第1章-2 心の奥に押し込んだ自分を許してあげる
心の奥に押し込んだ「小さな自分=感情」
私の人生が変わったのは、まさにそんな自分がいることに気づいたから。
ずっとろくでもないと思っていたこの人生に、
誰よりも近くでずっと寄り添い、そばで見ていてくれたのは、
他でもない私自身だった!
ずっとひとりぼっちで、誰も味方なんていなくて、
この先もずっと孤独だと信じて疑わなかった私が、
本当は誰よりも一番近くで見てくれていた味方がここにいたと、
そう気づいた瞬間から、
人生が大きくうねりを起こすように変わっていきました。
そして、自分という味方がいたということに気づくと、
「やっと気づいてくれたんだね」と、
その自分がまた嬉しそうに喜んで、安心して、
もっと自分を応援してくれるようになります。
その応援は、他の誰の応援よりも本当はすごく強力で効果があるのに、
多くの人はそのことにあまり気づいていません。
だけど、あなたの中の、いつも味方でいてくれているあなた自身も、
早く気づいてほしいと、きっと今もそこで待っています。
「ずっとそばにいるんだよ、早く気づいて」と、
何年も何十年もずっと待ち続けています。
この本を手にとってくださったのも、
きっとあなたの中に閉じ込められていたあなた自身が、
気づいてほしくてサインを送ってくれたのかもしれません。
「そんな自分なんかどこにいるんだ」とか、
そんな自分がいるということをイメージできないという方は、
「心の奥に押し込んだ小さな自分」
というふうに思ってもらうといいかもしれません。
子どもの頃のままの小さな自分が心の奥にいる、そんなイメージ。
そして、その押し込んでいる小さな自分というのは、
いわば、あなたの感情です。
「あれやりたい!」「これやってみたい!」
「楽しい!」「嬉しい!」「悲しい!」「苦しい!」と
ただ純粋に無邪気に感じる本能だと思ってみてください。
心の中にいる、そんな子どものように無邪気なあなたが、
子どもの頃に我慢した体験や、長年のいろいろな経験や失敗、
人から責められてきた体験などによって
「どうせ自分はできないから」「また怒られるかもしれないから」と、
どんどん心の奥の檻の中に閉じ込められていきます。
そんなふうにずっと我慢をしてきたり、無理ばかりしていると、
その「小さな自分=感情」を奥底に押し込めることが癖になります。
自分の心の声が聴こえるたびに、純粋な小さな自分を檻の中に閉じ込めて、
その檻に頑丈なチェーンをぐるぐる巻いて閉じ込めてしまう。
しかも、そこに南京錠までかけて2度と出られなくなって、
もう声すらも聞こえなくなるくらい、頑丈に押し込めてしまう人もいます。
だけど、心の奥に閉じ込められたその「小さな自分=感情」は、
決して消えることなく、ずっとずっとその檻の中に存在します。
そんなふうに閉じ込めることが癖になってしまった人は、
何かつらいことがあっても、
そのつらいという「小さな自分=感情」をできるだけ見ないようにして、
すぐさま檻に閉じ込こめて、ぐるぐる巻きに鍵を閉めてしまいます。
そして何か嫌なことが起こるたびに、小さな自分の声を遮断して、
心の中にいる小さな自分とは逆の「頭のほう」で処理をしようとします。
そう、思考で納得させて解決しようとしてしまうんです。
たとえば、恋人に振られて、本当は悲しくて寂しくてたまらないのに、
「きっと縁がなかったんだな」とか、
「他にきっと合う人がいるんだ」とか、頭で自分を納得させようと、
いろいろなことを自分に言い聞かせてしまう。
そのようなプラス思考ももちろん大切だし、
つらいことを乗り越えるには必要なことではあるけれど、
その前に、とっても重要なことがあります。
心の奥で「悲しくて寂しい!」と叫んでいる「小さな自分=感情」を、
しっかり一度認識すること。
その声を聴いてあげること。
見ないようにして、聴こえないようにして、
心の奥の檻に閉じ込めてしまわずに、「自分は今、悲しいんだ」
「恋人に振られて、すごくショックで傷ついてるんだ」と、
ちゃんと声を聴いて、その感情を認めてあげることが大切なのです。
「思考の人」に起こる3つの不調
人間の感情は、認識されずにそのまま押し込められると、
消えることなく、どんどん溜まっていく、という性質を持っています。
何年経っても、何十年経っても、
ずっとずっと蓋をされた心の奥に蓄積されていきます。
「ツライ!」と泣き叫ぶ小さな子どもの自分を、
檻に閉じ込めてぐるぐる巻きに鍵を閉めても、
そこにはちゃんとまだ存在しているわけです。
たとえば、小さな頃つらい体験をした時の感情や、
我慢して押し込めた感情が、
何かあった時にフラッシュバックのように蘇るのは、
その押し込んだ感情が消えずに残っている証拠です。
しかも、そうやってずっと感情を押し殺してきた人は、
楽しいことが起きても嬉しいことが起きても、
「嬉しい♬」とか「楽しい♬」というポジティブな感情までも
感じなくなってしまう。
ネガティブな感情を押し殺してきた心は、まるで不感症のように、
楽しかったり嬉しかったりする感情すらも感じなくなってくるのです。
そんなふうに、『心で感じる』ことよりも
『頭で考える』ことが増えてくると起こる、
3つのマイナスポイントがあります。
① 心の病
② 身体の不調
③ 人間関係のトラブル
こういったことが人生に起きてくるようになるんです。
ずっと自分を押し込めて、自分を我慢させて、
自己犠牲を払ってきた人は、
自分とうまくコミュニケーションが取れなくなって、
自分の心や身体に不調をきたし、
他人ともうまくコミュニケーションが取れなくなります。
でもそれは二次被害とか、さらなる不幸とかではなくて、
「早く気づいて!」「ちゃんと見つけて!」と、
閉じ込められている小さな自分自身からのお知らせサイン。
それに気づいてあげてほしい。
一つ目の『心の病』は、ずっと感情を押し殺して、心に蓋をして、
本当の自分を押さえ込んできた結果、
心がちゃんと痛みや喜びを感じるセンサーが壊れてしまって、
不具合が生じてしまうことから生じます。
よく「真面目な人ほど鬱になる」と言われますが、
自分に鞭打って頑張り続けてきたり、
自分のことは後回しにしていつも頑張っている人こそ、
この小さな自分の声が聴こえなくなって、
センサーが壊れてしまいやすくなるというわけです。
自分のしたいことだけをして自由に生きている人が、
鬱とは無縁で幸せそうなのは、
小さな自分の声をいつも聴きながら行動しているから。
それくらい、心の中から聴こえる声は大切にキャッチして感じることは
重要なことなのです。
二つ目の『身体の不調』は、心と繋がっている身体が、
色んなサインとしてその人に「気づいて」と、
身体中の全細胞が一生懸命その人自身に
訴えかけてきてくれているということを表しています。
私も子どもの頃はよく、遠足や修学旅行の前になると
緊張してお腹が痛くなったものです。
癌になった人が治療をやめて最後に目一杯自由に笑って過ごしていたら、
いつのまにか癌がすっかり消えていた、
というエピソードをよく耳にしますが、
それも心と身体が密接に繋がっているということを
表しているともいえますし、『病は気から』というように、
心の不具合が身体に出るのは当然のことかもしれません。
そして三つ目の『人間関係のトラブル』は、
目の前の人が、あなたの心に溜め込んだ感情を気づかせようと
してくれているサインです。
これについてはこの後もじっくりお話しさせていただきますが、
自分の心の中に溜め込んだ問題が、人間関係の問題として目の前に現れ、
突っついてくるということです。
それってどういうこと?! と思う方もいるかもしれませんが、
じつは心と身体が密接な関係にあるのと同じくらい、
心の中と目の前で起こる出来事も、密接な関わりがあるのです。