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10年前の1月1日に…

1.やさぐれたままの年越し

あれはもう10年も前になるのかな。
2010年のクリスマスに当時付き合っていた彼女にフラれて少々やさぐれていた私だったが、例年通りバイクで初日の出ツーリングを一人で行くことは決めていた。
いつもは銚子の犬吠埼ですが、この年はとにかく気分を変えて新しい1年を始めたいという想いからか、行き先を熱海に変更した。
当時住んでいた埼玉県川越市からひたすら国道16号を走り、横田基地付近にあるガソリンスタンド併設のカフェで年を越す。元カノからの「あけおめメール」が来ないことを確認すると、あとは一気に走った。
橋本から国道129号に乗り換え、平塚からは国道1号を相模湾沿いに走り、真鶴道路から熱海に到着したのは午前3時だったか4時だったか?
胃の中の年越しそばが消化されたのか、お腹が減ったので目の前にあったファミレスに寄ることにした。
パンケーキとドリンクバーをオーダーし、そのパンケーキを味わうことなく一気に食べるとドリンクバーのおかわりをすることなくそのまま席で眠ってしまった。
というのも、店内は深夜にも関わらず初日の出を見るためなのか、リア充のカップルがたくさん来ており、やさぐれ気味の私には居づらい雰囲気もあり、寝ることにしたのだ。車であれば車内に戻って暖房を効かせて時を過ごせばいいが、バイクではそれができない。
座ったまま、私は周囲をシャットダウンするしかなかった。

2.ありがとう。いいことあるよ!

1時間後、目が覚めると店内にいたリア充のカップルや若者グループはいなくなっており、窓の外が明るくなり始めていた。
このツーリングの目的が初日の出だったことを思い出し、早々と会計を済ませて店を出た。
適当に初日の出を見る場所を見つけ、あとは日の出を待つ。
実はこの時の初日の出の景色は全く覚えていないのだが、覚えていることが一つだけある。
タバコに火をつけようとした60代くらいの女性がいたのだが、ライダーのガス切れなのかなかなか火がつかず…

「使ってください。余分に持ってましたので。」

「え!いいのかい?ありがとう!あなた今年きっといいことあるよ!

元日だからか、初日の出だったからなのだろうか。その女性のお礼の言葉にあった「いいことあるよ」に大した意味が無いことくらいは私にもわかる。
しかし、やさぐれていた私にはその女性の言葉が少し嬉しかったんだろうな。
「いいこと」って何だろうな?そんなことを思いながら家路についた。

3.いいバイクですね!

帰りも来た道を戻る予定で一般道を走ることにしたが、入間まで戻ってきたところでめんどくさくなり、圏央道に乗ることにした。
でも時間はあるので圏央道に乗ってしばらく走ったところにある狭山PAに寄ることにした。トイレにも行きたかったのだ。
トイレを済ませバイクに戻ったときに声をかけられた。

いいバイクですね!

バイク乗りでこの言葉を言われて気分を害する人はまずいないだろう。当時の私のバイクはホンダのCB400SSというバイクで単気筒のビンテージ系?の車種だった。ヤマハでいうところのSR400がそれにあたるのかな。まあどこにでもいそうなバイクだったことは否めない。
その声をかけてきた人は30代の男性で薄手の黒のダウンにジーンズという出立ちで手には何も持っていなかった。よく見ると靴もボロボロで左足の親指あたりに穴が空いていた。1月に外を出歩くには少々薄着に見えた。
その方も二輪免許は持っているとのことでバイクの話で盛り上がったのだが、30分ほど経ったときに急に彼は暗い表情でこんなことを話し始めた。

・稚内でカニ漁をしていたが失業したので九州へ飛行機で旅行に行った。
・11月下旬に熊本駅で貴重品一式が入ったカバンを置き引きされた。
・近くの交番に通報したがあまり話は聞いてもらえなかった。
・父が唯一の身内だが父はロシアに単身赴任中で連絡ができない。
(そもそも携帯電話も盗まれている)
・熊本からヒッチハイクで1ヶ月かけて圏央道狭山PAまで辿り着いた。
・ここまで乗せてくれた人は営業回りのサラリーマンが殆どで無事帰宅できたらお礼がしたいという理由で名刺ももらっていた。(名刺が20枚ほどあった)
・長距離トラックは運送会社の決まりなのかヒッチハイク不可。
・ヒッチハイクができない時はひたすら歩いた。
・狭山PAに着いたのが12月24日だったがそれ以降は年末年始休みに入る会社が多く、乗せてくれる営業回りのサラリーマンはいなかった。

私は少し悩んだが、こう切り出した。

ここであと1時間待てますか?車に乗り換えてまたここに来ますから!

4.私ができた最大限のこと

1時間後、一旦帰宅し、車に乗り換えて再び狭山PAに戻った私はその彼をピックアップして車を走らせた。帰宅した時に半年ほど使っていなかったスニーカーを下駄箱から出して軽く埃を払い、車に積んでおいた。閉め切った車内はどことなく異臭が漂う。1ヶ月も野宿しながらヒッチハイクをしてきたので無理もない。
途中、西大宮駅近くのコンビニに寄って何か食べてもらおうとしたが、要らないと言う。ここまでの道中、ほとんど食べていなかったせいか胃がやられているのだとか…。彼のダウンのポケットには市販の胃薬が2錠ほど入っていた。
取り敢えず、持ってきたスニーカーを彼に渡し、穴の空いたスニーカーは私が持ち帰り処分することにした。
でも、彼がそんなことを望んでいたのではないと薄々気付いたのもこの頃で、とにかく彼はお金が欲しかったのだと思う。稚内まで帰れるだけのお金が。
中途半端な場所まで連れて行かれるより一気に帰りたいのだろう。
しかし、当時の私は薄給でボーナスカットされていた身だったのでそれほど余裕があったわけではない。(きっと彼女にフラれた原因の1つは私が金欠だったからだろう)
千歳行きの飛行機のチケットを買う余裕なんかなかったし、ノーマルタイヤの車ではフェリーに乗って北海道に行くなんてあり得ない話だ。
だけど少しでも稚内に近づいて欲しいという気持ちだけは強かった私は大宮駅の近くのコインパーキングに車を止め、彼をみどりの窓口前まで連れて行った。

すいません、郡山まで。新幹線の特急券は不要です。

私は彼の希望を無視していたのかもしれないが、勝手に郡山までの普通乗車券を買い、彼に渡した。新幹線の特急券を買えるほど私にも金銭的な余裕は無かった。
私も入場券を買い、大宮駅の宇都宮線ホームまで彼と一緒に行った。
本当はきっと切符なんかよりもお金が欲しかったのかもしれません、私の余計なお節介だったのかもしれません。けど、稚内に帰りたい気持ちだけは本当でしょう。

ごめんなさい。私があなたにしてあげられるのはここまでです!あと、お礼は要らないので連絡先は教えません。なんとしても稚内に帰ってください!

私は彼に僅かながらの援助として1000円札を渡して電車を見送った。
その後すぐに私は昔から世話になっている郡山のバイク屋に電話した。

今日の夕方に郡山駅にこういう人が到着するかもしれないので、もし見かけたら助けてあげてください!

5.そして、私に起きたいいこととは?

あれから彼がどうなったのかはわからないままだ。あの日から2ヶ月後に東日本大震災が発生し、東北地方の被災状況のことは言うまでも無いだろう。
あの日、郡山まで着いた彼がすぐに誰かいい人に救われていたら震災前に北海道上陸できていたとは思うが…。
もし、狭山に着く前の彼を乗せた人がこれを読むことがあるのなら、名刺の連絡先に連絡が来たのかどうか知りたい。

最後に、私に起きたいいこととは…。
その年の夏に新しい彼女と付き合うことになったことかな?やさぐれた気持ちを吹っ飛ばしてくれました!そしてその翌年に入籍しました。

おしまい。

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