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年賀状の配達でやらかした話

今日はお休みですが明日からは怒涛の7連勤が始まります。鋼の連勤術師と呼んでください。

こんにちは、コッシーです。


さて、ノー友の真咲さんが郵便局でのバイトのお話を記事にされていました。

実は僕も高校時代郵便局でバイトをしておりまして、その当時の思い出が脳裏に蘇りましたので、今日もまた便乗させていただきたいと思います。郵便の『便』は便乗の『便』です。


僕が高校3年の冬休みのお話です。

推薦で大学進学を決まっていた僕は冬休み特にやる事がありませんでした。うちの高校はなぜか大学進学者は卒業しないと自動車学校に通えないシステムでして、勉強もやらなくていい、自動車学校も通えない僕はバイトでもするかと考えました。

うちの高校は一般のアルバイトは禁止されており学校側が指定するアルバイトしか出来ないルールになっていました。

郵便局のアルバイトは学校指定のアルバイトの一つでした。その当時は男子は配達員、女子は仕分係と決まっていたと思います。

郵便局のバイトはそれほど人気が無く申込してすぐに採用が決まりました。僕は働いてお金がもらえれば何でも良かったので特に深く考えずにバイトの申請をしていました。

このバイトが後に僕を苦しめる事になるとはこの時は知る由もありませんでした。


配達員のアルバイトは基本的に自宅付近の半径1キロ圏内くらいを配達します。僕の担当軒数はおよそ200くらいだったように思えます。

配達する郵便物を郵便局に取りに行くのではなく、5つか6つくらいの配達エリアの郵便物が一つの事務所みたいなところに集められ、それを僕ら配達員がその日配る分を取りに行きます。

事務所は家から自転車で15分ほどのところにありました。事務所に着くとタイムカードを押してさらに帳簿みたいなところに名前と出勤時間を記入します。

事務所にはいつも僕と同じ年くらいの女の子がおり、その子から今日の配達物とあの郵便局員が乗っている自転車のカギを受け取ります。

郵便局の自転車に乗って自宅がある町にUターンし、それぞれの家に郵便物を配達するやり方でした。

配達を始めてから3日間くらいは指導員の方がついてくれました。お名前を忘れてしまったのでAさんとします。

Aさんは多分本物の郵便局員の方だったと思いますが、全く怒らない本当に良い人でした。優しく丁寧に指導してくれるばかりか、配達しきれない物があった時には、

「どこに配達したらいいか分からない手紙とか留守だったりしたら後で僕が配るから大丈夫だよ」

そんな風に言ってくれ、僕は安心して郵便配達をしていました。


普段の郵便配達の数は1日50件くらいでした。しかも慣れ親しんだ町での配達だったため地理は完璧です。全く大変ではなく、楽なバイトだなぁと思っていました。

しかしそんな僕の甘い考えをブチ壊したのが【年賀状】の存在でした。

むしろ冬休みの郵便配達のバイトはそれを配るのが全てと言っても過言ではありませんでした。

【年賀状】だけはいつもと違う方式でして、事務所に取りに行くのではなく、1月1日に配達する分が前日の12月31日に自宅に届き、自宅からそのまま配るスタイルでした。

なので、12月31日は配達を終えると事務所には戻らずそのまま郵便局の自転車で自宅に帰ります。

なぜそのようなカタチを取るかというと、年賀状はその量の多さから深夜から配り始めないと終わらないからです。どれくらいの量かと言うと僕の担当分だけでも、よくサンタクロースが担いでいるプレゼントが入っている袋が5袋くらい家に届きます。それを全て1日で配るわけです。

当然、1回では全部配れるはずがなく、何度も自宅に戻っては年賀状を持ってまた配る、それを繰り返すことになります。かなり過酷な業務です。しかしそれが郵便配達員の使命です。やるしかありません。

やるに当たりもう一つ大きな問題がありました。

当時僕は高校三年生の多感な時期です。そんな時に訪れる大イベント大晦日です。そりゃオールで友人達と遊ぶに決まっています。

たださすがにあの量の年賀状を配るためにはオールで友人と遊ぶのは厳しく僕は途中で帰るつもりでした。でも橋が転がっても笑えるお年頃です。友人達との大晦日の夜は楽しくて仕方ありませんでした。

青春は1度きり、仲間たちと一緒に過ごせる時間なんてごくわずかなんです。郵便配達員の使命も大切ですが仲間も大切なんです。僕はオールで友人と遊び寝ずに年賀状を配ることを決意しました。


年が明け仲間たちと「あけましておめでとー!」と言い合い、自転車に乗って丘の上まで行き初日の出を見て「今年もよろしく」なんて言い解散しました。

帰宅したのが午前5時ごろ。そこから地獄の時間が始まりました。

いくら若いと言ってもやっぱりオールで遊んでからの郵便配達はめちゃくちゃきつかったです。とにかく眠い、気を抜くと自転車を漕ぎながら寝そうになるくらい眠い。

あまりの睡魔に途中で全部年賀状を捨ててやろうかという悪魔の考えが過りましたが、さすがにそれをやってしまうと完全に人として終わってしまうので、必死で配り続けました。

半分くらい配った頃でしょうか。僕の眠気は最高潮になっていまして、もう寝ながら配っている状態でした。

郵便局の自転車がパトラッシュに見えてきて、いつでもフランダースの犬のあの名シーンを再現できるほどでした。

これはダメだ……

少しだけも寝ないと死ぬかもしれない……

頭で考えるのではなく本能が、細胞が僕に「寝ろ!」と叫んでいました。


10分だけ寝よう、そう思い道の脇にパトラッシュいや自転車を止めてその場に体育座りをして寝ました。

睡眠って本当に大切なんだな、そう実感してきた時、意識の遠くの方から僕を呼ぶ声が聞こえました。

「コッシーくーーん!!起きて!!起きるんだ!!コッシーくん!!」

その声にハッと目覚めると、目の前にはAさんがいました。

「コッシーくん!何やってんの!局に『まだ年賀状が届かない』ってクレームが入ったよ!どこまで配ったの!?」

Aさんの怒号が頭に響きます。最後の力を振り絞り「は、半分くらい……」と伝えると、「もういい!あとは僕が配るから!!」と言って残りの年賀状を全部Aさんが配ってくれました。

僕は「Aさんも怒ることあるんだなぁ…」なんて考えながら眠りにつきました。

さすがに大反省して次の日にAさんに謝罪をしまして、冬休みが終わるまでの残りの配達は滞りなくこなし、郵便配達員の仕事は終わりました。

次の年からは僕が郵便局のバイトに申し込むことはありませんでした。


もう今考えるとなんてことをしてるんだと信じられない気持ちです。あの頃の自分に会ったら間違いなく鉄拳制裁です。

本当に本当にご迷惑をかけてしまったAさんにこの場を借りて謝罪させていただきます。


Aさん、あの時は本当に申し訳ありませんでした。そしてありがとうございました。Aさんのおかげで僕は今、介護事業部の統括責任者をやるまでに成長しました。

また年賀状を配る時期になりました。あれから20年以上経過していますがAさんはまだ郵便局にお勤めでしょうか。

Aさんのような郵便局員さんのおかげで来年もみんなの手元に年賀状が届きます。本当に感謝しています。寒くなってきましたので、どうかご自愛ください。

僕はもう二度と完徹で仕事にはいきません。


それではまた。

コッシー



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