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波乱だった過去【20:心の傷と身体の傷】

中絶の手術を終え
麻酔で少し朦朧としてたけれど
帰り道には不思議なくらい
あれだけツラかったツワリが
ピタッと無くなった

もう自分の中に
赤ちゃんがいないことを実感する


「みんな集まってるから行こうぜ」

いつものように同級生がみんな集まってると彼に言われ
ひとりで家に居たくなかった私は
お医者さんに安静にするよう言われていたのに
その晩
彼と一緒に出かけてしまった


本当は数日安静にしなければいけないのに
数時間なら…と
いつものヒールを履いて
出かけてしまったのだ


念の為いつもより早めに切り上げて家に帰ると
その夜、珍しく母が居た


夜の時間に母が居るなんて
一年に片手もないほど珍しいことだ


狭い1DKの家に母とふたり
何をするでもなくゴロゴロと
私はタバコを吸いながら過ごしていた

「なんかお腹痛いな…」

軽い生理痛のような腹痛が襲ってくる


鎮痛剤を飲もうか悩んでいたけど
その痛みは徐々に激しくなっていく


1時間した頃には
我慢ができないレベルの痛みになって
私は母の隣で
うずくまっていた


そんな私を見て母は
心配するでもなく

「そんなん自分が悪いんじゃない」

そう言って軽く咎めた



想定内の反応だったが
数ヶ月前に
自殺を図り運ばれた時も
あっさり仕事に行った母


そんな母が心配してくれるなんて
もちろん期待はしていないけど
相変わらず冷たいなと
痛みに耐えながら感じた

そんな母親の冷たい反応も
気にしてられないほど痛みは増していく


痛みに苦しむ私を
母は全く気にする様子もなく
テレビを見たり
お客さんに電話をしたりしている


そんな状態が数時間続き
痛みは激痛のピークに達してきた


気づけば
生理のように出血し始めていた


鎮痛剤を飲んだけれど
全然効き目が現れない


耐えられない痛みに
私はうめき声に近い声を出し
うずくまっていた


痛みの限界に達したとき
それまでテレビを見ながら笑っていた母が
少し違った表情で言った

「病院連れて行こうか?」



その時のことは
今でもハッキリと覚えている


少しびっくりしたけれど
それよりも先に口をついて出てきたのは

「いい!悪いからいい!」

だった



振り絞るようにだったけど
強がりでもなく
私は心から本気でその言葉を発した



「何言ってるの?親子でしょ」

母から返ってきた言葉に
一瞬、混乱した


その言葉を受け止めるのに
私には時間が必要だった



その言葉が
全然心に入って来なくて
私は心の底から

『悪いからいい!そんなの頼めない!』

そう思っていたのだ




母に連れられて病院なんて
記憶のある限り一度も無い

母の通院について行ったことは何度もあったが
小さな頃から
具合の悪い私を看病してくれるとか
私を病院に連れて行ってくれるとか
そんなのは全く記憶にない


もうずっと母の顔色ばかり窺ってきた私は
いつも怒ってばかりで
ヒステリックに私の存在を否定する母に
甘える方法などわからなくなっていた


病院に連れてってもらうなんて
申し訳なさと心地悪さで
本気で頼めなかった



「そんなの頼めるわけないじゃん!悪いからいい!
彼に電話だけかけて…」

母親に電話だけかけてもらい
私は彼の車で病院に行った




今思えば
私が人に甘えることができないのも
相談することができないのも
助けを求めることができないのも
ここから来ているのだと思う



苦しい時
寂しい時
ツラかった時
困った時

誰かにお願いすることも
誰かに頼ることも
誰かに受け止めてもらうことも

思えば私は
4歳から一切
無くなってしまったのだ


4歳からひとりで闘う人生を
スタートしてしまったから…





「さおちゃん、日曜日出かけようか!」

普段会えない母がたまに言ってくれる
嬉しくて楽しみでたまらない約束

それはそれは楽しみにして
日曜日を待つ子供の頃の私

そして
「ごめん、帰れなくなっちゃった、またね!」
と一方的な電話で
簡単に破られる約束


”約束は期待しちゃいけない”

”楽しみなことは叶わない”

子供ながらに
「人生は期待してはいけない」
と、いつの間にか
心にブレーキをかけるようになってしまった



中絶によって付けてしまった身体の傷と
幼い頃からのそんな心の傷が交差した

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