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'憧れ'を形作る、2つの要素

今回は、なぜ私が嵐や生田絵梨花といった「自分の目標に向かって努力し、輝いている」人に憧れるのか考えていきたい。その前に、私が思う嵐や生田絵梨花の魅力をまとめた記事はこちらから↓


◇(はじめに)人が人に'憧れ'を感じる2つの要素

深掘りする前に、まず人はなぜ人に'憧れ'を持つのだろう。まずはそこを分解していきたい。私は2つの要素があると考える。それは、

共感

尊敬

だ。
まずは、共感について。その人の考え方や生き方に共感するか、ということ。
憧れの人が、自分の考えと違うなんてことはないだろう。例えば、イチローとイチローに憧れる野球少年A君は共通して「野球がうまくなりたい」という思いがあるだろう。逆に、野球がめちゃくちゃ嫌いなX君はイチローに憧れることはない(野球以外の部分で共感することがあるかも、という見方はとりあえず置いておく)。このように、憧れの人が、自分が重要だと思う考え方・生き方をしていて共感できるというポイントは必要な要素だ。

次に、尊敬について。言い換えると、「自分が欲しいと思っている要素を持ち合わせている」ということだ。
共感だけでは、'憧れ'という想いまでには至らないと考える。なぜなら、例えば先ほどのイチローに憧れる野球少年A君が、「野球がうまくなりたい」と同じ思いを持っていて野球の上手さも同じくらいのB君に憧れることはないだろうから。A君にとって、イチローとB君の違いは「野球の上手さ」だ。イチローはメジャーで凄い成績を残すという、自分もそんな成績を残したいけれども今の自分では到底できないことを成し遂げた選手だからこそ、憧れるのだ。ここには、尊敬という要素が入っているのだろう。

このように、人が人に憧れるというのは、共感と尊敬、2つの要素があるのだ。
前置きが長くなってしまったが、この要素をもとに本題に入っていきたい。


◇共感

私はこれまでの人生から「自分の目標に向かって努力する」という生き方に共感する。これが大切だなと気づいたのは高校生の頃だった。
前提として、私はなーにもしない中学生だった。その背景は小学校時代にある。小学校時代は受験勉強に明け暮れ、関西ではそこそこレベルの高い中学に余裕で合格した。小学校時代志望校合格という目標達成に打ち込みそれに満足したため、その反動で中学時代は遊び呆けた。周りは勉強や部活に取り組む中、私はTVを見たりゲームを見たりと生産性のないことばかりしていた。中高一貫校なので次の受験は大学受験。中学に余裕で合格したものだから自分はできる子だと思い込み、いつか本気出せばいいやと思っていた。また、部活に関しては進学校なんだから大会出ても勝てんし、そもそも自分運動神経悪いしやっても意味ないだろと考え、打ち込めなかった。

この中学時代の行動がヤバイと気づいたのが高1の頃だ。勉強面の話だと、中学入学時補欠合格だった友達がその頃には学年トップクラスの成績をとっていた。私も高1になりそろそろ勉強に力を入れようと取り組んだのだが、なかなか彼に追いつけない。いつの間にか追い抜かされ、めちゃくちゃ離されてしまったのだ。(卒業まで追いつけることなく、彼は日本一の大学に進学することとなる。)また、部活面の話だと、ある友達が陸上で市内1位の成績を残していた。まさか勉強しかできないはずの進学校が部活で成績を残すなんて、驚きを隠せなかった。周りとの差に焦りを覚えた。

彼らに共通することとして、「目標を立てそれに向けて真面目に努力する」ことが挙げられる。補欠合格の友達は中学時代から成績を伸ばそうと真面目に勉強していたし、陸上部の友達は中学時代から早くなろうとコツコツと練習を積み重ねていた。私は彼らから「最初から無駄だと決めつけることなく、目標を立て真面目に努力する」大切さを学んだのだった。

その後この信念を持って動くと、人生が楽しくなることに気づいた。高校時代は遅ればせながら、唯一自信のあった足の速さを生かし陸上部に入部し、リレーメンバーを目指しコツコツ練習に励んだ。大学時代は予備校でのアルバイトで、「高校生のために自分だからこそできることに挑戦する」という目標で、自ら自発的に取り組んで行った。TVやゲームだけしている時と比べて、自分の成長や他者への貢献に喜びを感じたのだ。

こうしたことから、私は「自分の目標に向かって努力する」嵐やいくちゃんに強い共感を覚える。


◇尊敬

高校生の頃に「自分の目標に向かって努力する」ということが大切なのは頭で理解できたのだが、実際にそれを行動に移す・満足した結果を出すというのは非常に難しい。この部分は共感する人も多いのではないだろうか。
まず例外として高校時代の部活に関しては、正直満足している。運動が苦手な私が練習を重ね結果的にリレーメンバーに入ることができたのは、私にとって十分な結果だった。

ただ、それ以外のことは正直満足しきれた結果を得ることは難しかった。大学受験は成績が伸びきれず、結果は第二志望の大学に入学する。予備校でのアルバイトでは、周りの生徒や同僚から褒めてもらえることも多かったのだがそれは定性的なもので、果たして予備校での働きは本当に評価されるものだったのか自信を持てなかった。

加えて、成し遂げたいなとふと思ったことを実行に移すという力がまだ足りない。これまで上に書いたことは実行できたことだが、その裏に隠れて「部活してるし/バイト頑張ってるし」といった理由で実行に移せなかったことが多数あったと感じる。

一方、嵐やいくちゃんは違う。どんな時も大きいものから小さいものまで目標を掲げ、それを実行し、素晴らしい結果に収める。嵐が(いうてもう40手前のおじさまたちなのに)輝いているのは、「世界中に嵐を巻き起こす」という目標のもと、ライブであったりバラエテイであったり俳優業であったりといった仕事を止めることなく各々が己を磨いているからだ。いくちゃんが輝いているのは、ミュージカルやグループ活動で忙しい中でも、それらに向けた歌やダンスの練習はもちろん、それらに直結するわけではないフィンランド民謡やバイオリンなど新しい自分を見つける挑戦をし続け、どれも素晴らしい結果を残すからだ。

このように、「嵐やいくちゃんは、私には足りない行動力・結果を残す力を持ち合わせ、『自分の目標に向かって努力する』という生き方を100%体現できている」、という点を尊敬している。


◇まとめ

共感と尊敬、2つの側面から私が「自分の目標に向かって努力し、輝いている人」に憧れを持つ理由を、自分の過去も振り返りながら言語化できた。
この言語化の作業を終えた今大事なことは、憧れの人を憧れのままにしておかない、ということだ。私と憧れの人(嵐やいくちゃん)とのギャップを埋めていかねばならない。そのギャップが「行動力・満足した結果を出す」という風に言語化できたのだから。

しかし、ここである1つの疑問が生まれる。満足した結果とは、どういうものなのだろう。行動力ってのは単純に目標を掲げて、そこに向けて諦めることなく動けるか。おそらく全員が共通して理解できる言葉であろう。ただ、「満足する」結果は人によって異なる。私にとって、何が満足した結果なのだろう。次はここを言語化していく必要がありそうだ。



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