出した。

この時間帯の小倉行きの日豊線に乗っているのは、大概の場合、街の私学に通うお金持ちの子女か、バスに乗り換えて八幡製鉄所に向かう労働者か、あるいは、私たちのような小倉のデパートで働く若い娘たちだ。

汽車が10分ほど走ったとろこで、松江海岸に差し掛かると、木々に閉ざされた車窓からの景色が、ふわっと開けて、視界いっぱいに海が広がる。眩しさで瞳孔が瞬時に開き、全身に早朝の日光が染み渡るのを感じる。人は寝ている間に、少しずつ全身の細胞が生まれ変わると聞いたことがあるが、私はこの瞬間に、薄皮がペリッと剥けるように、新鮮な私に生まれ変わるのではないかと思う。

汽車が海岸線を走るこの数分間だけは、本を読んでいても、何か考え事をしていても、一旦中断して景色を眺めることにしている。遠くで、水平線と空が溶け合うところの、曖昧な部分に、視線と意識を巡らせて、少しの間、規則的な揺れと潮風の涼しさを楽しむ。

これは大変に心地いいのだが、ぼんやりとはしていられない。気をつけないと、煤で顔が真っ黒になるからだ。この路線の汽車は、海側の席に座れば、風が入って涼しいが、煤が顔にかかる。山側に座れば、暑さで汗だくになる、といった塩梅だ。

案の定、窓側に座っていた中野さんは、顔がうっすら煤で黒くなっていたが、そんなことはお構いなしに、顔に当たる潮風を感じている。軽やかな前髪が、風の動きに従って、ふわりとなびいている。そんな中野さんを見ていると、私まで嬉しくなってくる。

そうだ、今日は仕事終わりに商店街によって、揚子江の肉まん買って帰ろう。この前、給料が入ったばかりだし、いいよね。

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