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『根拠のない自信を持とう!』の落とし穴

根拠のない自信を持とう!

よく言われている、自己啓発の一つだ。

これ、どうですかね。
みんなありますかね。

僕はあります。
…いや、あったというのが正解かもしれない。

根拠のない自信を持つのは、自己啓発的には正解なのですが、これを少し間違えて捉えると、大変なことになる。

僕は身を持って経験しています。



根拠のない自信の危険さ

根拠のない自信は、履き違えると危険です。

僕は、小さな頃から根拠のない自信を持っていました。

なぜか小さな頃から、親や知り合いに、「お前は頭がいい」と褒められていた。

なので、それを真に受けて、「自分は頭がいい。他の人間はバカだ」と、ずーっと思っていたわけです。

そんなことを小さい頃から思っているとどうなるか。

努力をしない人間になる。

なぜなら、努力をしなくても自分は頭が良いから。
努力をしなくても、他の人は自分よりバカだから。

こんなことを思いながら、人を見下しながら生きてきたわけです。

まぁ、途中で気づいてはいるんですけどね。
周りより、勉強はできないし、要領は悪いし、学生の頃なんかには気づくわけです。

自分はできない人間側だって。

しかし、そこでも自分を守ろうと、根拠のない自信は続く。

勉強なんて、やろうと思えばできるし。
勉強ができるのと、地頭じあたまが良いのは別だし。

なんて、根拠のない自信を盾にして、自分を守ろうと必死になる。
そして、その盾があるから、もちろん努力もしない。

見なくてはいけないものを直視できず、架空のイケてる自分を想像して、なんとか体裁を保ってきたわけです。

根拠のない自信は、時に破滅を与えます。



自信は根拠を手に入れてから

自信は、根拠を手に入れてからのほうがいい。

もちろん、根拠のない自信をもつのを全否定するわけではありませんが、できれば根拠は持っていたほうがいいわけです。

根拠を得るために頑張る。

そんな努力をするべきだと思うんです。

僕は、今日で500日noteを毎日更新しました。

こういった、根拠は自信になる。
どこか自分が自信を無くしそうな時、この根拠は倒れそうな自分を支えてくれる柱になる。

だから、根拠だ。
自信を得るためには、凡人には根拠が必要です。

おはようございます!


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