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【小説】案山子 第5話

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「今日も疲れたな」

 案山子をするぼくの足元で老人が言う。

「読めない文字を写すなんぞ、絵を描くのと同じだね。あたしゃ絵心がないんだ」

 もう一人の老人が答える。

「しかも唯一の楽しみがあの食事じゃあな。二十年前に食べたきりのステーキが忘れられない」

「しっ、天使様のご厚意にそんなこと言うもんじゃない。天使様は食べ物を召し上がらないから仕方ないのさ」

「料理くらいさせてくれりゃあな……」

「刃物も火も危ないからね」

 オオアカさんが老人の膝に上がり、髭をぴくぴく動かして餌を探した。

「危ないことをさせないようにってんなら、お産のことも何とかならないもんかね。若い娘さん達がみんな赤ん坊を産んで死んでいくじゃないか」

「背中には愛の花があるんだからそれも仕方ないじゃないのさ。お腹が大きくなると横になることもできないから弱ってるんだよ」

「それは分かってるがね。何とかならないもんかねぇ」

 オオアカさんがもぐもぐと口を動かす。平たい前歯が月光を鈍く跳ね返す。

「でもこれで良いんだろうね。愛の花のためだから」

「そう。尊いお役目のために命を燃やし尽くしたんだから」

「神様に召し抱えられた立派な娘さん達だ」

 オオアカさんは興味をなくしたように膝から降りてどこかへ行ってしまった。

「オオアカさんが来てくれると気持ちが楽になるね」

「ああ、雑草も綺麗に食べてくれる」

「有難いねぇ」

「有難い」

 奥で呻き声が聞こえた。老人達が耳を澄ます。

「あの人ももう長くないね」

「随分頑張ってるからね。みんなの分までお努めを果たしてくれて」

「お孫さんも支えようとしてるけど」

「今は子供が多いから、お努めが滞る人が多いのよね」

「でもこっちも自分のことで手一杯だし」

「あの人達は特別だから」

 おばあちゃん、と呼ぶホウコの声が聞こえる。荒い息遣いが聞こえる。

 わずかに欠けた月が沈む頃、ホウコの祖母は息を引き取った。

 天使はいない。月の光に弱いから。

 うつ伏せにされた祖母の周りに皆が集まり、別れの言葉を告げる。

 ホウコは一人泣きじゃくっている。

「おばあちゃんにあげられるもの、何もないから……。せめて、一輪だけ愛の花を手向けたいんです。皆さんは、どう思いますか?」

 ホウコの呼び掛けに大人達は涙ぐむ。

「良いと思う」

「そうしてやりな」

 賛同の声に後押しされ、ごめんなさい、と呟いてホウコは爪で背中の花を手折り、祖母の白髪にそうっと挿す。

 床にこんもりと茂る蔓の端に、紅い愛の花が咲き誇っている。


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