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小説『天使さまと呼ばないで』 第43話

2月上旬ー

ミカは東京に来ていた。理由はもちろん、ショウに会うためだ。

だが、ただショウと会うだけでは交通費や宿泊費がもったいないので、ついでにセミナーとカウンセリングも開催することにした。

(これからは、偶数月には東京と他の大都市に遠征する・・というのもいいわね)

指定された待ち合わせ場所で、ミカはショウを待っていた。来週はバレンタインだ。ミカはバッグにデパートで買ったばかりのピエール・マルティーニの高級チョコレートを忍ばせた。

(いきなりチョコレートなんて渡したら、引かれるかしら・・・)

しかし、お店で売られてる中でも一番数の少なくて手頃な価格の商品を選んだし、きっと"重い"と思われることはないだろう・・・と自分に言い聞かせる。


ショウに会うのは2ヶ月ぶりだが、今まで週に2-3回はLIMEで他愛もないやりとりをしていた。なので今日はビジネスパートナーと会うというよりも、遠距離にいる恋人に合うような気分だった。


2ヶ月間のやりとりで、ショウのいろんなことを知った。

独身であること、港区のタワーマンションで一人暮らしであること、出身も東京で応慶大学を出ていること、兄が一人いること・・・


ショウのメッセージは、どれも男性らしく絵文字や顔文字が少ないシンプルなものだったが、丁寧な言葉遣いや物腰の柔らかさにこちらへの気遣いや優しさを感じられて、ミカはますますショウのことが気になって・・・いや、もう完全に好きになってしまっていた。


ショウとのLIMEを見返して、温かい気持ちになっていると、右手後ろの方から低い声が聞こえた。

「すみません、遅れて」

声の持ち主は、もちろんショウだ。

「いえいえ、私もさっき着いたところですから」

「では早速行きましょうか」

ショウはさりげなく、ミカの肩を抱いて進んだ。

男性に触れられることが久々だったミカは、ぬくもりと男性らしい腕の硬い感触に、胸が高鳴った。



ショウが連れて来てくれたお店は、駅から少し離れたところにある和モダンな日本料理店だった。

ミカ達が通されたのは一番奥の個室だ。

席につき、適当にショウが注文してくれたおすすめの料理と日本酒がきて乾杯をしたところで、ショウが口を開いた。

「では早速、前回お話しした企画書なんですが」

そう言ってショウはクリアファイルと、黒地に金のボールペンを取り出した。

「企画書をお見せする前に、まずはこちらの誓約書にサインをいただけますか?」

「誓約書?」

「実は以前、契約をする前に企画書を見せたら、僕と契約せずにその内容だけ真似された方がいたんです。要は『パクり』っていうやつですね・・・

なので一応、この企画と同じビジネスか、それに類似するビジネスをするときには、必ずこちらと契約してもらう、という誓約書にサインをいただいてます」

「なるほど、そんなひどい人もいるんですね。わかりました、書きます」

ミカはショウの過去に心から同情した。自分はそんな不義理な客にはならないと固く誓いながら、誓約書にサインした。

「ありがとうございます。では、こちらが企画書です」

ショウはクリアファイルから、別の紙を取り出した。

『ネットショップ運営の企画書』とある。

「ミカさんの強みは、その美貌と巧みな話術やカウンセリング技術もありますが、なんといっても他のカウンセラーの方と違うのは、ハンカチという商品があるところです。しかも、ミカさんの手作りだ」

ショウが自分のブログをちゃんと読んでいて、自分のことを知ってくれていることをミカは嬉しく思った。

「前回、ハンドメイド業であまり儲けられなかった方にセミナーをお勧めした話をしましたね?

ミカさんの場合は逆に、もっと物販に注力してもいいと思うんです。他のハンドメイド商品と違って、ミカさんの商品には『幸福になれる』という付加価値がありますから、高価格帯でも十分売れるでしょう。

ただ、カウンセリングでもらえるものとの区別はつけなきゃならない。でないとカウンセリングを申し込むお客様が減ってしまいますから。

なので販売するものはカウンセリングよりも手頃な価格帯にして、かつハンカチでない物を選んだほうがいいと思うんです」

そうしてショウは紙をめくった。企画書の2枚目には、ポーチの写真が載っている。

「ポーチなどの雑貨を、オリジナルグッズとして制作するんです。

そしてミカさんのオリジナルの天使のイラストをそこにプリントとして入れます。

一番安い業者に依頼すれば、印刷代含めて1つ300円ぐらいで制作できます。ミカさんならこれに10倍の価格をつけても売れますよ。

幸い今はハンドメイド商品を簡単に売ることができるウェブサイトがたくさんありますから、初期投資は原材料だけで済みますし、かなりのローリスクで始めることができます」

「いやいや・・・」

そう謙遜しつつ、改めて写真を眺める。

100円均一に置いてそうな、安っぽい生成りの布製の中国製のポーチ。昨今はファッション雑誌の付録でもポーチはよく見かけるが、付録でもここまでチープなものはない。

セレブで売っている自分のイメージに、この安っぽすぎるポーチはあまりにも不似合いだ。

それに、カウンセリングをするなかで、ミカはかつて全て手刺繍で作っていたハンカチをアイロンワッペンにすることで制作費と時間を浮かせたことはあったが、それでもハンカチ自体は自分で作っていた。(といっても、正方形に切った綿の生地の端をロックミシンで縁取りするだけの簡単なものだったが)

ミカにだって一応、心を込めて自分の手でグッズを作っているのだという矜持はあったのだ。

しかし、せっかくアイディアを考えてくれたショウに対して、なんと言えばいいのか悩んでしまった。

「どうですか?ミカさん」

ショウはあの強い眼差しでこちらを見つめた。

「・・・アイディア自体は、とても素敵なものと思うんです。ですが、このポーチはちょっとチープな感じが否めないというか・・・天使様に相応しくないというか・・・あと、やっぱり手作りというのを外してしまうと、付加価値というのはつかないんじゃないかなって」

ショウはただ黙ってこちらを見つめたままだ。

「私、手作り自体は全然苦じゃなくて、むしろ好きなんです。だから、ポーチを売るとしても、既製品じゃなくて手作りがいいな・・・って思いました」

「ミカさん・・・」

ショウはミカの手を握った。大きくて力強く、骨張った"男の人"の手だ。ミカは心臓の音があまりに大きくなりすぎて、手を通してショウに伝わってしまうのではないかとヒヤヒヤした。

「ミカさんは本当に、心からお客さまのことを考えてらっしゃる方なんですね」

「えっ・・」

「いや、僕は今、自分が恥ずかしいです。ミカさんの利益のことばかり考えて、お客様からどう思われるかの視点が欠落していました。

確かに、ミカさんの手作りで心が込められていることにこそ、お客様は魅力を感じるんですよね。

では、手作りのポーチを販売する代わりに、価格は高めに設定するのはいかがでしょう?」

「そうですね・・・ポーチの作り方、ちょっと調べてみます」

ミカはスマホで『手作り ポーチ』と検索した。すると案外、簡単な作りのものが出てくる。

「ああ、これだったら生地が安ければ材料費は300円ぐらいかな・・・良い生地を使うと値段は跳ね上がっちゃいますけど。

これにハンカチとお揃いでワッペンか、高価なものなら手刺繍をするのも良いですね」

「いやー、こんな物まで作れるなんてすごいですね。僕は不器用だからなあ」

「今、8万円のカウンセリングでワッペンのハンカチを1枚、16万円のスペシャルカウンセリングで刺繍のハンカチを1枚つけてるので、ポーチ単体で売るならそのカウンセリング代よりも手頃な価格かつ、ハンカチよりも高価とわかる価格にしたほうがいいですね」

そう言いながらミカは、カウンセリングを始めた頃、手刺繍のハンカチを3千円の価値があると見積もっていたことを思い出した。

「ワッペン付きで5千円、手刺繍だったら1万円ぐらいかな・・・」

「いや、それじゃ安すぎますね。ワッペンのもので5万円、手刺繍で10万円にしましょう」

「え、そんな高価だと買う人いないですよ〜」

「いえ、安すぎてもいけないんです。ミカさんが僕の最初の提案のように外注するのであれば、多いロットで発注すると原価が安くなるメリットがあるので、手が届きやすい値段にしてたくさん売るほうが得です。しかし、手作りであれば、最初にたくさんのロットを用意する必要はないですし、安すぎると注文が殺到し、制作に時間を取られすぎてしまいます。そうすると本業のカウンセリングやセミナーにまで影響が出てしまう。

ここは思い切った価格にして、あまり注文を受けすぎない方がいいと思います」

「なるほど・・・」

「安いほうが10個売れるだけでも、ほぼ50万円の売り上げになります。これは大きいですよ」

こうして話していると、まるでショウとはまるで既にパートナーのようだ。

(もし、ショウさんと結婚したら、こんなふうに私のビジネスについて色々と相談したり、二人でアイディアを出し合ったりするのかしら・・・)

公私ともに信頼できるパートナー・・・悪くない。

「なんだかショウさんと話してたら、色々とアイディアが浮かびますね」

笑顔でそう言うと、ショウは茶目っ気たっぷりにウインクしてみせた。

「そうなんですよ、それが僕のウリなんです。ふふ」

ショウのおどけた表情は新鮮で、益々親近感が湧いた。

「・・・ショウさんにコンサルタントを依頼すると、いくらかかるんですか?」

「あ、そうだ、それについてまだ話していなかったですね」

ショウはまた、クリアファイルから紙を取り出した。

「契約には1ヶ月で10万円いただいてます。また、はじめは最低3ヶ月分は契約してもらうようにお願いしてます」

ここでショウは声のトーンを落として、囁くように言った。

「アイディアだけ手に入れたら最初の1ヶ月でバイバイ・・・ってされる方もいらっしゃるんでね」

ミカは頷いた。この人は今まで色々な苦渋を舐めて来たんだな・・・と思うと、自分が寄り添ってなんとかしたい気持ちになった。

「契約している間は、ビジネスでの困り事なら何でも相談に乗ります。メールや電話は何度でもできますし、2ヶ月に一度は対面でのミーティングもしますので、ご安心ください」

「それは心強いですね」

ショウは片腕で力こぶしを作って見せた。

「僕は、ミカさんを守るヒーローになりますよ」

ミカはまたドキリとした。カッコよくて強くて男らしい人に"守りたい存在"と思われることに胸がときめいた。

ショウは続けた。

「・・・で、先ほど契約する場合は最低3ヶ月からと申したのですが、年額契約というのもあります。

月額契約でしたら、12ヶ月分だと120万円いただきますが、年額契約だとちょっとお安くなって、1年で100万円になります」

「うわぁ、お得ですね」

「僕としては・・・正直、この年額契約だとすごく嬉しいです」

「えっ」

「だって、そうしてもらえれば・・・」

ショウはミカの手をそっと握って、目を見つめた。

「1年は絶対に、ミカさんのそばにいられますから」

「ショウさん・・・」

ショウの瞳に、頬を赤らめた自分の姿が映っている。

ミカはもう、完全にショウのとりこになっていた。

「契約します、私、年額で契約します!」

「ありがとうございます!」

こうしてミカは、契約書にすぐサインすることとなった。


サインしてから、テーブルを改めて見ると、料理に全く手をつけてないことに気がついた。

「あら、話に夢中になりすぎて、食べること忘れちゃってましたね」

ショウとミカは顔を見合わせて笑った。

「じゃあ、今から食べましょうか。前も言ったとおり、ここは海鮮が絶品なんですよ」

こうして世間話をしつつ食事を楽しんだ後(今日もショウはご馳走してくれた)店を出る前に、ミカは意を決してカバンに忍ばせていたチョコレートの紙袋を取り出した。

「あの、これ・・・もうすぐバレンタインなので、良ければ召し上がってください」

「うわぁ、ピエール・マルティーニじゃないですか!嬉しいなあ」

「流石ショウさん、ご存知なんですね」


ショウと違って、コウタはチョコレートのブランドなんて全然知らなかった。コウタとの初めてのバレンタインの時、今日と同じようにピエール・マルティーニのチョコレートを贈ったが、それがどれだけ高級で価値があるかもわかっていない様子だった。

それよりもコウタが喜んだのは、結婚してからのバレンタインで、手作りのフォンダンショコラを焼いた時だ。

『ミカはすごいなぁ、こんなの作れるんだ』

コウタは焼きたてのフォンダンショコラを頬張りながら、ずっと感心しっぱなしだった。

ミカが作ったフォンダンショコラの原材料なんて、ピエール・マルティーニのチョコレートの値段の10分の1にも満たなかったのに。


そんな過去に想いを馳せていると、ショウの声で現実に引き戻された。

「本当にありがとうございます。駅まで送りますね」

「あ、ありがとうございます」

ショウはまた、ミカの肩を抱き駅まで向かった。

改札の前で、ショウは改めてミカに向き合った。

「では、これからの詳しいことはまたLIMEで連絡しますね。これから1年、よろしくお願いします」

そう言ってお辞儀をする。

ミカも同じように、お辞儀をした。

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

ミカが明日、まずしなければならないことは、カードローンで年額契約料の100万円を用意することだ。

しかし、ショウと1年こうしてそばにいられるなら、100万円なんて安いものだと思った。

ミカの胸は今まさに、トキメキとワクワクでいっぱいだったのだ。



ミカが改札を抜け、エスカレーターでホームに向かったのを改札の外から確認したショウは、それまでの笑顔が消えて急に無表情になったかと思うと、あたりを見回した。

そして、売店の横にゴミ箱があるのを見つけると、その中にミカが渡したピエール・マルティーニの紙袋を無造作に突っ込み、その場を後にした。


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第44話につづく





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