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日記:死と光の島について

 先日自分の社会人人生の師匠に当たるOさんが肺ガンにより帰らぬ人となった。以来折に触れて死と生について考えている。

 しりあがり寿の漫画で「生は無限の虚無に浮かんだ光の島」という例えがあって、私はこの例えが好きだ。本来は虚無があって、そこに誠に不思議なことに生者として自分達は存在している。生きていれば楽しかったり苦しかったり色々あるけれど、どんな思いをし何をしようとも、やがては皆虚無に飲み込まれ帰っていく。結局行き着く先は虚無だというのに何故我々は生きているのか。虚無は無限に巨きく、小さな我々の生など有るのか無いのかわからない実に頼りないものだ。虚しいような気もしてしまうけど、しかし私が生きて存在してる今、周りを見渡してみると光の島は無数のかつての生が残したもので溢れている。虚無から生まれ、光の島に辿り着き、また虚無へと帰って行ったたくさんの命たちが残したものが、光の島に残留し、光の島の輪郭を作っている。きっと多くの人は一度立ち寄った光の島に名残惜しさを感じて何かを産んだりするんだろう。美して良いものを産み、光の島に一つの石としてそれを置くのだ。小さくても誰か光の島へ来る未来の人間が、その石を気まぐれに撫でてくれる日の来ることを夢みれば、満更ただ虚無に帰るのではなくて、私がこの光の島を通過する意味はあるのかもしれないと、淡く期待をする。

 私はこれからも当分はOさんを始めとした先人達が残した仕事を糧に生きるつもりである。私がOさんの石を撫でることがあれば、Oさんも虚無から現世につながりを残したことになるはずだ。

 仕事に限らず良いものをたくさん作っていきたいなあ~とか思っている。

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