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11. 卒研のこと/ Sobre tesis

そうそう、大事なことを書き忘れていた。

僕がパラグアイにやってきた理由として、

自分の力を試すために「仕事(就職)」をしに来たというのが一つ。


実はもう一つ理由がある。

「卒研(学園村)の実現」だ。


卒業設計は大学4年生が学生最後の集大成として取り組む課題だが、

言ってしまえば計画だけの話。

言い方は悪いが、空想の世界だ。

*僕らの研究室では、建物の建築デザインだけでなく「社会へのインパクト」、「ビジネスとしての事業性」、「計画の実現可能性」、あらゆることを考えさせられる。


だが、卒研がその人(学生)の人生を大きく左右すると言っても過言ではない。

約1年間、課題と向き合う。

それは、自分と向き合うことを意味する。

卒業と就職を前に、悶々とした葛藤の時間を卒研と共に歩む。


そして、僕も卒研によって人生を大きく、大きく左右された人間の一人だ。


「人生、何があるかわからない。」


Y先生がよく口癖のように言っていた。

まさに、その通りだ。


今でも、忘れられない恥ずかしいエピソードがある。


学内での卒研発表会

トップ賞を獲得した僕と上位者は、同級生、後輩、教授たちの前で、

それぞれの想いをコメントした。


トップ賞に驚いて、何もコメントを用意していなかった僕は、

何か言おうと、口を開いた。

多分、その時点で唇は震えていた


「先生がよく、人生は何が起こるかわからないと言っていま・・・。」


僕は泣き出してしまった。

あんなに大勢の前で泣いたのは初めてだった。

というか、人前で泣くのは初めてだった。

さらに言えば、物心ついた時以来、泣いたのが初めてだった。


涙が止まらない。

言葉も出ない。

トップとしてのコメントをしないといけないに。


顔を上げると、Y教授がニコニコと笑っている。

周りの同級生も笑っている。


次点だった、同じ研究室のSが笑いながら僕の肩を叩いてくれた。


そのまま、僕は卒研のことも、感謝の気持ちも、ろくな挨拶もできずに、

席に戻った。


卒研を初めて最初の頃が本当にしんどかった。

22年の短い人生の中で、あそこまで否定されたことは初めての経験で、

温室育ちで甘やかされて育った僕にとっては、ある意味屈辱の日々だった。

でも、その苦労が報われた喜びからの涙だったと思う。


今、思えば、それは愛のムチの何ものでもなかった。

Y先生には心から感謝しかない。


Y先生はよく、「海外に出ろ」と口癖のように学生たちに言っていた。


同期のSは中国への就職を早くに決めていた。

多くの先輩も海外に出ている。

その言葉は、僕の背中を海外へと押し出すきっかけの一つにもなっている。


Y先生が学生を海外に送り出す理由は下記の通りだ。

全国的なコンテストで入賞する学生が、大きな設計会社などに就職しても、ブラック企業でボロ雑巾のように扱われ、何も本人のポテンシャルを発揮せずに人生を過ごすことになる。中には病気になったり、鬱になったりして、離職する者もいる。であれば、まだまだ可能性のある海外へ飛び出た方が、彼らの才能を発揮することができる。成熟し切った、上には上がいる日本市場で闘う必要はない。
海外へ出ろ。


この考えは、全く間違っていない。

それは僕が胸を張って言いたい。


そうそう、話が逸れてしまったけど、


僕パラグアイでのミッションは、
僕の卒研である「学園村」をいつか実現させることだ。

空想のままで終わらせないために。


写真:新潟日報に掲載された記事

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