亡くなった顔の話
伯父が亡くなったと連絡がありました。
何年も入院していたし危篤も何度かあったので、突然の訃報という訳でもありませんでした。
斎場が混んでいて朝早い時間の家族葬になり、無理しないでいいよと言われたので、顔だけ見に行くことに。
斎場の伯父はまだ棺には入っておらず、白い布団に白い布をかけられて寝ていました。
最後に会ったのは入院したばかりのコロナ前だったので、顔を見た時は「痩せたなぁ」という感想でした。
亡くなった人の顔を見る前は、いつも一瞬「コワイ」と思います。
生きている時と確実に違う顔になっているからです。
これまで会ってきた「亡くなった顔」は、親戚の「ある程度年齢がいった人の、老衰か病死」なので、「身体が闘ってきて、その最後」という印象。
「この身体は、闘い終わってもう動かないんだなぁ」と感じました。
一度だけ、そうではない顔を見たことがあります。
自殺をされた方です。
すごく親しい方ではなかったのですが、ご連絡をいただいてお通夜に行きました。
棺のお顔を見て、ビックリしました。
生きているようにしか、見えない。
マンガ「タッチ」で和也が事故死した時、達也が南に「眠ってるようにしか見えないだろ」って言うの、本当だなと思いました。
白装束ではなく普段着のシャツを着ていて、棺の中で眠っているようにしか見えない。
三十代で若い方だったせいもあり、肌もキレイだし普通に目を覚ましそう。
病死や老衰って、命のエネルギーを使い切った顔なんだな。
事故死や自殺は、エネルギーはまだ残っているのに突然断ち切られたため、顔が変わらないんだなと思いました。
正直な感想は「この顔で亡くなられたら、家族はツライだろうなぁ」ということでした。
今にも起きだしそうなのに、お別れしなくちゃいけない。
別に「やつれて死んで欲しい」ということではなく、単に「死を信じられないだろうなぁ」と思います。
「自分はどう死にたいか」を時々考えます。
葬式はどこでやるかとか、遺品をどうするかなどの現実的なものではなく「理想の死に方」ってやつですね。
叶うならば「SFやマンガで時々ある、サラサラと砂みたいに消えていく」のがいいなぁと考えます。
親しい人にだけ「いままでありがとう。さようなら」のメッセージだけ届く、みたいな。
そういうサービス、すでにありそうですが。
砂になる方は、当分無理かなぁ。
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