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OYOBARE - ローカルに関わるには覚悟がいる

「ローカルに関わるには覚悟がいる」と寄居のスナックで言われた。そうなんだよ、ローカルに関わるには覚悟がいる。逆に言うと、ローカルではその土地で暮らしていく、という覚悟を固めた人が暮らしている。そういうところに切り込んで行こうと思ったら、そりゃ覚悟いる。

覚悟はあるのか。

そう言えば、石巻を訪れたのは、横浜の後輩に声をかけてもらってのことだった。震災後、現地で活動している後輩が、一度、加藤さんも観に来てください、と連絡くれて、インタビューを口実に初めて被災地にうかがった。緊張はしていたが、覚悟はなかった。それから、何度か、石巻には通うことになった。最近、行けてないけども。

呼ばれて、来ました、こんにちわ。

そういう感じなのだ、僕のローカルとの付き合いは。

寄居はたまたま現地で活動している方がWebサイト経由で僕を見つけてくれて、プロジェクトをご一緒することになった。昨年の11月くらいから2月くらいまで4ヶ月ほど通った。どうやら今後も折を見て通うことになりそうだ。スナックで飲んで歌ったり、町の日本酒の会に参加させていただいたり、やきとり(豚)屋のカウンターで祭りの話を聞いたり、スナック。。。

覚悟はあるのか、と問うた時に、その土地に骨を埋めるような覚悟はないよなあと思う。

伊部、札幌、糸島、高松、金沢、色々行ったなあと思うし、仕事している土地もあれば、仕事未満の関わりの土地もあるけれど、日本全国津々浦々、色々なところに好きな土地がある。

関係人口みたいな言葉を引き合いに出すと、なんかちゃんとし過ぎてる感じがするけど、観光旅行ではないし、結局、なんなんだろうと思うけど、まあOYOBAREなんだよな。

僕はその土地の人じゃないし、その土地の人にはなり得ない。その上で関わるということかなあと思う。OYOBAREは呼ばれるうちが華ですけどねえ(まあ、呼ばれなくても行くんだけども)。

だから、最初は人に呼ばれるんだけど、そのうち土地に呼ばれるようになる、そういうことではないか。きっかけはやっぱり誰かが呼んでくれるからなんだけど、少しずつ土地そのものに惹かれるようになるという。

覚悟はないよなあ。

まあでも、今後、OYOBAREが少しずつ変容していく可能性はあって、それは時間だったり、経験だったり、関係性による気がして、少しずつ外様からの来客としての体じゃなくなっていくのかも知れないですね。もしくはずっと外様であり続ける方がかえって良いのかもだけど。まあ、そういうことをうまく説明するための便利な言葉として関係人口って言葉があるのか。。。

寄居と出会って4ヶ月。OYOBAREフェイズは一段落した気がするので、これからどうなっていくかだなあ、という気もしますね。

寄居、良いところ。


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