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【雑記】対等であることが今は大事ー年齢=知識豊富の崩壊ー

こんにちは、こしぇるです!

今回は、ここ3年くらいで学んだというか、なんとなく思ったことを書いていきたいと思います。

人が何か考える時に使うのは、その考えている瞬間に持っている知識だと、私は思っています。

何を当たり前のことをという人もいると思うのですが、学校で学んでそれを使って導き出すということを、私生活でも無意識にやっているんだなと思います。

これって何をするにも、基本に立ち帰る時に大切ですよね。

この当たり前の基本を考えていると、その持っている知識量が良し悪しの一つの尺度になっているように見えることがあります。
持っている知識・情報が多ければ多いほど、良いという感じで。

どうして、知識が多ければ良いという解釈なのだろうといつも不思議に思っています。
さらに不思議なのは、年齢を重ねることと、この知識が豊富であるというのが、同じと捉えている人がいることです。

もしかすると一昔前は当てはまったのかもしれません。
知識を得るにも、限られた方法しかなかった時代であれば、同等の意味合いになっていたんだと思います。
だからこそ、年長者を敬うや親の言うことが正しいという解釈も、おおよそ当てはまることが多かったんだろうなと。

でも今は、すぐそこに情報源があって、知識がいつもそばで支えてくれます。
そうすると、同等ではなくなると思いませんか?

今の時代、この年齢を重ねるほど知識があって、かつ知識が豊富なほど良いというのが、崩壊していると感じています。
これが良いことなのか悪いことなのか、正直判断はできないけれど、いつまでもこの概念に囚われていると、年齢が上な人ほど偉いという考えになっている人もいるのかなと思っています。

今、徐々に年齢がとかではなく、個々人の知識が活きる時代で、このnoteも自分の持っている有益な情報を提供されている方もいらっしゃると思います。
この概念が崩壊したからこその文化ですよね。

また、崩壊したからこそ、その人のことをちゃんと見て、思っていること・感じていることを聞くことが、とても大切だと学びました。
年齢など関係ない、対等であると。

ここ3年で学んだことでした。
ではまた!

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