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カナダ逃亡記#12:ホームビデオで振り返る2011年

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2010から2011へ

2010年2月にカナダにきてから1年が過ぎた。実に色々とあった1年だった。
一般的には「大変」と思われる日々を送っていたが、子供たちはいつもと変わらぬ気楽な日々を送っていた。日常を「普段通り楽しく過ごす」ことを親としては大切にしていたので、それもそうだろう。彼らはその点では「優秀」だった。

僕はとにかく仕事がないものだから、子供たちと過ごす時間はたっぷりとあった。ビデオ作家(ビデオグラファー)として食っていくことを決めていたので、とはいえ仕事として映像を作る機会はとてもすくなかったので、家庭内でよくビデオ撮影をしていた。ホームビデオである。

カナダにいた期間、2011年が最も穏やかな年だったと思う。
僕らの暮らしをホームビデオで振り返ってみる。

チャーチル小学校 東日本大震災への寄付
2011年3月11日に東北で起きた大震災には、世界中からたくさんの寄付が集められた。
我が子らが通うチャーチル小学校でも、誰が言いだすでもなく募金をする事になった。「自発的な子供たちの行動」を巧みに引き出す校長先生のはからいで、日本出身の最年長だった僕の娘(8歳)が、その集め約になった。

P.R.A.C.T.I.C.I.N.G.
これは長男(6歳)がカポエラの練習に行って帰ってくるまでを撮ったもの。
新しいDSLRのカメラが欲しくて、「ではその前に何か映像作れ」と妻に言われ撮ったもの。


Strawberry Fields
トロント郊外のマーカムにあるイチゴづみ農園。他にもトウモロコシ、スイカなど夏のものが沢山とれた。初夏のトロントは清々しい。北海道と気候がにているかも。カナダ逃亡時代、一番平和だった頃。

CTV News ニュース番組のインタビュー
毎年夏にダウンタウンのオンタリオ湖沿いの広大なエリアを使って「カリバナ」という祭が開かれる。カリブ系の国々のパレードが有名なカーニバルで、アメリカからも沢山の観光客がくる。
僕はたまたま家族で遊びに行っていたが、パレードも終わった頃、突然、「パンッ、パンッ」と乾いた銃声が響いた。妻に目配せをして暗黙の了解を得たあと、急いで現場に駆けつけると、男が1人たおれ、警察が人工呼吸を行っていた。
その模様を撮影してその日の内にYoutubeにあげると、すぐにTV局から取材の要請があった。その時のニュース映像。
亡くなった方には気の毒だ。ピストルをちらつかせてる所を警察にうたれたらしい。

Daddy, Apocalypse now?
子供にラジコンのヘリコプターを買ってあげた。ヘリコプターといったら真っ先に思い浮かぶのが映画「地獄の黙示録」だったので、これをつくった。次男の表情がかわいかった。僕がニューヨークに住んでいた時から飼っていた、今は亡き老犬も出ている。

Halloween Party at School Gym
トロントでは普通に学校でカメラを回していても、特に注意はされなかった。肖像権とか個人情報がとか、まだあの頃はSNSも盛んではなかったせいか、誰にも何も言われなかった。
子供たちが通う小学校では、ハロウィーンの日は外部からDJを連れてきて子供たちを楽しませていた。楽しい小学校。公立の小学校でも「どうやってパーティーを楽しむか」ということが実践されている(かのようだ)。
ちなみに我が子らはiPodレゴに扮して、「ベスト変装賞」をもらっていた。

これは2011年に撮った素材で作った年賀ビデオ。日本にいる家族や友達に、年賀状の代わりに送っていた。
撮影していたものが「食べてる所の映像」ばかりだったので、それをテーマにした。


最後は2011年7月頃の映像で、アメリカンロビンの雛の話。
雨の中、ずぶ濡れになっていた雛を僕が連れて帰り、家で飼うことになった。新しい家族の一員のようにして可愛がって育てていたロビンだったが、ある日急に死んでしまった。

子供たちはとっても悲しんで、見ているこっちも大変切なくなってしまった。同時に子ども達にとっては良い経験だったと思う。全ての生き物はやがて死ぬ。だから全ての生き物に優しく対等であって欲しいな、という親の心である。

今でもこの映像を見ると、「あのころ」がよみがえってきて、切なくなる。

当時はただひたすら、家族としてどうあるべきか、みたいな題材を日々与えられていたような気がする。暇にまかせてホームビデオを撮りまくって、今になってみればそれは皆素晴らしい宝物だ。

<カナダ逃亡記#13>へ続く


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