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「均一」

凡庸からなかなか抜けられずにいる
歌手の多くが慣習的に行っている
ポルタメントやグリッサンド、
これらは全て
「技」に属するものではなく、
むしろ「癖」に属するものだったりする。

意識して行っているならばともかく、
無意識でそのような演奏を行うというのは
本来、まともな演奏家としては
あってはならないこと。

フレーズにおけるリタルダンドや
アラルガンドもまた同じ。

楽譜に記されてもいないのに、
歌手の都合で勝手に
フレーズにリタルダンドをかけてはいけない。
(アッチェレも同じ)

「楽譜に書かれていないことはやらない」

・・・演奏の基本である。

※時代の特徴、
 あるいは特定の作曲家の作品の特徴として、
 特に楽譜に記されていなくとも
 速度変化が起きる場合はある。

※ ※ ※ ※ ※

高音域から中低音域に至るまで、
出す音に高低差はあっても
言葉(イタリア語)の
響きの位置は変わらない。

ここを変えてしまうと
言葉が聞き取れなくなり、
何語を歌っているのか
全く判らなくなってしまう。

逆に言うと、
言葉の響きの位置を常に一定
(=一番良く鳴る場所)に保つことで、
ソプラノでも低音域の音での言葉が
明瞭に聞き取れるようになる。

「言葉の響きの位置は常に一定である」

歌い手にとって
声と言葉は切り離せぬもの。

歌を学ぶ以上は鉄則として
常に確認し続ける必要がある。

※ ※ ※ ※ ※


私の主催する
ワークショップやレッスンでは
生徒への初期段階での命題として

「高音域から中低音域まで、出す声は均一でなければならない」
「その声は、劇場の隅まで届く声でなければならない」
「なによりもまず、楽譜に忠実であること」

の3点を掲げている。

発声や発音、
フレージングにソルフェージュにいたるまで、
おおよそ演奏に必要な技能のほとんどは
ここに集約されているのだが、
・・・実はこれ、
器楽の世界では当たり前のことだったりする。

フルートやトランペット専攻の場合、
ある音だけ素晴らしく鳴っていたとしても、
他の音がスカスカだったりすると
「楽器として使い物にならない」

また
「音が出れば良い」というものではなく、
その楽器に求められている
美しい音色(響き)を出さなければ、
そこから先の段階へは進めない。

そして、
「楽譜に書かれたことは忠実に演奏する」

これを怠ると、
やはり「楽器・声部として使えない」と判定され
試験では落とされることになる。
(スラーと書かれている箇所で
 タンキングなどしようものなら頭を叩かれる)
 

・・・ああ思い出す、
ラッパで北村先生にしごかれまくった日々・・・
 

もちろん声楽の場合、
器楽と違って「言葉」の存在がある。

しかし、
この言葉も「届いてこその言葉」であり、
言葉のあるなしが
発声やフレージングを左右する訳ではない。

むしろ、
言葉(歌詞)によってフレーズや
音色が阻害されることのないよう
「そのためには、どのように言葉を処理すれば良いか」
を、歌い手は考えなければならないのだ。
 

プッチーニの作品などでは、
言葉のニュアンスと速度記号、
表情記号が密接に繋がっている。

速度記号を再現できていない時は、
実はその歌詞の喋り方も
上手くできない状態だったりするのだ。
 
「言葉の響きが一定であること」
=「音色が一定であること」
 
「歌詞のイントネーションを正しく把握すること」
≒「細かな速度記号・表情記号を把握すること」

 
言葉の表現をどうするか、
発音をどうするかに悩む場合、
上記2点に注意すると、
頭の中がかなり整理されるのではないかと思う。


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