ギバーを素で理解している人の考えってこんなんだよね
この世界は一人じゃ生きていけない。比喩でもなんでもなく、一人だとすぐに路頭に迷ってしまうのが人間だ。
何をするにも誰かの助けがないと生きていけない。だれも一人だけで生きている人なんていない。
お金を使う
仕事をする
道具を使う
これらすべて、他人がいないと成り立たないこと。
お金が使えるのは、お金を使うことで人を動かしているのと同義だし、仕事をするのも、その仕事に人の需要があるから。道具を使うのだって、その道具を作るすべての人がいないと成り立たない。
だから、僕らは他人がいないと生きていけない。
単純に孤独になると、精神的に不安定にもなりますしね。
なんてのはよくいわれているやつだ。これは誰が言い出したのだろう。僕が聞き出したのは、『スマホ脳』や、『運動脳』での著者でおなじみのアンデシュ・ハンセンさん辺りからだが、おそらくもっと前から言われているんですよね。
まぁそれは置いておいて、人は誰かの力を借りて生きているわけですよ。だから、
なんてのは土台、無理な話。他人の力を借りずに生きていくというのは、お金を使わないことだし、仕事をしないことでもある。そりゃ中には自分一人だけで、森の中で生きている!って人もいるかもしれないけど、その人だって、人工的な道具を使って生きているはずだから、結局は他人の力を借りて生きているわけだ。
だから、結局はどこかで僕らは他人の力を借りて生きていると自覚した方がいいんですよね。
なんでこんなことを言っているか。
僕は他人の力を借りるのが苦手なのですよ。そりゃね、間接的に他人の力を借りて生きているのに変わりはないのですが、
声を出して誰かに助けを乞うことが、どうも苦手なんです。仕事でもそうで、できるだけ自分の力だけで物事を進めたくなるタイプ。これは単純にコミュニケーションが苦手というのもあるのですが、まぁ、他人に声を上げて助けを乞うのが苦手なんです。
そうなると、キャパオーバーになったり、変に気を負いすぎたりするので結局うまくいかない場合が多い。だから、これを変えたいのです。他人の力をうまく借りられる人になりたいのです。
なんて言葉があるじゃないですか。ギバーは与える人。テイカーは奪う人。マッチャーはその中間。
そして、一番得をするのがギバーであり、一番損をするのもギバーだ。成功者というのはギバーである!なんてのもよく言われているやつです。
これを聞くと、自分はギバーになろう!誰かに与える人になるために、誰かから奪うのはやめよう!!
なんて思う人もいると思うんです。これをはき違えると、すべて自分だけで完結させようと誰かの力を借りるのも、ためらってしまう人が出てきてもおかしくないと思うんです。
しかし、これって間違いなんですよね。本当のギバーってのは、どこかでうまーーくテイカーになっている部分もあるんですよ。
うまくテイカーになるってどんなやり方かって、ギブをする時に他人を選ばないってところだと思うんです。本当のギバーってのは、
と、心の奥底で何となく感じているんだと思うんです。表立って言葉にしなくてもね。
だから、結局ギバーとして生きている。そして、そういった人は他人の力を借りるのにも躊躇しない。
本当のギバーってのは、素でそれができている人で、人生がなんとなくうまくいている人も、これを肌感覚で理解している人なのだと思う。
だから、僕はこれになりたい。誰かを助けるのが、まわりまわって自分の為になるのだろうから。
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