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63. 父親のこと/ sobre mi padre(4)

自分でも、よく親父のネタでここまで書けるなあと思ったけど、

まだまだ書けそうです。


もう少しお付き合いください。


親父からの音楽の影響は大きいです。


彼が旅行やドライブが好きだったこともあって、

常に車の中では音楽が流れていました。


仕事場でも、事務所ではいつもラジオかラジカセで音楽が流れていました。


どんな音楽かというと、


フォークソングや、歌謡曲、少しロックといった感じでした。

主に邦楽で、洋楽は少なかったように思います。


吉田拓郎

長渕剛

南こうせつ

ブルーコメッツ

などなど


かなり忘れてるなあ。

復習しないと。


洋楽ではベンチャーズをよく聞いていましたね。

親父は中学くらいからギターをやっていたので、

ベンチャーズの影響は大きいようです。



ベンチャーズは僕も思い出深い音楽です。


高校3年からドラムを始めた僕ですが、

親父とのコラボでよくベンチャーズのセッションをしていました。

割と叩きやすいので、僕は練習のつもりで。

親父は僕からの誘いがあるといつも嬉しそうにギターを弾いていました。

親父から誘われることはあまりなかったですね。


「今日は叩かないのか?」

そんな感じでした。


「今日もセッションしよう。」

と言ったら、僕に煙たがられるのがわかっていたのでしょう。

いつも控えめな、うまい対応だったと思います。



吉田拓郎の「春だったね」や「結婚しよう」などは、

よーく流れてました。

最近になって聞いてみたのですが、やはりいい!

拓郎の声はいいですねえ。

なんであんなに魅力的なんだろう。


長渕剛だと、「とんぼ」や「シャボン玉」がよく流れていました。

これらもいい曲ですねえ。



当時だと、ビートルズとかも全盛期だったと思うのですが、

そこら辺は全く聞いていませんでしたね。



親父が洋楽も聞いていたら、僕の人生も大きく変わっていたと思います。


そう考えると、

親の音楽の趣味ってすごく大きいですね。


僕も子供ができたら、いい音楽をたくさん聞かせて育てていきたいですね。




親父のギターは決してうまいわけではないです。


リズムギターをシャランシャランと、

ラジカセに合わせて、コピーするくらいで、

特別にすごいテクニックがあったわけではありませんでした。


本人曰く、手も小さく、指も短いと言い訳にしていたように思います。


実は、僕が最初に買ってもらった楽器はエレキギターでした。


中学卒業のお祝いということで、親父が買ってくれました。


1万円の安―い、オレンジ色の派手なやつでした。


少しだけ触ってみたんですが、

全然弾き方がわからないし、そもそも音合わせのチューニングもうまくできませんでした。


今思えば、なんで親父がギターの基礎を教えてくれなかったんだろうとも思いますが、

僕が聞こうとしていなかったのかもしれませんね。


結局僕は一曲もギターで弾けることなく、

入手してすぐに挫折してしまうのでした。



親父がギターを始めた頃、

ある友人に基本のコードを教えてあげたのだそうです。


その友人はめっきりギターにハマり、

関東でバイトをしているときに、あの桑田佳祐にサザンに入らないかとオファーをされたくらいだそうです。


詳細は忘れてしまいましたが、

その友人はぼくの地元で、かのやというお店のマスターをしていました。

つい最近亡くなってしまったようですが。

残念です。お悔やみ申し上げます。


そんなマスターの伝説が親父の中の自慢話の一つでした。




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