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神さまがいる

「あああ、お茶碗のはしっこに神さまが残ってるわよ」

小さい頃、きちんとご飯を食べ終わらないと、母親がいった。
ご飯つぶを残すなんて、目が潰れる、とも。

お米には神さまが宿っていると自然に思いながら大きくなった。



ただでさえお米にはそんな思い入れがある。

その上、いま暮らすイギリスでは日本のお米は貴重品だ。
だから、お米を計ったり、研いだあと水を流すときには、ものすごく慎重になる。
鍋を傾けすぎて、シンクに数粒でも落ちようものなら、一粒一粒拾ってしまう。

「そんなに?」

日本人じゃない友達たちにはよく揶揄される。

でも、お米には神さまがいるんだもの。



前の会社で一緒にプロジェクトをやってきた仲間と今でも年に数回は集まってランチにいく。
メニューはたいてい点心。
人数が多いほうが楽しいから。

ついこの土曜日も、みんなでメリルボーンで集合し円卓を囲んだ。

もう6-7年は続いているので、それぞれの好物も、苦手なものもわかっている。

香港系オーストラリア人アナの好物は腸粉(チョウファン)。
白いもち米でできたクレープ状の生地を蒸したもの。
エビが入ったりチャーシューが入ったりすることが多いけれど、アナの好物は何も入ってないものにピーナツソースが掛かったもの。
そう、お米。

中華系マレー人のスウェの好物は河粉(ホーファン)。
平たくきしめんのようになったもち米の麺。
とろみの付いた餡がかかったものがウェットで、醤油ダレで炒めたものがドライ。
これまたお米。

アナとスウェにいわせると「ウェット、しかもシーフードこそ本物」らしい。なので、私は牛肉入りのドライホーファンの方が好きなことは秘密にしている。

生粋イングランド人のケビンはイカのすり身フライが好き。
これには絶対というほどコリアンダー(パクチー)が入っているので、私は苦手。
食べていいよー。私は最後の小籠包をもらうね、といい人のふりをして逃げている。

同じくイングランド人のクリスは豚肉のシュウマイがやっぱりいいねという。王道だ。

香港人で、40年ほど前にイギリス人のだんなさんとロンドンへ引っ越してきたジーナは、お母さんのように「みんながいいものなら、なんでもおいしいわ」といいながら、私たちが選ぶものを、広東語で店員さんにオーダーしてくれる。

私の好物は、もち米のなかにチャーシュー餡が入ったものを蓮の葉で包んで蒸したもの。
剥くのがたいへんだけれど、その葉っぱについたお米をひとつひとつこそげ取って食べる。

そこまでするか、とケビンは面白がるけれど、スウェもジーナもアナも私も、アジア勢総出でいいかえす。

「だって、お米だもの」



コロナの間にしっかり体重を増やしてしまった私は、かかりつけ医からダイエットをしなさいねといわれてしまった。
栄養を考えて、糖質を抑えて、と。

となると、やっぱり取り組むのは炭水化物。

パンはもとからあまり食べない。
パスタはちょっとつらいけど、なんとかなる。
フィッシュアンドチップスのポテトを残すのも頑張れる。

でも、でも。
お米だけは本当につらい。

自然食品店で玄米を買ってきて混ぜたり、キヌアやカリフラワーの刻んだものに置き換えたり、いろいろ取り組んではみたけれど、やっぱりどうしたって代えがたいのだ。

「そんなに?」

ここでも、やはり不思議がられる。

でも、この気持ちをわかってもらうテクニックを見つけた。

ケビンやクリスにもそれを使う。

「イングランド人やアイルランド人はみんな、『ベイクドポテト用のじゃがいもをシチューに入れるな』とか、『シチュー用のポテトにチーズ乗せて焼くな』とかいうじゃない。
あれと同じ気持ちで、私たちはお米に思い入れがあるんだよー」

小学校の調理実習でメークインと男爵の違いを勉強したような気がするけれど、そんなこと言っても、じゃがいもはじゃがいもだろうと思っていた。
この国に来るまでは。

ところが、こちらの文化ではじゃがいもは重要ポイントなのだ。
そう、私たちがタイ米やインド米を代わりにお茶碗に盛れないように。



7-8年前、アイルランドをレンタカーで回っていたとき。

「ああ、停めて、停めて!」

ヴィンセントがめずらしく大声を出した。
みると、道端に、無人販売所ができていて、袋入りのじゃがいもが売られていた。

「これはね、ひときわデンプンが強いホクホクのじゃがいもなんだよ。うわあ、うれしいなあ」

え、買って帰るの?

3キロのじゃがいものを袋を頑張って旅行かばんに入れて、わたしたちはロンドンに帰ってきた。

あれと同じ気持ちだよ。私たちにとってのお米っていうのは。

毎回帰省するたびに千葉産の多古米をスーツケースからとり出す私を笑うヴィンセントに、そうやって説明して来た。

おかげで、最近ではどうやらアイルランド人のこころの目にも、お米の神さまが見えるようになったようだ。

「あ、いけない。神さまが」

お茶碗のはしに残った米粒を、不器用な箸遣いでがんばってかき集めるようになったから。



「お米の神さまねえ」

円卓で、ケビンはなんだか不思議そうな顔をしたけれど。

でも、どの文化にも譲れない味はあるような気がする。

そんなお米やじゃがいも。
パスタやクスクス。
パリッと焼けたバゲットに。

「これじゃなきゃ」という食べものには、その文化の神さまが宿っているような気がする。










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