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90歳一人暮らしの父への想い⑨

特別な帰省

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長距離の移動が大変だから、2泊3日で新潟に帰省した。

普段、帰省する時は、会いたい人が沢山いるので予定はギッシギシ(^-^;

しかし今回はこのようなご時世だし、父ちゃんのことが目的なので、
地元の友だちには誰にも連絡をしなかった。

正直寂しかったけど仕方ない。

2日目はホテルにこもって仕事をしてようと思っていた。
しかし久子さんから、午前中にLINEが来た。

「予定なければ足湯どう?」
とのお誘い。

コロナ禍で、人が多く集まるところは避けたかったが、足湯だったら外だし、気分転換にも良いのですぐにOKした。
足湯の行き先はどこか聞かなくても分かっていた。
地元の温泉だ!

お昼は別々に済ませて、午後からいかがですか? と私から提案してみた。

父ちゃんには、もう一度、やっぱりもう1度会っておきたい。
いつ何が起こるかなんて誰も分からない…。

そんな思いがフツフツとこみ上げてきた。

久子さんと会う前にちょっとだけ実家に寄ってみよう。そう決めて、行動した。翌日は帰る日だし、時間的に難しい。

実家への滞在時間はおよそ5分!

「父ちゃん明日奈良に帰るからね 、元気でいてね、身体大事にしてね!」

ストーブの前に横になっている父ちゃんにトントンと肩を叩きながら声をかけ実家を後にした。
涙がウッと汲み上げてきた。ヤバイ。

その後、久子さんと足湯に行った。
私の実家から10分ほど車を走らせれば、そこは温泉街。

見慣れた風景ではあるものの、所々新しいお洒落なお店も出来ていて、いつかゆっくり見てみたいお店が建ち並んでいた。

ちょっと都会じゃん!地元頑張れ!

地元の温泉でしばらく足湯を楽しんだ。その後ちょっとだけ温泉街を二人でぐるりと散策した。
3月の風はまだまだ冷たかった。
小さい頃から家族で来ていた温泉。地元の温泉。やっぱりいいなぁ。
またいつかゆっくり家族と来たいな。

新潟帰省最終日、3月18日。
この日は娘の中学校の卒業式だった。

ホテルのチェックアウトを早めに済ませ、いつも帰省の際に家族で必ず立ち寄っている大型書店の駐車場に車を停めた。
ここは駐車場も広いし長時間止めても大丈夫な所。自宅から持参したポケットWi-Fiが役に立った。

「よし、ちゃんと繋がった!」

娘の卒業式の映像を車中で見た。
なんだか不思議な感じがした。
成長した姿を画面越しで見てこれまた泣けた。

しかし、マスクをして卒業証書を受け取っていると皆同じように見えるのだ。
名前が呼ばれてから卒業証書を受け取るまでの時間差がある。
どれが自分の娘か判別しにくく、画面に食い入った。

ゆっくり余韻に浸っている暇はない…!
夕方の帰宅ラッシュと重ならないように、早めの飛行機を予約していた。

飛行機の窓から眺める新潟上空に別れを告げた。
山々はまだ残雪が残っていて、白く輝いていた。

あっという間の2泊3日の帰省だった。

でも父ちゃんの顔が見れて良かった。話せて良かった。

自宅に帰ると娘は卒業証書とともに、紅白饅頭をもらってきて私に見せてくれた。

「中学卒業おめでとう」

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ついにご対面

帰省から帰ってきた翌日、父ちゃんと父ちゃんの妹との再会が実現した。
父ちゃんの妹、そう、叔母さんは7人きょうだいの中の唯一の兄妹なのだ。以前は元気で自転車に乗って色々なところに出かけていたけど、数年前からは自転車を乗らなくなっていた。

私も叔母さんには大変お世話になっていた。
16年前、母が亡くなり、当時私は2ヶ月後に出産を控えていた。
母の葬儀の際に、叔母さんが妊婦の私を見て

「出産して里帰りしたら私お父さんと一緒に赤ちゃんをお風呂に入れてあげるから、大丈夫だよ! 心配しなくていいよ」

と優しく声をかけてくれた。
その言葉に有り難く甘えさせてもらっていたのだった。

私が娘を無事に出産し、退院した後の2週間 、毎日欠かさず実家に来て、沐浴を手伝ってくれた。
その時、父ちゃんと叔母さんは、娘をあやしながらとても仲良さそうだった。

沐浴のひと仕事が終わった後は、決まって2人でお茶を呑みながら、何やら色々と語り合っていたようだった。

今はお互い歳も取り、耳も遠くなって、昔のように会話は弾んでいなかったようだけど、心は通じ合っているんだろうな。

その後、久子さんから送られてきた、今回の再会の写真は、2人ともとても良い笑顔だった。

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断固拒否

父ちゃんと父ちゃんの妹との再会の時に、父ちゃんは本音をポロリと漏らしていたそうだ。
何かと言うと、「デイサービスの泊まりはこりごりだ 」ということ。

デイサービスでは夜寒くて、なかなか眠れなかったそうだ。
夜中に何度か廊下に出て、トイレまで行くのが寒くてしんどかったらしい。

ここでまた、無理やり宿泊を勧めると、デイサービス自体に行くのを嫌がりそうなので、軽く声がけする程度に留めて様子を見てもらうことにした。無理強いは禁物だ!

また、このところ父ちゃんは「背中が痛い 」と言うようになってきた。
心配の種が増えた。

久子さんとのあの出来事から2ヶ月、当時と比べると、父ちゃんの日常の動作もだいぶ変化しているみたい。
動作だけでなく、外見もLINEで送ってきてもらう写真では、髪の毛がボーボーで伸び放題。3か月も床屋に行っていないそうだ。

見かねて「今度天気のいい日に1度床屋さんに連れて行くね」と言ってくれた久子さん。本当に有り難いです。そして、3月末にそれは実現し、だいぶ表情も明るくなって、生き生きと見えるようになった。 良かった!

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桜の季節の4月

「今日も元気にご飯を食べてます」と久子さんから嬉しい報告が…。
4月に入って、ようやく暖かくなったきて嬉しい反面、私と久子さんはある心配を抱えていた。

それは実家の建物の老朽化問題。

私たち姉妹がどちらか後を継ぐのであれば、自宅も思い切って家を建て直すとも以前話していた父ちゃんだった。
しかし、私も姉も結婚して家を出ることになってしまい、築50年以上経った今、家の あちらこちらで雨漏りも出てきている。

以前、父ちゃんは自分で屋根に登って、日曜大工をしてたけど、今はそれも難しくなってきた。身体がしんどいのか、自分で家事をすることもほとんど最近はなくなってきた。

家事支援ということも考えたが、それすら、良い選択なのかわからない。

暖かくなれば、害虫などの心配も増えてくる。 そして、この先も身の回りのお世話を、ずっと久子さんにお願いする訳にもいかない。

デイサービスからグループホームへの移動は難しいと考えた時から、私と久子さんは、他の介護施設などを色々と当たってみていた。

その中の1つが一番条件的にも良さそうだった。そこは久子さんが、以前看護師として働いていた施設だった。

久子さんは、元職場の方との交流も今もある。そして久子さんのお義母様も入所しているとの事。
それはとても心強い。

しかし、施設にはコロナワクチン接種をしていないと、入所するのは難しい可能性があるとの情報が入ってきた。

大丈夫かなぁ?

更に自宅生活が長くなってしまうのかという不安が広がって、この先のことが心配になってきた。

いよいよ、次回最終章になります。



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