校長トリセツやめちまえ

某所に勤務して、これ以上辟易とさせられることもあるまいという思いから記録を残す(もっとも、世には犯罪者と呼ぶべき教育公務員もあるのであるから、あくまでも私個人の実体験による偏見である)。

学校経営の分掌、その一端は、教育公務員の責務のひとつである。しかし、校長のご機嫌取りは職務ではない、とは前回も述べた。

校長トリセツには次のようにある。
「謝れる教師たれ」
私自身も発令期間があれど公務員であるため、守秘義務はある。ゆえに、文言は完全には一致させない。が、趣旨はかくのごとくである。

さて。
臨任教師のおさだまりで、全校生徒のまえで自己紹介をせねばならぬ場面が毎度のようにつきまとう。
それなりに緊迫するし、それなりに緊張する。

校長のマイク越しに紹介ののち一言挨拶の手はずであった。

この件の校長は、私を平然とすっとばした。

人間だれしも間違いはある。
が、この管理職にある人間が不快なのは「眼の前にいる人間を見ていない」という本質だ。
いま自分の眼の前に「紹介されるためにのこのこ全校生徒の前にでてきて立っている人間」がいるにも関わらず、どうも人間だとは思っていないらしい。

「以上で、紹介を終わります」と言い切ったあとに、生徒がざわめいて、はじめて眼の前に何者が立っているのか気付いたありさまであった。

そして、その次の発言が憎たらしい。
「大事な人を忘れていました」

自分のミスを謝ることなく、誤魔化すための持ち上げを、生徒たちのまえでやらかした。

内心、ハラワタ煮えくり返りながらも、おいしいネタにはなるので、私は手を大きく振って次のように応じた。
「はーい、ここにいますよー!ハナシの翁(本当は名字を言っている)です。よろしくおねがいします」
多少の笑いに代えられたので、実質無傷のようなものである。

無傷のようなものではある。
が。
その後の職員室での校長のひとことに血液が沸騰してヘソで茶を沸かす事態がさらにおきた。

「今日のような失敗を繰り返さないため、明日はきちんと喋る原稿を用意します」
反省し、その問題に解決策を見出したのならばとても良いことだ。もしも、こいつが六十歳前後ではなく中学生や高校生であるならば。

そうではなく、この男は教育公務員の管理職であり、学校にある他の教育公務員に指導や監督をし、業務指示を出す立場であり、あまつさえ「謝れる教師たれ」と自身で他に要求する人物である。

私に対する謝罪はなし、なのだな?

他者に「これをやれ」とかましておいて、自分は(地位があるから)(権威があるから)(おまえらとは違うから)どのような理由であれ、それから免除されるとお考えのようだ。
もしや六十歳前後にあってなお、謝罪というものの形式すらご存じないのであろうか。

はっきり言って、ネタになるから「私は個人的に」「咄嗟の機転で」どうでも良いことではあるのだが、純然と、全校生徒の前にたたせて他者を軽んじる状態を作り出したあげくに場合によっては辱めを与えていたであろう行動をしておいて、ことさら「謝れる教師たれ」と言いながら自分がやりもしないことを、よくも恥知らず世間知らず常識知らずにまかり通しているものだと思う。

書いていてもあまりに哀れな頭の校長に涙を禁じ得ないし、まして、その学校の生徒のことを思えば虚しさすら覚えるため、徹底的に、私は面白がってやろうと思う。
悲しいことに、こうした逆境は、私にとっては活力の源であり、生徒に相対するときに全力で笑いあえる秘訣ともなっていたりするのだ。

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