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小説『天使さまと呼ばないで』 第65話
ミカの元に近づいてきた人物、それはエリだった。
「ミカさん・・・探したんですよ?最近LIMEも返してくれないし・・・ブログもFactbookも更新しないし・・・ずっと心配してました・・・」
ミカはどこかへ逃げようかと思ったが、怖くて足が動かない。
「ミカさん・・・掃除のおばさんなんかになってたんですね・・・びっくりしました・・・天使のミカさんには全然似つかわしくない仕事なのに・・・」
エリは真顔だ。かと思うと、急に笑顔になって言った。
「でも、これも、私たちのような下の立場の人間を理解するためにあえてしていることなんですよね!!わかります!!!」
エリの想定外に斜め上な結論に、ミカは思わずすぐさま否定した。
「違うの!」
エリはミカの勢いに驚き、近づいていた足を止めた。
「私、他の仕事は全部落ちて・・・でも借金があったから働かざるを得なくて・・・それで今の仕事をするしかなかったの!」
エリはしばし静止していたが、やがて目を閉じて穏やかな顔で言った。
「ミカさん・・・本当にミカさんは謙虚で素晴らしいお方ですね、そんな嘘までつくなんて・・・」
「えっ!?」
「私に遠慮してそんな嘘をつくことないんですよ?だって天使さまの声を聞いてたら豊かになるって仰ってたじゃないですか!借金なんて嘘でしょう?」
「ち、ちが・・・」
「本当はどんな仕事でもできるはずだったけど、あえて一番大変な仕事を選んだんですよね・・・私たちのために・・・」
「違うの!!私はそんな立派な人間じゃないの、豊かになるとか、天使の声が聞こえるとか、嘘だから!ぜ、全部嘘だったの!!!」
「私はミカさんのおかげで人生が変わったんです。こんなに素晴らしいミカさんの理論が、全部嘘なわけないじゃないですか。だったら私の就職がうまくいった事実は、どう説明するんです?」
「そ、それはたまたまそうなっただけよ。偶然でうまくいくことだってあるじゃない!
私、今まで小さい嘘や見栄をたくさんついてたの。小さいから、バレづらかっただけなの。そんな馬鹿な見栄のせいで、借金だって300万円もあるの。私本当に、良い人間なんかじゃないの。今まで騙してきて本当にごめんなさい。エリさん、目を覚まして!」
「ミカさん、何をおっしゃってるんですか?
目を覚ますのは、ミカさんの方ですよ。
ミカさんはネット炎上の件で今は一時的に自信がなくなってるだけです。ミカさんは本当は素晴らしい、天使さまなんですから」
エリは恍惚とした表情で言った。
「私、認定講師スクール、絶対に受けます。300万円もちゃーんと用意してるんです。だからミカさん、本来の場所に戻ってきてください」
一瞬、ミカの心が動く。今ここで戻れば、300万円の借金は一気に返せる。
だが、その先に待ち構える罪悪感を想像すると、とても戻る気になどなれない。
「それも、もうやらないから!絶対に、できないから!あのスクールも、適当に考えた詐欺みたいなもんなの!あんなスクールに入ったからって、天使の声なんて聞こえるようにならないから!
300万円はエリさん自身のために使って!その方が、ずっと有意義に使えるはずだから!」
「ミカさん・・・」
「ね、お願い」
納得してくれそうな空気に少し安堵しながら、ミカは拝むように手を合わせた。
「そんな風に仰るなんて、なんて優しいお方・・・!私の経済状況を気遣って下さってるんですね!!!やっぱりミカさんは素晴らしい人です!!!!」
「!?!?」
エリの脳内には、ミカの言葉を全て美しい言い訳に自動変換してくれる装置があるようだ。何を言ってもミカが善意の元に言っているのだと受け止められてしまう。
「ちがうの、ちがうの・・・!あれは詐欺だから・・・!私はただ、これ以上人を騙したくないだけなの・・・!」
エリはミカの手を取り、満面の笑みで言った。
「ミカさん、早くカウンセラーに戻りましょう。あなたはたくさんの人を救ってあげる使命があるはずです。私にはそれがわかるんです。
だって、あなたは、天使さまなんですから」
エリの目は血走っている。口元だけが不自然に笑っていた。
ミカは思わず、エリの手を振り払う。
「私のこと、天使さまと呼ばないで!!!!」
ミカは叫んだ。
「あなたは何もわかってない、私はそんな立派な、天使なんかじゃないの。私は、欲まみれで汚くて、夫にも愛想を尽かされた、ただの嘘つきのおばさんなの!!!」
言ってて自分で情けなくなるが、紛れもない事実だ。
「いいえ、私はミカさんのことをわかってます。きっとミカさんよりもわかってます。
私はミカさんファン第一号で、ミカさんのことを大好きですから!」
ミカはエリが憎くてたまらなくなった。
この女が私を不必要に煽てなければ、スピリチュアル会に連れていかなければ、自分はコウタと離婚することも、借金を抱えることもなかったのだ。
だが、そんなエリからお金を受け取り続けたのも、エリの言葉に乗せられたのも、たくさんの小さな嘘をついたのも、紛れもない自分自身だった。
ミカが自分を律してさえいれば、エリの甘い誘惑になど引っ掛からなかったことも、ミカには痛いほどわかっていた。
「あ・・・あなたが好きなのは、私じゃない!
だってあなたは、等身大の私のことちっとも見てくれてないじゃない!
あなたが見てるのは、あなたが好きなのは、あなたの都合のいい理想と期待を詰め込んだ虚像よ!」
エリは途端にしゅんとする。
「酷い・・・!私、ミカさんのこと信じてたのに・・・!ミカさんのこと信じてたから、ミカさんの言う通りにしたのに・・・!」
「違うわ!あなたは、私を利用しただけ!
自分に都合のいい選択をするために、自分が楽をするために、私のこと利用しただけじゃない!」
「!!!」
エリは目を見開く。その眼差しにはもはや憎悪しか感じられなかった。
「た、確かに私も、あなたのことを利用した・・・あなたからたくさんのお金を受け取った。それは、本当にごめんなさい・・・だから、あなたに何も言う資格はないかもしれない・・・
けど、もうこれ以上私を神格化するのはやめて、勝手に虚像を作るのはやめて・・・お願いだから、もうやめて・・・私を解放して・・・
もう疲れたの、もう無理・・・私は、ただのおばさんだから。天使じゃないから・・・
あなたと同じ、人間だから・・・」
ミカの声から力がなくなっていく。心身が疲弊していた。
ミカはその場でしゃがみ込み、泣きながら土下座した。
「ほんとにほんとに、ごめんなさい・・・」
その姿があまりに惨めだったからだろうか、エリは軽蔑の眼差しを向けて言った。
「・・・この裏切り者!」
そう言ってエリは持っていた鞄でミカを殴る。しかしミカのさしていた傘が邪魔をして身体には当たらなかった。
エリはミカの傘を奪い、地面に大きく打ちつけた。
「お前なんて悪魔だ!のたれ死んでしまえ!!!」
ドスの利いた声でそう叫んで、どこかへ行ってしまった。
打ち付けられた傘は折れ曲がり、もうとても使える状態ではなかった。
冷たい雨に打たれながら、ミカは呆然としていた。
エリはきっと、この雨から守ってくれる何かを探しに行くのだろう。自分で傘を買うことはせずに。
そしてまたいつか、新たな『天使』を見つけるのだろう、とミカは思った。
彼女にとっては、自分にとって都合のいい言葉を囁いてくれるのなら、『天使』など誰でもよかったのだ。
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コンビニで傘を買い直し(ずぶ濡れになって再び傘を買いに来たミカを店員はギョッとした目で見ていた)、トボトボと家に帰りながら、ミカはエリにかけた言葉を思い出していた。
あなたが見てるのは、あなたが好きなのは、あなたの都合のいい理想と期待を詰め込んだ虚像よ!
思い出すのは、ユミコさんの言葉だ。
人間なんてみんな完璧じゃないからねぇ
でも、好きな人なら完璧なはず、私のことを好きなら完璧になってくれるはずって、期待しちゃう
そうして期待するのが"愛情"だとみんな思っちゃうのよね
相手を神様みたいにステキな人と思ってあげるのが、愛情だと思っちゃうのよね。
自分が母親に抱いていた気持ちと、エリが自分に対して抱いていた期待は、もしかすると同じものだったのかもしれない。
ミカもエリも、自分にとって都合のいい甘美な虚像を作り上げることが、相手への愛情の証明であり、ある種のマナーだと信じていた。
だが、エリから向けられた期待がこれほど重く、迷惑なものだったと知った今、母にとっても自分の気持ちなど、『迷惑な虚像』でしかなかったのかもしれないとミカは思った。
エリにかけた言葉がまた頭に響く。まるで過去の自分自身に言ったかのように。
違うわ!あなたは、私を利用しただけ!
自分に都合のいい選択をするために、自分が楽をするために、私のこと利用しただけじゃない!
自分も、もしかすると、母親を利用していただけなのかもしれない。
ミカの母親は確かに、ミカの繊細さを理解してくれず、幾度となくミカを傷つけた。これにはもちろんミカの母親に落ち度があることだろう。
そして幸か不幸か、ミカは繊細だからこそ、相手の気持ちに気づきやすいという特技があった。
そうしてその特技がゆえに、母の言う通りにすることが、社会の価値観に従うことこそが、自分にとって幸福なことだと信じるようになっていった。
だが、同時にある事実にもミカは気づいていた。
それは、母親や社会のせいにすれば、自分自身が責任という重りをつけなくてもいいという点だ。
ミカは母に、電話越しにかけた言葉を思い出す。
だって・・・お母さんいっつも自分の意見が通ると嬉しそうだったじゃん!お母さんのためにそうしてたのに、ひどいよ!
『お母さんが嬉しそうだったから』『お母さんのために』という言い訳は、なんだか美しい織物のように思えた。
成長するにつれ次第に賢くなり、ズルさを身につけていったミカは、その言い訳を利用すれば自分が責任をもたなくていいことに、本当は気づいていた。
だから、実際は自分が傷つきたくないからなのに、その甘美な言い訳を身に纏うことで、自分の心に嘘をつくことを、責任から逃れることを、正当化していた。
自分はいつだって弱かった。繊細で脆くて、すぐに傷つく人間だった。
ミカの母親は、傷ついた心を修復する方法を教えてくれなかった。心が悲しみでいっぱいになっても、自分を大切にしていれば、時間をかけて悲しみに向き合えば、少しずつ傷は癒えていくという事実を教えてくれなかった。
否、もしかすると母自身も、そのことを知らなかっただけなのかもしれない。
成長して賢さを身につけるにつれ、ミカはついた傷を修復することよりも、傷から逃げるための言い訳を考えることのほうが上手になっていった。そのほうが楽だったのだ。そうすれば、手っ取り早く幸せにたどり着けるような気がした。
怖かったのだ。不幸になることが。
心に傷がつけば、自分は周りから『不幸』の烙印を押されて、それはもう一生消えない気がしていた。
でも自分に本当に必要なのは、自分を幸せにするために本当に大切なことは、自分で自分の責任を取ることだったのだ。
たとえ自分の選んだ道を進んで傷ついたとしても、傷が癒えたときに成長ができるのなら、それは不幸ではなく、自分の糧となることなのだ。
ミカにとってのコウタの再婚が、そうであったように。
不幸とは、傷つくことそれ自体ではなく、自分の本心を偽りながら生きていくことなのだ。
ミカはヒロコさんの言葉を思い出す。
『結婚している』とか『子供がいる』とかそういった定義の中にキレーに収まることが、幸せだと思ってんの。
そんで、本当は不満だらけのくせに、そこに収まってる自分達は幸せなはずだーって自分を洗脳してんの。宗教よ宗教。
自分も、かつて自分が嫌っていた人たちのように、自分を幸福と言い聞かせながら、ずっと自分に不幸な生き方をさせていたのかもしれない。
エリと会ったときは土砂降りだった雨は、家に近づくにつれ次第に弱まっていった。
アパートに着き、ドアの鍵を開けながら、ミカはもう一つのヒロコさんの言葉を思い出していた。
それに、そんな人たちの言う通りにしたところで、誰も責任なんてとってくれないよ。
自分の人生の責任を取れるのも、自分だけ!
(今からでも、責任なんて取れるのかなぁ・・・)
ふっと不安がよぎる。自分はもう、36歳だ。生まれ変わるには遅すぎるような気もする。
しかし、そんな不安をかき消すように、力を込めてドアノブを掴んだ。
(良いんだ。少しずつでも)
(これからは、自分の責任で、生きていこう!)
ドアを開ける。ただ住んでいる家に戻るだけなのに、新しい世界へと繋がる扉を開けたような気がした。
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第66話につづく
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