18.GOという映画について/ Sobre Cine “GO” (3)
続いて僕が好きなシーンを。
杉原の友人のジョンイルは、真面目な秀才です。
ジョンイルの夢は、
「民族学校の先生になること」です。
後輩たちが、もっと世界に飛び出していけるようにと。
ある日、暴力教師のキンキンが、杉原に説教+暴力を浴びせかけている時、
教室の向こうでジョンイルが言いました。
「僕らは国なんて持ったことなんてありません。」と。
それ以来、二人は親友になります。
確かに日本で生まれているのに、
日本人とは教育を受け、国籍がわかれば差別を受ける状況では、
北朝鮮を自分の国(祖国)とは思いたくないでしょうね。
自身のアイデンティティが欠落する要因になったと思います。
僕も以前、現地の日系人の若い人に、
「自分は日本人だと思う?それともパラグアイ人?」
という、愚かな質問をしたことがあります。
価値観は人それぞれですが、その子は黙りこくってしまい、
回答をもらうことはできませんでした。
ジョンイルは杉原に文化的な面で、たくさんの影響を与えてくれます。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」や、落語集など、
好きなものを杉原にすすめ、杉原もそれらを好きになります。
ジョンイルの別の夢は、学校の文化祭で落語の独演会を『日本語』ですることでした。
残念ながら、ジョンイルはある日、事故で亡くなってしまいます。
このシーンも非常に悲しく、感慨深いです。
ここまで国籍によって、差別が起こるのか。
見た目も変わらず、日本で生まれて、日本も話すのに、
理解に苦しみますが、そういった現実があった(ある)ことを僕らは知ることが大切だと映画を通して、思いました。
なんか、だんだんとキリがなくなってきてしまいました。。
もっと書きたいことがある映画ですが、
次の段落でひとまず終わりにしたいと思います。
「薔薇という花に別の名前をつけても、美しい香りは変わらない。」
ロミオとジュリエットの中のセリフです。
恥ずかしながら、僕はまだこの本を読んだことがありません。(読みたいな・・)
このセリフ、すごく好きです。
ストレートに言えば、
「名前なんて関係ない、君は君だ!」
と、いうことです。
映画のラストシーン、
久しぶりに電話で桜井に呼ばれた杉原は、
このセリフに似た言葉を強く吐き出します。
「ライオンは自分のことライオンだなんて思ってねえぞ。人間が勝手につけた名前じゃねえか。」
「俺は何者でもねえ。クエスチョンだ。物体xだ。こえーだろ!」
など。
まさに、杉原の心の中の葛藤が雪崩のように吐き出されます。
最終的には、こういった国籍を超えて、二人はお互いに理解し合い、
ハッピーエンドで終わる。かな?
僕の話で言えば、
まず名前が珍しいということは、そこまで悪い影響はなかったですが、
一般的な名前ではないので、少し違う色目で見られていたという違和感はあります。
だからと言って嫌な思いをしたわけではないです。
そして、パラグアイへ来て思ったことは、
日本を出てしまえば、名前なんて全く関係ない、
国籍もあまり関係ない(むしろ日本人はメリットも多い)。
そして、今まで積んできた経験やスキルもほぼリセットされてしまいます。
良くも悪くも、再スタートができると思います。
パラグアイで街中を歩いていると、
「Coreano!(韓国人)」と呼ばれることがあります。
こちらの人からしたら、見た目が同じなので仕方ない。
日本で、日本人が海外の人を見たら「外人」と言ってしまうのこと一緒かなと。
人によっては嫌悪感を示すかもしれませんが、
僕が鈍感なので、全然気にしません。
言った側は別に悪気はないし、ただの冗談みたいなもんです。
「Japones(日本人)」と言われたことないのは、少し寂しいけど。
とはいえ、杉原のように、名前も国籍も、
人間の真意としては、とてもどうでもいいと思うのです。
もちろん、政治的、社会的、外交的に重要だとは思いますが、
あくまでも僕らは地球に住む同じ「人間」だということは、
常に、感じ、考え、思っていきたいです。
以上、GOという映画から学んだことでした。
では、また。
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