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【創作】すまいる~前編~

【すまいる あらすじ】
コンサルタント会社に勤める若手社員の越野。
派閥争いに敗れチームが解散となり敵対していたチームに所属することになる。
担当を外されるなど執拗な仕打ちに耐える毎日。彼女からも別れを告げられどん底の越野の元にある任務が届いた。
それは経営不振に苦しんでいる”デイサービス希望の家”の立て直しだった。
初めての介護現場に戸惑いつつも仲間と一緒に”希望の家”の立て直しに挑む越野。
果たして越野は希望の家を立て直すことができるのか!


①居場所

配られた新しい担当表を見て俺は目を疑った。
どこを探しても俺の名前は見当たらない。
これまで担当だった伊藤病院から外されただけではなく、他の顧客先にも俺の名前はなかった。

「いいか!担当を新しくしてどんどんと営業を仕掛けていくから、来週までにしっかりと引き継いでおけよ!」

会議室に杉本部長の張りのある声が響いた。
周りの営業から次々と威勢の良い返事が聞こえるが、俺はどうにも納得がいかなかった。

「よ、よろしいですか!」
「なんだ越野、どうかしたのか?」

意を決して手を挙げた俺を杉本部長は煩わしそうに見た。

「僕の…僕の名前がどこにもありません。これは何かの間違いではないでしょうか?」
「ああ、お前はうちのチームに来たばかりだからな。しばらくはチームの動きを見て勉強してくれ」
「しかし、伊藤病院様なら以前から担当していますし、そのまま引き続き僕が担当しても良いと思いま―」

俺の話の途中で遮るように杉本部長は拳で机をドンと叩くと「だからさぁ!」と声を荒げた。

「うちにはうちのやり方があるんだよ!それをしばらく勉強しろって言ってんだよ!黙って俺に従えよ。ったく、花村一派の連中はプライドばっか高くて使いづらくて仕方ねぇよ。なぁ!」

杉本部長の声に呼応するように俺以外の営業が笑い声をあげた。
嘲笑に包まれる会議室の中、俺はそれ以上何も言えずただただ俯いていた。

■■■

花村一派か…。
俺はつい先日まで花村部長のチームで働いていた。

大学を卒業して俺はコンサルタントを生業とする会社に就職した。
そこには二つの営業チームがあり、それが花村チームと杉本チームだった。
俺は花村チームに配属された。
花村部長は仕事に妥協を許さないとても厳しい人だった。
だけど仕事で成果を上げた時は自分以上に喜んでくれたり、お客様を怒らせた時などは一緒になって頭を下げてくれるような厳しくて優しい人だった。
自分たちの利益よりもお客様のことを1番に考える人だった。

「とにかくお客様を笑顔にすることを第一に考えよう。その結果うちの売上にならなくてもそれは仕方ない。だけど必ず後で報われる時がくるから」

花村部長はそうよく口にしていた。
花村部長のその言葉通りに俺たち花村チームはお客様のことを考えて行動した。

それに対して杉本チームは会社の利益を優先していた。
もちろんお客様を騙す様な真似はしていなかったが、それでも強引に契約を結んだケースは少なくはないようにみえた。
売上的に会社に貢献しているのは杉本チームだったが、お客様からの信頼度は明らかに花村チームの方が高かったと俺は思っていた。

花村部長との仕事は大変なことも多かったがそれ以上に学ぶべきことも多かった。
花村部長を尊敬していた。花村部長のようになりたかった。花村部長についていけば間違いないと思っていた。
上手くいく日もそうじゃない日も仕事が楽しかったし、なによりお客様と一緒に笑い合えていた。


入社してから6年目のことだった。
会社の取締役のポストが一枠空くことになった。
そしてその候補に花村部長と杉本部長の二人の名前が上がった。

杉本部長が次の取締役を狙っているのは明らかだった。
社長や社外取締役に対してのゴマすりはエスカレートし、下の者にはこれまで以上に売上を求めた。
花村チームに対してはあからさまに敵対意識を持っていた。
部下に指示を出して嫌がらせをしてくることもあった。

花村部長は取締役には興味がない様子だったが、杉本部長が就任することだけは阻止したいようだった。
花村チームのメンバーは当然花村部長に取締役になって欲しかった。
そのために花村部長の功績を上役に進言したり、杉本チームの強引なやり方を告げ口したりした。
その度に花村部長からは「余計なことするな」と叱られたりしたが、俺は花村部長こそ取締役にふさわしい人だと思っていた。
そして花村部長が取締役になると信じて疑っていなかった。


同じ会社のチームで足の引っ張り合いをする不毛な日々が数カ月ほど続いたある日のことだった。ついにこの争いに終止符が打たれた。
取締役が決まったのである。

新しい取締役に選ばれたのは杉本部長だった。

俺たちは何度も抗議をしたが決定が覆ることはなかった。
程なくして花村部長は会社を辞めた。
杉本部長が取締役になったのだから当然なのかもしれない。

花村チームは解散し二つあった営業チームは一つに統合することになった。
花村チームのお客様は全て杉本チームが引き継ぐことになり、俺たち営業マンも杉本チームに移ることになった。

花村部長に続いて辞める者もいた。
俺もそのつもりだった。杉本部長の下では働く気になれなかった。
しかしそんな俺を花村部長は引き止めた。

「越野、お前は会社に残れ。お前はまだ若いし能力もある。将来この会社を背負う存在になれるはずだ。
最初は大変かもしれない。だが杉本もきっとお前を認めてくれる。
それに内紛なんてお客様には関係ないからな。お前がどこのチームでもこれまでと同じようにお客様のことを1番に考えてあげて欲しい」

もしかすると花村部長はいなくなる自分の代わりに俺に杉本部長からお客様を守って欲しかったのかもしれない。
同じ会社の人間からお客様を守れというのも変な話だが。


そして俺は会社に残った。
花村部長の言うとおりお客様に会社の内紛は関係ない。
担当チームが変わってもこれまで通りお客様を第一に考える姿勢を伝えようと思った。

しかし、杉本部長の俺たち花村チームに対する仕打ちは想像以上に酷いものだった。
チームの雑用は全て旧花村チームに押し付けた。
重要なプロジェクト会議からは外され、いつの間にか体制や仕組みが変更されることもざらだった。

俺の他に何人か残っていた花村チームのメンバーは次第に一人ずつ辞めていった。そして気が付くと俺が最後の一人になっていた。
それでも俺はお客様がいる限り辞めるつもりはなかった。
お客様の笑顔を俺が守る、そう思って頑張っていくつもりだった。

ただ、担当を外された今それももう難しいかもしれない。

■■■

「越野、引き継ぎはしなくていいから伊藤病院のデータだけ全部よこせよ」

営業会議が終わると同期の上村が俺に声をかけてきた。どうやら新しく伊藤病院の担当になったみたいだった。
「引き継ぎはしなくていい」という上村の言葉に疑問を抱いた。

担当の西村さんは甘い物には目が無い事とか、伊藤院長の奥様が韓流ドラマが好きな事などデータだけでは分からないことがたくさんあるはずだ。
それなのにデータだけで営業をしようとする杉本チームのやり方にはやはり違和感しかなかった。

「いや伊藤病院様にはデータ以外に重要なことがたくさんあるから、ちゃんと引き継ぎをしよう」

もう担当変更が覆らないのであればせめてお客様に迷惑が掛からないようにしっかりと引き継ごうと思った。
しかし上村は俺の申し出をあっさりと断った。

「余計な情報はいらねぇよ!俺らは俺らのやり方でやるから!そっちのやり方でやると負け犬になっちゃうからな」

そう言って高らかに笑う上村に腹が立った。
負け犬だと!?
俺は花村部長が馬鹿にされたように感じて上村が許せなかった。

「おまえ!」上村の胸ぐらをつかむ。「離せ!」上村が叫ぶ。俺たちの声に周りが気が付き慌てて駆け寄ってくる。すぐに俺と上村は引き離された。
引き離されて良かったと思った。そうじゃなかったら俺は上村を殴っていたかもしれない。
もともとチームから浮いていた俺はこの出来事がきっかけでさらに孤立することになった。


担当を持たない俺の仕事は基本的に内勤で以前のように外周りをすることはなかった。
主な仕事として命じられたのは営業のサポートと電話番だった。

営業のサポートと言ってもやる事はプレゼン資料などを人数分コピーを取ったり、不要な資料をシュレッダーするくらいだった。
お客様の情報を調べたり企画書作りの手伝いなど、営業に関わる仕事を俺に依頼してくる者は一人もいなかった。
おそらくチーム内で俺に営業の仕事をさせまいとしているのだろう。

電話番についても文句を言われっぱなしだった。
取引先からの要件をメモに書いてデスクに置いておくと字が汚いと文句を言われた。
それならばとパソコンで要件を打って出力した用紙を渡すと、今度は出力代が勿体ないと文句を言われた。

何をやっても文句を言われる俺はどうすれば良いのか分からなくなっていた。

「給料泥棒」「幽霊社員」「使えないヤツ」
そう俺を揶揄する言葉も漏れ聞こえていた。
だけど俺にそれを覆すだけの力はもう無かった。


…いやこの会社には俺の居場所すらもう無いのかもしれない。


■■■

②辞表

担当を外されてからの数日、俺は地獄のような日々を過ごしていた。
この日久しぶりに会った恋人の奈緒美に自分の状況を必死で伝えた。

「そんな会社もう辞めなよ!あなたにはもっとふさわしい会社があるわよ」

そんな風に言ってくれるのを少しだけ期待をしていた。
だけど現実はそんなに甘くはなかった。
奈緒美は何も言わずただ仏頂面で俺の話を聞いていた。
俺の話が終わると退屈そうに奈緒美は口を開いた。

「で、どうするの?辞めるの?」

まるで「そんなことくらいで辞めちゃうの?」とでも言いたげな雰囲気だった。

「もうあの会社で俺の居場所はないと思う。杉本部長の下では営業職に戻れるとは思えない」
「あ、そう。じゃあ辞めるのね」

軽々しく「辞める」と口にする奈緒美に俺は言葉を詰まらせた。
俺の返答を待つことなく奈緒美は続けた。

「実は前から考えていたことなんだけど、良い機会だから言うね。私たち別れた方が良いと思うの」

そう言って奈緒美はにっこりと笑った。
それはまるで出会った頃のような眩しい笑顔だった。

奈緒美と出会ったのは社会人5年目の時だった。
コンサルティング会社が数社集まって開かれた合同研修会で同じグループになった。
彼女は出会った頃から仕事に燃えていた。「私は結婚しても仕事を続けたいんです!」と言う彼女の笑顔はとても眩しかった。

その頃の俺は自分の担当が増え始めていてちょうど仕事が楽しくなってきていた。
そんな俺たちはすぐに意気投合した。
研修会終わりに連絡先を交換して次に会った時にはもう付き合うことになっていた。

新たなプロジェクトを任された時に「ホント大変!」と言いながらも笑う奈緒美が好きだった。
奈緒美に負けていられないと自分もますます仕事を頑張った。


あの頃のような奈緒美の眩しい笑顔とは裏腹に俺の顔は暗く沈んでいた。

■■■

「私はキラキラとした顔で仕事をしている越野君が好きだったの。今の越野君は会社の愚痴ばかりで正直魅力を感じない。本当にごめんね。今までありがとう」

自宅のベッドで布団に潜ったまま何度も奈緒美の言葉を頭の中で反芻する。
あれは仕事の愚痴…になるのだろうか?
会社での自分の姿を思い返してみる。胸がギュッと締め付けられ動悸が早くなる。

俺が悪いんだろうか。俺がみんなに迷惑をかけているのだろうか。
だとしたら、俺は一体何をしたんだろうか。

花村チーム時代での楽しかった仕事、花村部長の最後の言葉、杉本チームでの置かれた立場、奈緒美の言葉…いろんな事が頭の中でグルグルと回っていた。

俺はもう世の中に必要ないのかもしれないな。
ふとそんなことを考えた瞬間、脳裏に”死”という文字が浮かんだ。
それも良いのかもしれない、そうすれば楽になるかもしれない。
そんな風に思った時だった。

枕元に置いていた携帯電話が鳴った。
布団から這い出ると携帯電話を掴んだ。
ディスプレイには【伊藤病院 西村事務長】と表示されていた。

ここ数か月は全く目にしていなかった見慣れた名前からの連絡に、上村のヤツが何かしでかしたのかもしれない、そんな期待を胸に俺は電話に出た。

「越野さん、お久しぶり。西村です。元気だった?」

西村さんの以前と変わらない明るい声に上村がヘマをしたのではないと想像できた。
軽く近況を話し合った後、西村さんが本題に入った。

「実はね。うちの関連企業で株式会社すまいるという会社があるんだが、現在本社職員を募集していてね、越野さんさえ良ければどうかなって思って」

西村さんの要件は俺に関連企業で働かないかという誘いだった。
俺は西村さんの話がすぐには信じられず何も言えないままただ茫然としていた。
職場では自分の居場所はなく仕事もまともにさせてもらえてなかった。
彼女からは魅力が感じられないとフラれたばかりだ。
そんな俺にとってこんなに良い話はなかった。

「あれ?聞こえてる?もしもーし?」

西村さんの声に我に返り慌てて返答をする。
結局、後日返事をすることになった。
西村さんは「まぁ考えといてよ。悪い話じゃないと思うからさ」と最後まで明るかった。

電話を切ってからも西村さんの話がしばらくは信じられなかった。
あの地獄のような環境から抜け出せる、それだけで俺には奇跡のように思えた。
ありがたく話を受けようと思った瞬間、俺は花村部長のことを思い出した。

俺が会社を辞めたら花村部長はどう思うだろうか。
辞めるなと言ったじゃないかと幻滅するだろうか。
それとも仕方ないと許してくれるのだろうか。

【お客様を笑顔にする】

いずれにせよ花村部長の教えを今の俺では守ることは出来ない。
俺はスマホの連絡先をスクロールしてハ行の中から【花村部長】を選んだ。
深呼吸をして緑色の受話器のマークをタップしようとして、親指を止める。

わずかの間画面を見つめて後、スマホをシャットダウンして枕元に投げた。
俺はベッドから起き上がり机に向かった。引き出しから封筒を1枚取り出して表に「辞表」と書いた。

■■■

「ふん。これでやっと花村チームが全滅してくれたよ。せいせいするな」

杉本部長はチラリと俺の顔を一瞥すると鼻で笑った。
きっとこの人は本気で花村チームのメンバー全員を辞めさせようと思っていたのだろう。

数日前、俺の辞表はあっさりと受理された。
普通なら辞表を出して最低でも1ヵ月は残務処理を行うが、俺の場合はとくに引き継ぎをする必要もないと判断され1週間後に退職することになった。
通常では考えられないことだが、一刻でも早くこの会社から去りたかった俺にとってはありがたいことだった。

「お世話になりました」そう頭を下げて部長室を後にする。杉本部長は俺の方を見向きもしなかった。
部長室を出ると同期の上村を筆頭に杉本チームのメンバーがニヤニヤしながら俺を見ていた。
言葉には出していないが「ざまあみろ」と思っているのが顔に出ている。

俺は挨拶を交わすことなく、そのまま立ち止まらずオフィスを出た。
エレベーターに乗り1階のボタンを押そうとしたところで拳をギュッと握っていたことに気が付いた。掌にはじっとりと汗をかいていた。
二度とここに来ることはないだろうな、そう思いながら俺は「閉」ボタンを押した。

■■■

③株式会社すまいる

会社を辞めたその足で俺は伊藤病院の西村さんのところへ向かった。
転職先の会社について詳しく話を聞かせてもらうことになっていた。

つい半年前までは毎週のように通っていた伊藤病院だったが、久しぶりに訪れると全く別の場所に見えた。
受付で手続きをして入館証をもらう。そのまま外来を通ってフロア奥の関係者専用のエレベータに乗り4Fのボタンを押した。

エレベーターから降りるといつものように右の通路を進み事務長室を目指した。あと数歩先で事務長室に到着するという時に後ろから声がかかった。

「相変わらず時間通りだねぇ」

振り向くとそこには西村さんが立っていた。
西村さんは半年前と全く変わらない笑顔を俺に向けてくれた。
俺は身体を西村さんの方に向き直してしっかりと頭を下げた。

「ご無沙汰しています。この度は本当にありがとうございました」
「まあまあ固いことは抜きして、早速こっちへ」

西村さんは頭を下げる俺の肩をポンと叩くと事務長室へと案内してくれた。
西村さんの後に続いて事務長室に入った俺は手に持っていた紙袋から包装された手土産の【フルーツゼリーの詰め合わせ】を取り出した。
西村さんが気に入るだろうと準備をしておいたのだ。

手土産を両手に持ち直して、西村さんの手渡そうとすると西村さんの横には見知らぬ女性が立っていた。
年齢は60歳前後で決して派手ではないが上品なスーツに身を包み凛とした姿勢で立っている。その姿からは気品が漂っておりどこかの重役だろうと思った。
その女性は口元に笑みを浮かべながら穏やかな表情で俺を見ていた。

どうすれば良いか分からず困惑した俺は西村さんの方を見た。
西村さんは俺が持っている手土産をジッと見つめていた。
俺は西村さんに手土産を渡して「こちらの方は?」と尋ねた。
手土産を受け取り満足げな西村さんから女性を紹介してもらった。

「こちらは株式会社すまいるの代表取締役の手塚さんです。こちらがうちの前の担当だった越野さん」
「初めまして越野さん。手塚です」
「初めまして、越野です…え?株式会社すまいる?代表取締役?」

俺はまさか目の前にいる女性が転職先の社長とは思ってもおらず戸惑いながら西村さんと手塚社長を何度も交互に見つめる。
西村さんはそんな俺の反応を面白がっているのか笑いを堪えている。

「驚かせてごめん。越野さんが今日こちらに来ることを話したら手塚社長も是非会いたいと言われてね」

西村さんは事もなげに俺に話した。だったら事前に教えてくれよと心の中で文句を言った。
手塚社長は「よろしくお願いします」と俺に右手を差し出した。
俺は頭を下げ、手塚社長の手を握った。手塚社長は微笑むと握った手に少し力が入れた。

「ようし!挨拶も済んだところでおやつでも食べながら今後の話でもしましょうか」

西村さんは俺から受け取った手土産の包装を既に解いており、フルーツゼリーに目をキラキラさせている。
俺はそんな西村さんを横目で軽く睨んでいた。

■■■

自宅に戻った俺は手塚社長から預かった資料に目を通していた。
ページが進むほどに事の重大さを感じて眉間にしわが増えていった。

「これは相当難しいぞ…」

俺は誰に言うでもなく一人呟いた。それほどまでに『デイサービス希望の家』の経営状態は深刻だった。

株式会社すまいるはもともと不動産業を営んでいたが、十数年前より介護事業に参入していた。
介護事業の一つにデイサービス希望の家があった。

希望の家は定員が30名のいわゆる中規模タイプのデイサービスだった。
スポーツジムのような最新機器はないが、リハビリの専門職を配置して機能訓練に力を入れていた。看護師が数名勤務しており医療的ニーズがある利用者にも対応していた。
さまざまなタイプの入浴機器を設備しており、寝たきりの方でも安全に入浴ができる非常に多機能でマルチなタイプのデイサービスだった。
その便利さから開設当初は人気があり、連日満員状態みたいだった。

しかし多機能とは逆に言うと特筆すべき特徴がないと言える。
最新マシンを取り揃えたまるでジムのようなデイサービスやプールやカジノと言ったようなレジャー施設のようなデイサービスが周囲にいくつもオープンし始めると、次第に利用者数はそちらに流れていき減っていった。
ここ数カ月の平均数字では1日当たりの利用者数は20名を下回っていた。

手塚社長が俺に求めたのは、この『デイサービス希望の家』の立て直しだった。


「利用者思いのスタッフばかりで本当に良い雰囲気のデイサービスなんですよ。でも最近利用者さんが減ってきちゃって、ちょっとね苦しい状況なんです」

手塚社長はなんとなく明るく振る舞っていたが、経営状態は「ちょっとね」なんて状況ではないことは誰の目にも明らかだった。
西村さんはうんうんと頷きながら2個目のフルーツゼリーに手を出していた。
やっぱりこのフルーツゼリーは西村さんの趣味に合ったな、と俺は心の中でガッツポーズしたが、すぐに頭を現実に戻す。

希望の家の経営状態は右肩下がりでどんどんと赤字が膨らんでいる状況だった。
通常の経営では随分前に閉鎖をしていてもおかしくはなかった。
現在でも希望の家の運営が続けられているのは、どうやら赤字を他の事業からの利益でまかなっているようだった。

ただ、これまではそれでなんとか経営ができていたが、ここ数か月の希望の家の落ち込みは深刻で他の事業の利益だけでは賄えずついには借金をしている状態だった。
すぐにでも改善に着手しないと希望の家どころか会社が潰れてしまう可能性すらあった。


「お願いします越野さん。希望の家を救ってください!」

手塚社長からお願いをされたが俺はすぐに返事ができなかった。
この状態から果たして俺に立て直すことができるのか、正直自信はなかった。
特に前の会社から逃げてきた今の俺にはとても高い壁に思えた。
悩む俺に2個目のフルーツゼリーを食べ終えた西村さんが声をかけた。

「越野さんなら大丈夫だよ。それにもう辞めちゃったんでしょ、会社」

ニヤリと笑う西村さんに、だから事前に教えてくれよ!と心の中で俺は叫んだ。
そんな俺の心の内を知らない西村さんは3個目のフルーツゼリーを物色していた。


「まずは現場を確認しておくか」

俺は昔から分析をしている時に独り言が多かった。
声に出すことで自分自身の考えを再確認するくせがあった。

結局俺は手塚社長の申し出を受けることにした。
他に選択肢が無かったことも事実だが、久しぶりの経営を立て直す仕事にやっぱり気持ちは昂っていた。

これからやるべきことは途方もないほどありそれを考えると頭が痛くなるが、不思議と気持ちは前向きになっていた。
お裾分けでもらったフルーツゼリーを一口頬張った。
上品な甘みが口の中に広がった。

「お、なかなか美味いなコレ」

俺はまた独り言を呟いて、資料に目を戻した。

■■■

続く

中編はコチラ

後編はコチラ

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