明け方の反省文
深夜に目を覚ましたとき時計を見ると、伸縮自在だったはずの時間が分断されて、固く短いゴムホースの切れ端になってしまう。いくら毛布を重ねても正体不明のさみしさが沁みてきて、体の芯がずっと冷たい。何度も何度も寝がえりを打つ。そろそろ朝になる頃かな、とまた時計を見ると数分しか経っていなくて、仕方なくスマホを触っても特に面白いこともなく、ブルーライトを浴びた目だけが暗闇のなかで冴えていく。
一緒に寝ている人がいたら抱きつきたいが、そういうとき相手がすやすや眠っていると、「私がくノ一だったらあなた死んでますよ?」と思う。もっと野性の本能をとりもどしてほしい。私が目を覚ましたら気配で察知し、瞬時に跳ね起きて抱きしめるのだ。そうすればこちらも胸を打たれて、懐刀をカランと落とし、使命を捨てて愛を選ぶだろう。……などと考えているうちに気が紛れて、そのまま眠れることもある。しかし現実、人がいないしな……と素に戻ってしまうともうだめだ。二度寝もできず長々し夜をひとりかもねむ。という状況は耐えがたいので、決死の覚悟で夜にあらがう。煌々と明かりをつけてブルーハーツの「人にやさしく」を歌いながらパスタを茹でたり、今日はAM2時~9時出勤だ! と決めてPCを立ち上げて仕事をしたりして、朝が来てからぐっすり眠る。ただしこの過ごし方は心身の健康にすこぶる悪い。翌々日まで不調が続く。今日もすでにそのコースだ。
こんなふうにして朝を迎える日には、綿矢りさ『蹴りたい背中』の一節を思い出す。主人公の女子高生がファッション誌を開き、女性モデル「オリチャン」の連載コラムを読むシーン。そこには可愛らしい文体で、眠れない夜の対処法が書いてある。
(眠れないときは)部屋の電気を消して、でもわざと机の上の電気スタンドだけをつけっぱなしにするんだ。そして、その電気スタンドの光からかくれるように、羽根ぶとんを頭からかぶって、かくれんぼしてるような気分で、部屋のすみっこでちいさく丸まるの。そうしたら、ひそやかなワクワクが体を満たして、幸せな気分になって、やがて眠くなる…………Zz
読み終えた主人公はこう考える。
幼い人、上手に幼い人。そして彼女の前にいた泥臭く幼い私。
小さな子どもをあやすように自分を寝かしつけ、さらにその姿をパフォーマンスとして昇華する。オリチャンは泥まみれのインナーチャイルドを洗い清め、愛嬌や純真さだけを取り出して魅力的に見せる術を知っている。精神的成熟とは、幼さを無くすことではなく、上手に幼くいられるようになることだ。
私が不眠になりやすい一因は、幼さのコントロールが苦手なことにあると思う。自分の幼児性をほとんど表に出さないように気を張るか、暴走して出しすぎてしまうかの極端だから、日中ため込んだストレスや失敗経験のフラッシュバックが夜にぶわっと押し寄せてくる。
幼さも技術のひとつなら、家事や仕事のスキルのように、訓練でうまくなるはず。今年こそ上手に幼くなりたい! なんて30歳過ぎて考えてる時点で、幼すぎるのかもしれないけど。
おやすみなさい。
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