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「プロとアマの違い」

最近手に入れた本の中で
ちょっと面白い文章を見つけた。

日本のクラシックの業界にも
大いに通じることなので
ここに書き留めておく。

※ ※ ※ ※ ※

 この話にはちょっとした前史がある。1993年、江戸東京博物館から「大道芸の系譜」という講演を依頼された。企画制作の下町タイムズに、講演だけでは面白くないから、「ガマの膏売り」などの実演をこの機会にやったらどうかと私は提案した。「そんな芸人がまだいますか」と訊ねられたので、浅草のテキヤの親分衆に相談したらどうかと答えた。
(中略)
 その後、また電話があって、プロはいないのだが、大道芸を研究しているアマチュアの一座があるという。それで、東京の大道芸研究会に出演してもらうことになった。当日十数名のメンバーで「ガマの膏売り」など数種の大道芸を実演された。座長の本職は医師だときいたが、みなさんなかなかの熱演だった。
 だが、私たちがひと昔前に見たプロとは、どこかひと味違う。それは技芸の違いではない。一体どこが違うのか。舞台を見ながらあれこれ考えてみた。結論として「なんとしてもこれを買ってもらわないと食っていけぬ」という気迫の違いだと感じた。
 つまり、生活が懸かっているかどうかなのだ。これだけ売り上げがないと今晩のメシ代にも足らないし、木賃宿にも泊まれないという切実な思いが、大道で演じているプロの場合は、見物人にもひしひしと伝わってくる。だが小綺麗な室内でやる芸では、どうしてもその切迫感がない。趣味でやっているアマチュアでは、どう工夫しても乗り越えられない壁である。
(沖浦和光著《旅芸人のいた風景》文春新書より転載)

※ ※ ※ ※ ※

ワハハ、
なんとも耳の痛い話である。
そして、
なんとも痛快な文章ではないか。

こうまで真正面に
かつ、
こうまでシンプルに断じられては
白旗を上げるしかない。

そう、プロとアマの差は
技巧などではなく
「それで食っているか」
否かの差なのだ。

演奏で食っているのであれば
「演奏のプロ」であり、
レッスンで食っているのであれば
「レッスン、コーチのプロ」であり、
いずれにせよ「音楽」のジャンルで
食っているのであれば
「プロの音楽家」なのだ。

生活の糧を得るための手段として
音楽を生業にしているものは
すべからく「プロ」と呼んで
なんら差支えない。

・・・逆に言えば、
どれだけ華やかな舞台の中央で
プリマらしく歌っていても、
それで生活しているのでなければ
「プロ」とは呼べない。

音大を出ていることが
「プロの証し」なのではなく
華やかな舞台に立っていることが
「プロの証し」でもなく、
「それで食っていること」
只それのみが
「プロの証し」なのだろう。

・・さて、
日本のクラシック界には
どれほどの
「音楽で食っているプロ」がいて、
どれほどの
「プロにみせかけたアマ」
がいるのだろうか・・・


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