校長トリセツ舐めプ過ぎ

とある都内中学校の臨時的任用教員が、面接ののちに受け取った「校長のトリセツ」という名の怪文書について、あまりにも気色が悪かったため述懐する連載である。

現在までのまとめとしてはこうだ。
①校長のご機嫌取りは業務に含まれるか
②校長は他に要求する仕事を自分で為せているか
③校長には人事的コストの意識があるか

さて、この校長のトリセツというやつは、一体なんなのだろうか。行政文書なのか業務指示書なのか内規文書なのか紳士協定なのか。
これらいずれにしても、私の価値観で断ずれば、紙と時間と労力と読解精神力の無駄(すなわち頭脳労働をする価値がない)なのだが、これが波及するのが「経営計画」であるのが極めて問題だ。この校長のトリセツとやらは、経営計画書の補記として付されている。

さて、トリセツには「仕事は伝わる言葉で(※例によって守秘義務により本文そのものは書かない)」とある。そして経営計画の教育理念・学校方針という主幹部分には「Growを重要視し(※同上)」とある。
なぜ、ここに英単語があり、しかも動詞を外来語と認識したうえで名詞として扱っているのだろうか。

なるほど、髪が薄い校長のことだ、「植え」たり「生やし」たり、「養毛」がそこそこ気になっているのか、と白眼視することもできるのであるが、はっきりとそれ以上の問題がこの単語にはある。
すなわち、この単語には「大人にする」という意味合いが含まれてしまう。より問題をはっきりさせるのであれば「(性的に)大人にする」「(性的に)種を撒く」というネイティブスラングにも通じるし、男性同性愛の視点から見れば決定的に「勃つように促す」の意味すら生じる。

経営計画記載の言葉であるから、それこそ「伝わる」ように言葉を選ぶべきであるはずの公文書であるが、どうやら、ここまで意味が伝わっているのも私だけであるようだ。

問題は英単語にしていることだ。「育成」「育てる」ではなぜ「伝わらない」と考えたか、であり、なお「Grow」であれば何を「伝えたい」としたのであろうか。
単なる世代的な問題として処理すればカタカナ語を使うとナウくてヤングな表現だと誤認しているパターンか、もしくは、憶えたての言葉を使って褒められたい小学生低学年的な知能か、その両方か、といったところであろうか。ただ、そうだとするならばアルファベットで記載する意味も薄い。
確か私の記憶では、義務教育中等教育の国語の範囲で「和語・漢語・外来語それぞれの印象と世代間の伝わりの感度について」は必修単元であるから、小学生的な感覚であるというのは妥当であるように思う。
そもそも、なぜ文法的に無茶な状態でこのような記載となるのか、義務教育を受けねばならない生徒に対して「こういうやり方があるのか」という間違った認識を与えるための教育資料としては一級品である。それが経営計画なのだから、もはや重要文化財並みだ。

ふとGrowから発想して、日本語には「培う」という言葉があることを想起する。和語としての語源は、おそらく「つち」を「かぶせる」または「掻く」ゆえに「つちかふ」であろう。

真面目に述懐するつもりであった。
しかし、どうも今回は下ネタに寄り気味のようだ。
生やしたり、大人にしたり、被せたり、掻いたり、思春期男子であればこれくらいの語彙に性徴があれば興味深いところではある。

ところで「舐めた態度をとる」「舐めプレイ」というやつは、マウントをとっている姿なのかとられている姿なのか、日本語という奴もなかなかに奥が深いものだ。

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