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能力のマッチメイキング

短期のアサイメントでロンドンにきたという日本人のひとに、目をキラキラさせながら

「ずっと、ロンドンで働いているんですよね。
私もできるだけ長い期間ずっとここで働きたいんです。
どうしたらいいですか」

といわれることが何回か続いた。

この採用活動についてのnoteにも書いたが、答えは割りとシンプル。
「あなたができることと、組織が必要としてることがマッチしてますか」
ということにつきる。

意地悪に聞こえたとしても、やはり、真面目にがんばります、というアピールが評価や採用判断に繋がるのは学校生活の話。
実際のところ「人材がもつ能力」というのは努力や勤勉さとは別のものだし、あくまで組織に「不足している能力」を埋めるのが、採用活動だから。(もちろん日本によくある新卒一斉採用は別のもの)

だからこそ、望んだ仕事につきたいのなら、戦略的に自分の能力や経験というスキルセットが、採用側の必要とするものにどれだけマッチしているかをアピールする必要がある、とエントリにも書いた。

だから、どんなにヨーロッパという地域や、その企業や組織やプロジェクトに残りたいと願い、私にさり気なくアピールをしたのだとしても、その「能力」のマッチングの結果、あわないのなら。
慈善事業や特別な縁故でもないかぎり、そこには入れない。

そして、その「能力」は(イギリスならば)英語で、発揮できなくてはならない。

能力があっても、話せなかったら無いのと同じだし、
話せても、能力が無ければ意味はない。

多国籍企業であれば、査読が仕事でもない限り、普通の職種で文法的に100%完璧な英語など誰も求めていない。そもそも英語を母国語とする人だって文法が間違っている場合はいくらだってある。

ヨーロッパ地域やグローバルを統率するロンドンやアムステルダムオフィスではなく、パリやローマのオフィスでフランスマーケットやイタリアマーケットをみているメンバーに、英語が苦手というひとはたくさんいる。
でも、齟齬なくコミュニケーションは取れる。

そう。齟齬なく。
つまり「すみません、英語は母国語じゃないものでこのミスを起こしたんです」は受け入れられない、ということだ。

自分のコミュニケーションが不安なら「英語が母国語じゃないので、ミスを防ぐためにメールで会議の内容を再確認させてください」と自分が追加で働いてギャップを埋めればいい。

日本でたくさんの新製品を開発してきた技術者なんです、と売り込むとして。その経験を、すごさを、相手の言語でできないのなら、それは存在しないのと同じこと。
英語が共通語の企業で働きたいのなら、残念だがそれが現実だ。

自分が急に赤ちゃんに戻されたような絶望に陥るかもしれない。
つらいかもしれない。
それがつらいのなら、2位から衰えたとはいえ、日本はまだ世界4位のGDPの国。
日本でその経験や知識を使って輝けばいい。

じゃあ、私は英語環境で育って、ネイティブと同じようにまったく澱みなく話すことができます、というひとはどうか。
質問は一つだけ。

「その言語能力で、語れる中身はなんですか」

英語が好きだからと英文科に行こうと考えていた中学時代の私に、担任の先生が突きつけてくれた言葉だ。

1930年代にドイツ軍人クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトが副官に述べたとされる「将校の4分類」を思い出す。

もしも言葉というツールが壊れていたら、自分の母国語では利口だとしても、別の言葉の国では愚鈍にならざるを得ないということ。
そして。
もしかしら、その場合勤勉であることは、必ずしもいいことではないかもしれない。

軍隊で一番必要なのは、利口で勤勉な将校。勝つための戦術を立案できる。参謀に適任だ。
利口で怠慢な将校は生き残るために必死に的確な指揮をするから指揮官にせよ。
愚鈍で怠慢な将校はどんな軍隊にも9割いて、指示に従い決まりきった日常業務をこなすことに向いている。
最後が愚鈍で勤勉な将校。さっさと軍隊から追い出すか、銃殺にすべきだ。間違った命令でも延々と続け、気がついたときは 取り返しがつかなくなってしまうから。

原典Wikipediaクルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトから編集

短期のアサイメントやってきたうちのひとりと、たまたま同じ会議に参加した。ほとんど発言がなかったので、途中で理解度の確認も含めてコメントを求めた。

「あ、I think、えーっと、that global strategy will be じゃなくてcan ああ、we can…」

途中に入る日本語もわかるのは、彼女の他には私だけ。同じ会議室にいたイギリス人、南アフリカ人、ベルギー人の「???」という表情が見て取れた。
最後まで話し終えたところで、こういう事が言いたかったということでいいですか、と私がサマリーを繰り返した。

「イエス、イエス!」

ここは日本のビジネス英会話教室じゃないんだけどな。

客人として期間限定で経験できてるなら、単純な繰り返し業務は任されるかもしれない。
でも、「私、ヨーロッパで、戦略的なプロジェクトをやりたいんです」と熱意を訴えられても、じゃあそこに貢献できるどんな能力を持ってますかというだけだ。

プロジェクトを不成功に終わらせるわけにはいかない。
だからといって、メンバーの「能力」のギャップを埋めるため、追加のリソースに予算を投資する余裕は、普通の企業なら、ないだろう。



語学力というツールにせよ、経験や才能という中身にせよ、必要な能力があると判断されれば、あとは知名度がものをいう。
「できることと、組織が必要としてることがマッチ」したとき、自分のことが組織で知られてさえいれば、自然と白羽の矢が立つに違いない。

イギリス人でも似たようなことはある。
たまたまプロセス改変のプロジェクトがたちあがり、その切り盛りをオランダ人のプロジェクトマネージャとともに障害なく完了した。
それが、そのイギリス人にとって大きな自信につながったのは、傍からみていてもよくわかった。
でもそれは、プロジェクトを失敗させられないからと、裏で彼女の上司であるそのオランダ人がタラレバの部分をうめ、私に相談し、私が他のチームメンバーに仕事を振って現実的なところをカバーした結果でもあった。
それは彼女の目には見えていない。
そして、もっと大きなプロジェクトが持ち上がったとき、彼女は当然自分が今度は中心になって切り盛りするんだと思っていたようだ。

「あの、それって、私じゃないってことですか」

絶対任せられない人材が、絶対任せてもらえると思っていたときの説明の会話ほど、つらく難しいものはない。

「鏡のなかにライオンを見ている猫」は、ヨーロッパにもたくさんいる。
語学の要素がないだけで、持っている能力と求められている能力がマッチングされるのは同じことだ。

「日本人であることとは関係なく、ヨーロッパやそれ以外の国出身者たちの中で遜色ない活躍ができる必要があると思います。がんばってね」

ロンドン志望の日本人にはそんな言葉を返した。

行きたいところで求められている能力が何かを理解し、自分の現在とのギャップを埋め、欲しがられる人材になれるか。

それは自分とて同じこと。
違うところへ自分が移りたいのなら、求められる能力を持っていることをしっかり売り込まなくてはならない。

さあて、偉い人たちに少しずつアピールしていかないとなあ。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。