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ケーキが焼けるまで

昨日は1,564人。イギリスで、新型コロナウイルスに感染したと確認されてから28日以内に死亡した数だ。

昨年のイタリアの医療崩壊までには至らずとも、現在のイギリスの、特にロンドンの医療現場はひっ迫しているという。
いろんなことが、真実なのか、フェイクニュースなのか、信じるべきなのか疑うべきなのか、混沌としている今日この頃。だけど、目の前にいる誰かが発する「大変だ」という叫びは厳然たる事実だ。

ロックダウンが断続的に続くロンドンで、よくチェックするようになったのがnextdoorというご近所掲示板サイトだ。
「あそこの個人経営のレストランがテイクアウトで営業しているからサポートしよう」「仕事を失ったけど、子供にせめてクリスマス気分を味わわせたいので、いらないクリスマス飾りがあったら譲ってほしい」…等々、半径5キロほどの範囲の情報があふれている。

その中に、スクロールする指を止まらせる投稿があった。

NHS(国民保健サービス)のブルーな月曜日を「焼き」払おう

親愛なるご近所のみなさんへ
私は南西ロンドンにある大きな緊急治療対応の病院で働いています。金曜に私が勤務を終えて帰るとき、同僚たちはいったいどこに追加の病棟を設置できるのか頭を悩ませていました。なにしろ300人以上のコロナウイルス患者が待機しているのです。
私は月曜に勤務に戻りますが、妻と自分とで焼いたケーキを差し入れに持っていこうと決めました。謝意も大事ですが、こんなときにはケーキのほうが効き目があると思うのです。
でも、私たちに焼ける数には限りがあります。もしお菓子を焼くのが得意な方がいらしたら、どうか私の同僚たちに追加の力を貸してもらえませんか。

テリー

なんてタイムリーなんだろう!
土曜の早朝で、まだベッドの中だったけれど、パッキリと目が覚めた。
参加したい。
これなら私にだってできる。

リモート勤務が始まり、通勤がなくなり、お弁当作りがなくなり、外食ができなくなり、そして、ものすごい時間を持て余す日々が始まったのは2020年の3月のこと。
あまりの退屈さに、今までは手を出さなかったベーキングを始めた。
甘いものはあまり食べないけれど、なにしろ近隣のカフェや飲食店がどんどんと閉店し、スーパーの棚で売っているケーキが嫌なら自分で作るしかないのだもの。
とはいえ、焼いたものを全部食べ続けていたら、どんどんカラダについてしまう。どうしたものかと考えていたところだった。これを運命といわずになんといおう。

テリーさんにコンタクトを取り、夕方までに持っていきますと約束し、エプロンをつけて、腕をまくって、行動開始した。

誰かのために最前線で働いている誰か。
その人がタフな一日の終わりに甘いものを口にしてほっこりしてほしい。そう思いながらケーキが焼けるのを待つ時間は、暇つぶしで作る普段のケーキの何倍も楽しかった。

さまざまな人種や文化背景のひとびとが働くロンドンの病院だからと、ヴィーガンのチョコ味、りんごをバラのように飾ったシナモン味、そして日本人が作ったのをちょっとだけ匂わせたくて抹茶味の3種類。
焼きあがったケーキたちを箱に詰めて、テリーさんの家に運ぶ間、なんだか自分までミッションを背負ったような、ワクワクする気持ちだった。

「こんなにたくさん焼いてくれたの?うわあ!しかもヴィーガンとかの配慮もしてくれて、本当にありがとう」
テリーさんにそういわれて、マスクの下で満面の笑顔になった私。
けれど、感謝したいのは私のほうだ。
この小さなプロジェクトのおかげで、こんなに温かい気持ちで半日が過ごせたんだもの。

自分の時間や努力や技術が、どこかの誰かの笑顔に繋がっている…。
そう思えるってなんてシアワセなんだろう。


いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。