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シカゴ・リリック・オペラの歌手たち

今から24年ほど前、
小澤征爾指揮の「魔笛」に
モノスタトス配下の奴隷として
出演した時の話。

その公演では
ソリストの何人かが
当時シカゴ・リリック・オペラの
契約歌手だった。

かれらは全員
バレエ&ダンスの訓練を受けており、
オペラ歌手でありながらも
ダンサー並に踊ったり、
相方をリフトすることのできるよう
躰が鍛えられていた。

なぜ、オペラ歌手でありながら
バレエやダンスの訓練を
それほどまでに積んでいるのか?

モノスタトス役のジョゼフ・フランクや
パパゲーノ役のベリンダ・T・オズワルドに
私は訊ねてみた。

彼らの言によると、
シカゴ・リリック・オペラでは
オペラ演目のみならず
ミュージカルの演目も毎年行っており、
ここに所属する歌手たちは
オペラ・ミュージカルのどちらにも駆り出されるため、
ほぼ例外なく全員が
このバレエ・ダンスのスキルを要求されるとのこと。

いやはや、
プロとして歌劇場や団体と契約し
専属となって働くことは、
本当に半端ない。

※ ※ ※ ※ ※

この時の小澤征爾の「魔笛」は
地方巡業を含め計6回の公演が行われ、
ソリスト達と一緒に稽古した期間は
本番を含め1ヶ月弱と記憶している。

そして、この間、
一緒に舞台をやればやるほど、
この「訓練されている者」と
「訓練されていない者」の差が
如実に拡がっていくことを実感した。

無論、そのことは
演出家もよく心得ており、
訓練されている者には
その演技力・表現力を
十二分に発揮できる演出がつけられ、
訓練されていない者であっても
舞台で見劣りすることのないように、
バランスの取れた演出がなされていく。

舞台制作の現場とはそうしたものだ。

しかし、
それぞれの出演者が
この公演において示した
歌手・役者・舞台人としての実力は、
良いものも悪いものも
全てひっくるめ、
今後のキャスティングに際しての
取捨選択の重要なデータとして
歌劇場やプロダクションに
蓄積されていくことになる。

日本の各音楽大学においても
オペラを演じる上で必要な
舞台での身体表現訓練の一環として
バレエの授業は行われており、
確かにそれは
カリキュラムに組み込まれてはいる。

だが、
残念な事にその内容は
形骸化の傾向にあるのが
今の現状だったりする。

「俺たちがやりたいのは
 オペラであってバレエじゃない」

「こんなに激しく動かされて、
 息が上がり歌えなくなったらどうする」

「動きは苦手だけど、
 演技や踊りなんかに血道を上げなくても
 立派な声と歌唱力があれば十分」

「踊りは本職のダンサーを
 演技だけなら役者さんを使えばいい。
 俺たちは、あくまでオペラ歌手。
 ダンサーのように踊ったり
 役者のように演技したりするようには
 できていない。」

「ちゃんとした演技はしたいし、
 本格的な踊りもできればと思うけど
 実際に踊ったりするのはねえ・・・」

なるほど、ごもっとも。

・・・でも、
自分で自分の未来を潰して、
一体どうするのだ?

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