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一生埋まらない男と女の溝がわかった話

 みなさん、ご機嫌麗しゅう。このnoteはなんやかんや、「男と女」の話がメインになりがちだなあ、と、いままたこの記事を書くにあたって、そんなことを思っているところでございます。というのも、「人間」について考えるとき、「社会で生きていく」ということを考えるとき、これは避けては通れない主題なのだと思います。

 って、なんで今回「ですます調」なんや? 気を取り直して、いつもどおり「である調」で行こうと思う。

 さて、お待ちかね、表題の件である。最初に断っておくと、これはあくまで私個人の主観である。

 しかし今回、私は敢えて、いまから宣言する内容を、「『男』という大きな主語」で、結論付けたいと思う。

 もちろん、この例に当てはまらない男性も、ひょっとしたらひょっとすると世の中にいるのかもしれない。

 しかしである。一つだけ言い添えておきたい。来し方、三十余年。男社会のヒエラルキーの下層部、さらにその片隅とはいえ、そこに在籍し、生きてきた経験。また、男女間において、私の化けの皮を剥がした張本人(女性側)には悟られこそしなかったが、自らその体験を振り返ったとき、「あの体験は、私の化けの皮が剝がされた瞬間であった」と、夜な夜な思い出し、一人ベットの上で顔面を紅潮させ、羞恥心に悶絶する、という幾度かの実体験を基にした上で導き出された結論である。

 現時点での、なるだけ虚飾を纏わないよう心掛けられる範囲内での切実さを以て、身を切る思いで、赤裸々にこれを開示する。

「ダメ男ばかりに引っ掛かる」「男運がない」そうした言葉に思い当たる節のある女性必見。

 ただし、「男に絶望してもよい」という覚悟がない方は閲覧を控えたほうがよろしいかと。

 では、参る。


『凪のお暇』を読んだ時の、とある違和感

『凪のお暇』をご存知だろうか。これはなかなかに面白い漫画である。今年になってたまたまコミックスの一巻をネットで無料で読んだのだが、物語序盤の、この女どものやりとりと、凪の心情描写にリアリティがあって、これオモロそうやなあと思って、読み始めた、絶賛連載中の少女(?)漫画である。

問題の場面

 今回問題となるシーンは、主人公である凪には、我聞慎二というやり手の営業マンイケメン彼氏がいるのだが、その慎二を描いたとある場面である。

 一度読んだときは、なんとなくスルーしていたのだが、一昨日、唐突にこの場面での違和感の正体に気付いたのである。

……違和感の所在がわからない? 

 では、男性陣を代表して、お答えしよう。そう、何を隠そう、私はこの場面で、「めっちゃ健気、すっげぇ可愛い」という、我聞慎二の感想に、まったく共感を覚えなかったのである。

「それは、性格が冷たいお前だけの話だろう?」「主語を大きくするな!」「凪ちゃん、健気じゃないか!」と、多くのジェントルメンな男性陣からは、非難の声が聞こえてくる。

 否認したい気持ちはわかる。私だって、自らその冷酷さにふと思い至ったあの夜は、「なんと残酷な人間であろうか」と、己の薄情さに数分間失望した。

 さて、この筆者は誰か。そう、コナリミサトという「女性」である。私が思うに、この我聞慎二の心理描写は、女性的感覚から由来するものであり、女性の少女漫画的願望であって、現実の男を決して投影してはいない。

 なぜ、そう断言できるのか。

 いまでも、なぜ、「めっちゃ健気、すっげぇ可愛い」と素直に共感できないのか、我ながら真に不思議であるし、残念な気持ちである。

 いや、もっと正確に言うならば、「言っている意味はわかる」し、「凪のその様が、健気である」ということもわかる。

 では、何に共感を覚えないのか、というと、それを「可愛い」延いては、「好き」だとか、「守りたい」という感情に走ることに、である。

 まあまあ、落ち着きなさい、男性諸君。殿方に納得していただくためにも、私が「すべての男は〇〇である」と結論付けた理由を2つ証明しよう。

証明その1

 韓国映画に『ビューティー・インサイド』というラブロマンス映画がある。物語は、青年期のある日を境に、性別・年齢・容姿・国籍までもが一日睡眠を取るたびごとに変わってしまう奇病を患ってしまった主人公の家具職人である男が、仕事で知り合った、ある美人で聡明な女性に恋をしてしまい、紆余曲折ありつつ、彼女の包容力のおかげで二人は結ばれる、というお話なのだが、私は最初に見たとき、日頃、安っぽいラブロマンス映画では泣かない私が、ホロリとしてしまった映画であった。

 それを見た私は、絶賛レビューを添えて、女友達に「是非とも見てくれ」と提言したところ、彼女は鑑賞後、「いい映画だとは思うけど、これ男女逆だったら、どうせ成立しないんでしょ……」と言われて、ハッと目が覚める思いがし、これは男の幻想の物語であったのだということを思い知らされるという一件があった。

証明その2

……往生際が悪いですね。では、そんな往生際の悪い男性がぐうの音も出なくなるほどの切り札をご用意致しましたので、覚悟してご覧あれ。

 さて、「めっちゃ健気、すっげぇ可愛い」と、「背中が」。果たして男性陣はどちらの方により強い共感を覚えただろうか。答えは訊くまでもないことだろう。

終わり

 男と女の溝が埋まらない理由が、これでお分かりいただけただろうか。

 蛇足かもしれないが、補足すると、「男は総じてみな、女の容姿の良し悪しが(ほとんど)すべて」なのである。

 ストレートヘアをこよなく愛する我聞慎二が、たかが凪の健気な姿を見たからといって、それ(見た目)を差し置いてまで、愛が加速する、などということは、決してないのである。

 百歩譲って、我聞慎二は、あの通りに「めっちゃ健気、すっげぇ可愛い」と思ったとしよう。しかし、ソロリソロリとベッドに戻り、天井を見上げる頃に考えるのは、

「「「くせ毛が」」」

 これが、私が導き出した結論だ。

 最後に、とある小説の一文を引用して、筆を置きたいと思う。さらば。

「ここに差しだされた問題は、克服すべきというより、わたしたちが持っているものなのよ」

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