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#人の家の話 3 「ほぼ100パー出ねえぞ」

2022年2月26日。アメリカ出発二日前になった。ワクチン接種証明の発行だったり、絶妙にアクセスしづらいところにある保健所で渡航届を提出したり、面倒な手続きを進めて、今日まできた。面倒な手続きを一つずつこなしても、実感が湧かなかった。
航空券を購入してからのこの間、卒論の提出もあったし、ずっと書きたいと思っていたnoteの作成もしていたし、何かと忙しなかった。あっという間の数週間だった。
アメリカ出発前に安心できるように、出発前日の明日に結果が出るPCR検査を受け、100均で旅行グッズを購入した。100均からの帰り道、大学の前を通った。今日は入試があったみたいで、試験終わりの受験生たちが続々と校門から出てくるところだった。
僕は高専から富山大学に2020年の春に三年次編入した。大学で過ごした二年は、コロナともろ被りで、思い出らしい思い出を一つ作ることなく卒業しようとしていた。友だちも一人もできなかった。向こうは友だちと思ってくれてるような人たちは大学に何人かいたが、その人たちは僕が卒業後に一年間専門学校へ行くことを話すと、「せっかく国立出たのに最終学歴変えちゃうなんてもったいない」とか平気で言ってくるつまらない人たちだった。
まあコロナがあったから、オンラインで楽に単位を取り終えて、いつも趣味を全うしに県外へ遊びに行けてたので、僕はコロナをそんなにネガティブに捉えていないのだけど、緊張した様子の高校生たちを見ていると、「この子らには楽しいキャンパスライフが待っているといいな」というおじさんみたいな感情が湧いてきた。
エモくなったのでとりあえずTwitterに吐き出した。するとそのツイートに「もう出発か?」と、イケメンさんのお父さんが反応してきた。恥ずかしい感情でもツイートすると、何かが待ってたりするものだ。とりあえず明日、お父さんと何時かわからないけどどこかで会う、という漠然としまくった予定ができた。「イケメンに荷物持ってってくれ」とのこと。竹ノ塚へ行かなきゃいけないパターンか。



出発前日になった。昨日受けたPCR検査の結果は、陰性だった。たぶん今日も大丈夫だとホッとするところから一日が始まった。
新幹線に乗る前に富山駅にいたら、イケメンさんのお父さんから電話がかかった。僕が東京に着いたら上野まで迎えに来てくれるそうで、一緒に昼飯を食べた後、浅草で降ろす、と言われた。ちなみにイケメンに渡してほしいものは、スニーカーとジャージらしい。見事にかさばるものだった。

新幹線を降りた。電話で聞いていたとおり、上野駅前のマルイのほうへ向かったら、イケメンさんのお父さんがいた。ここに荷物入れて、とトランクを開けてもらった。僕を乗せる前にちょっと掃除した様子もない散らかりまくった車内だった。でも、かえって居心地が良かった。

「昼、デンジャーね。浅草の方食いに行こう」

「あっマジすか。はい、お願いします。浅草って…」

「松永いない方」

「ですよね。お願いします」

車に乗っけてもらって、まずは僕のスーツケースを置きに水道橋のホテルへ向かった。
僕は小さな頃から車に乗る習慣がなかった。車に乗る時間は特別な時間だった。父は車を持っていたけど僕が小さい頃に離婚したし、一緒に暮らしていた母は僕が小学校低学年の頃に車を売り払ってしまったから、なかなか車に乗る機会がなかった。
「富山で車がないとかやってけないでしょー」と、みんなには驚かれる。だけど、どんな場所へ行く時も公共交通機関を利用する習慣が小学生の頃からあったから、何も苦に感じずに一人でアメリカに行けるほどには育ったのだと思う。
車に乗ると思い出す。車を売り払う前の母が週末に隣町のラーメン屋に連れて行ってくれたこととか、友だちの親が富山でプロレスの巡業があった時に送迎してくれたこととか、高専生になって友だちの車でドライブしたこととか。
もう数え切れないほど、これまで何度も一人で東京にやってきたけど、東京で誰かの車に乗るのは初めてだった。東京に着いたら迎えてくれる人がいて、その人の車に乗ってステーキを食べに行く。なんて特別な時間なんだろう。

「春で大学は卒業だっけ?」

「そうです。富山大学卒業して、次は英語の専門学校にもう一年通います」

「おお、いいじゃん。じゃあまだ学生なのか」

「はい。卒業してもまだ学生です」

「おう。…えっと、じゃあ向こうではどれだけ見るんだ?」

「現地時間の月曜の夜にオーランド着いて、火曜にまずNXT。水曜にオーランドからちょっと移動してAEWのテレビ放送。で、またオーランドに戻って木曜にAEWの収録マッチ。金曜にまたAEWのテレビ放送。土曜はAEWの選手たちのサイン会で、日曜にAEWのペイパービューって感じです。だから……5大会、1イベントですね」

「おお、結構盛りだくさんじゃねえか。楽しみだな」

前回この人の前でAEWの話をしたらブチギレられたが、今日はニコニコしながら「楽しみだな」と言ってくれた。酔わないといい人だ。

「最近プロレス見たりします?」

「この間スターダム観に行ったけど、おもろいな」

「あら。いま男子が全体的につまんなくなってるけど、スターダムは止まらないですもんね」

「もうね……みんな可愛いんだよ」

「あーわかるなあ。僕も2年前に後楽園行きましたけど、生で見ると、なんかみんなかわいいんすよね。ありゃ人気出るわって思いましたもん」

「こないだウチの店にもウナギ来たけどね、近くで見たらもっとかわいいんだぞ」

58歳が22歳に何の話してんだか。おじちゃんと若者の会話を乗せた車がまっすぐ走っていく。

「そういや、おと…お父さんはデンジャーたまに行くんですか?」

「うん。ほんとたまにね」

僕の中でこの人の呼び方が定まってない。一部の常連から「マシター」と呼ばれているけど、「マシター」というあだ名が誕生した背景を知らないから当たり前のように「マシター」と僕が呼び出すのは気が引ける。間をとって「マスター」と呼んでみたこともあったが、どうもしっくりこなかった。黒潮の常連さんやプロレスファンが言う「パパ」や「イケメンパパ」の愛称は、なんか恥ずかしくて、僕の口からは言えない。スナックの「ママ」も、鍋屋の「パパ」も、22にはキツい。
そこで今さらっと「お父さん」と呼んでみた。一番無難な気もするし、一方で勝手に樋口家入りしてるみたいで変な気もする。だけどとりあえずこれが一番しっくりくる。

「デンジャー行ったことある?」

「リベラは一回あってもデンジャーないんですよね」

「リベラは一回あるんだ?」

「4年前に、五反田の方ですけど行きましたよ」

「人気じゃない方か」

「日曜の夜の閉店1時間前くらいに行ったらマジでお客さん誰もいなくて」

「そんな感じなのか」

「んでカウンターに座ったんですけど、厨房にいる店の人がいっこうに僕のとこに来なくて。セルフじゃなさそうだし、水出してくれないのかなと思ったら、厨房からジューって音が聞こえてきて。そこで『すみませーん』って言ったら、『ワンポンドでしょ?もう焼いてるから〜。水も一緒に持ってく〜』って言われて」

「お〜。やばいな」

「まあ確かにリベラといえばみたいなところあるからワンポンド注文するつもりではあったんすけど、当時高3の僕に4,000円はまあまあの出費ですよ。それを勝手に決めるって…。ってことがあってから行ってないすね」

「そうなるわな。まあ俺はデンジャーのほうが好きだぞ」

「ますます楽しみですわ」

車が水道橋駅西口前に着いた。今日の宿はSequenceというホテル。オリンピックのインバウンド向けに作られたホテルだけど、このコロナ禍ではその需要もなく、破格で宿泊できた。今日も二人部屋を一人で4,000円ちょっとで泊まる。
後部座席に移動して、イケメンへの荷物をスーツケースに詰める。お父さんからは「横30cm、縦30cmくらいの荷物なんだけどスーツケース入るか?」と電話で言われていたが、それより全然大きいであろう荷物を渡された。僕はスーツケースの他にも大きなバックパックを持っていて、ほとんどの荷物をバックパックのほうに詰めていたので、一応スーツケースに余裕はあった。
「おう、まだ入れそうだな」と言って、お父さんは九州ラーメンを何袋も渡してきた。僕は「まあなんとか」と言って、無理やり詰めた。

「お?おまえー、それー、壮士朗にか?」

僕のスーツケースの中に入っている蒙古タンメン中本のカップラーメンを見て、そう言った。お父さんは今日イチの笑顔を見せた。最近イケメンさんはKUSHIDAとNXTの控え室でだべってる様子をYouTubeにアップしている。そのYouTubeチャンネルで「日本に帰ったら何したい?」という話題になった時に、イケメンさんは「中本と風呂とパチンコ」と答えていた。

「そうです。イケメンさん好きなんですよね?」

「そうそう」

イケメン本人にアメリカで渡した時に返ってくるであろうリアクションを超えるくらいニヤニヤしているおじさんがいた。

「そうだ。こうせんー、おまえー、向こうで着る服ないだろ?」

着る服くらいあるに決まってるよ。でも一応「あざす」と言って、僕は沖縄プロレス13周年記念Tシャツを受け取った。お父さんはいつも会ったら何かくれる。WWEに行って捌けなくなっちゃったイケメングッズの売れ残りを何度かもらった。黒潮の常連さんは以前「高専はいつもお土産もらってるじゃん!俺なんかパパから何ももらったことないよ!」と言っていた。有難い限りである。これはお父さんなりの好意であり、処分の方法でもあると思う。

「おまえ、M着れるだろ?」

「パツパツだけど着れます」

「おお、じゃあ向こうで部屋着にでもしろよ。んじゃあそこで待ってっから。荷物置いてこいよ。急がなくていいからね」

何度も泊まってるホテルに初めてスーツケースを預けた。そのままミスターデンジャーへ向かう。
店に着いたら、水を出してきた店員に、お父さんがいきなり「ワンポンドふたつ。デンジャースープで」と注文した。ちょっと驚いた僕に対して「いけるだろ」と言った。まあいけると思う。ただこれ、お父さんいけんのかな。変な話、ワンポンドペロッといくにしては見た目がおじいちゃんだけど…と余計な心配してしまう。

「ライスいるか?」

「あ、ほしいです」

「すみません、あとライス大盛りふたつ」

ワンポンドステーキとデンジャースープとサラダとライス。めちゃくちゃおいしい。カットされてるから食べやすいし、ニンニク好きにはたまらないくらいニンニクが乗ってるし、本当においしかった。
「壮士朗から電話だわ」と言って、お父さんは手を止める。食べるのが遅い僕は、電話の間に急いで食べる。
「おう、高専かわれ」と言って、スマホを渡してきた。

「かわりました」

「お〜う。こうせーん?どもどもー。ご無沙汰しておりますー」

「久しぶりです」

「あのさー、こうせん。まだ荷物入る?」

「入るっちゃ入りますけど」

横でお父さんが「入らないって言え」と小声で言ってくる。

「こっちさー、うまい焼肉のタレなくてさ。もし今日ドンキいけたら買ってきてくんない?」

「ドンキでしか売ってないんですか?」

「そうなんだよ。あとで写真送るから、もし行けたらドンキの焼肉のタレ頼むわ」

「今日泊まるの水道橋だし、水道橋にあるから寄れますよ」

「あ、ほんと?助かるわー。たださ、すげえでけえんだ」

「そんなすか」

「うん。あの、スーパーとかいくとデカいコーラあんじゃん?あれよりデカい」

バカな表現だけどわかりやすいなーと思いながら、「わかりました。また連絡します」と言う。

「こっちはね、あの〜、お土産も用意してますので」

さっきからたまに混ぜるその敬語何?

「えー。ただでさえNXTのチケット用意してもらってるのに。ありがとうございます」

「あー、あさってのNXTだけどさ、俺ほぼ100パー出ねえぞ」

「え、やっぱですか!」

ジャケットタイムは結成当時、試合かプロモかのいずれかで、毎週NXTの番組に登場していた。だけど徐々に出番が減っていって、多くて2週間に一度のペースで番組に出る要員になっていた。そしてジャケットタイムは、先週試合をしていた。今週はない気がしていた。

「つうか日本人誰も出ねえぞ(笑)。あ、まあサリーちゃんだけプロモあるっぽいけど、それも会場で映像流れるだけだからな(笑)」

「いやーマジか」

「ではでは。焼肉のタレだけお願いしますー」

「お父さんにかわりましょうか?」

「いい、いい、いい」

隣を見ると、お父さんも「いらない」と顔で訴えていた。

「壮士朗、またなんか持ってこいってか」

「ドンキにしかないデカい焼肉のタレ欲しいって」

「そんなの無視していいんだぞ」

「そんなわけにいかないですって。まあ本当にスーツケースに入りそうになかったらそん時は断りますけど」

「他なんか言ってたか」

「NXTに日本人出ないのと、なんかお土産用意してくれてるって」

「おーなんだろな。まあサリーちゃんくらい会わしてくれるだろ、壮士朗も」

いや、サリーちゃんくらいて。なんかよくない言い方!

「そうなんですかね…あ、ご馳走様でした」

お父さんは苦しそうに残り三切れの肉に手をつけていた。

店を出ると、「じゃ俺このあと用事あるから。気をつけて行けよ」とお父さんに言われた。

「せっかくだから写真撮りましょうよ」

「いいよ」

「イケメンさんと写真撮ることはあっても、お父さんと撮ることないんで。なんか今日くらい」

そう言って二人で自撮りする。写真を撮り終わったら、お父さんは車で消えていった。

浅草に来るのは、7年ぶりだった。東京にはよく来ていても、プロレスとよしもとのライブが目当てで東京を訪れてる僕が浅草に来ることは、まあない。前に来た時も春だった。高校受験に失敗して高専に入学することになった後の春休み、東京に住む姉に案内してもらったのが浅草だった。歩を進めるたびに当時の記憶が蘇ってきた。見るもの、見るもの、めっちゃエメェ…。
こんなエモい気持ちにさせてくれるのが足立のおじちゃんとは。高専に入学してなかったら、竹ノ塚を訪れてなかっただろうし、そもそも勉強に追われてプロレスとは距離を置いていたかもしれないから、全部巡り合わせだな、なんて思った。エメェ…

エメくなってるのも束の間、僕は秋葉原へ移動した。フライト出発24時間前のPCR検査と英語の陰性証明書が必要で、僕は秋葉原にある内科へ向かっていた。ここで陽性判定が出ようものならこの旅はおしまいになる。心臓に悪いドキドキが止まらなかった。
明日のフライトは17時出発なので、17時以降に検査を受けなければならない。まだ16時だった。僕は渡航できた場合に、移動中に読むプロレス本を書泉ブックタワーで探すことにした。
展示されている中野たむのコスチュームを見て、「ウエストはちっちゃいんだな…」とか気を紛らわすようにしていたけど、やっぱり気が気でない。もし陽性だったら……。考えるだけで怖い。

16時45分くらいから内科の前をうろちょろして、17時ぴったりに階段を上った。QRコードを読んで、質問を答えて、唾液を出して……え、終わり?もう会計?検査自体は秒で終わった。事の重みと時間が比例してない。
さあ、暇じゃないけど暇だ。二時間後くらいに検査結果がメールで送られてきて、紙の証明書を取りに行かなければいけないから、あまり遠くには行けない。都会の騒音が嫌な音に聞こえるから一人でいたい。1時間半でできること。…個室ビデオだった。
この後、高専時代からの友だちと会う予定だった。僕は人と会う前に個室ビデオに寄らないと決めているのだけど、まあ結構クズな子だから、あいつならいいやと思って入った。VRで気を紛らわそうとした。
VRを外すと、メールが届いていた。検査結果は……「陰性」。……やった、やったぞ。退出時間より早く店を出て、ウキウキで内科へ戻る。陰性証明書をゲットして、その後何もしてない顔で友だちと合流してお酒を飲んだ。



出発当日。17時出発だったけど、昼過ぎには成田空港に到着した。逃走中でもやってんのかな?と思うほど、大きな空間にひと気がない。
チェックインカウンターに並んでいると、目の前のおじさんが搭乗を拒否されていた。出発24時間前のPCR検査の結果ではなく、出発72時間前のPCR検査の結果だと勘違いしてたらしい。おじさんは何度もスタッフに「どうにかならないのか」と訊ねていたけど、丁寧に断られていた。おじさんの絶望した顔が怖かった。もし、自分も何か書類に不備があったら……。
そんな心配もいらなかった。普通に通れた。ホッとした僕は、Wi-Fiを借りたり、円をドルに替えたり、スーツケースを広げて、ホテルに忘れてきたものはないか、今一度確認したりした。スニーカー、ジャケット、ラーメン、ストロングゼロ。ちなみにドンキの焼肉のタレは販売が終了していた。
保安検査場を通った後、出発ゲートに到着すると、富大に合格した時くらいの喜びがやってきた。

僕を乗せたガラガラの飛行機が離陸した。

逃走中やってる?

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