見出し画像

なんで勉強しなきゃいけないの?

オトナになってから何かを学ぶときは、自分がやりたいものを選ぶだろう。
したくもないのに学ぶのは、仕事に必要だったり、資格の更新だったり、それなりの「理由」というものがある。

でも、子供の頃、思ったことはないだろうか。

「なんでソレ、勉強しなきゃいけないの?」

その質問を誰かにぶつけたことはありますか。

私は、ある。

高校一年の担任に「学校の交換留学に応募したい」と話したら、高笑いされた。
体育教師だった彼女は年齢とウエストが同じ54と噂される、小柄でキビキビ、溌剌で、そもそも体育という時点で私から一番遠い世界にいるひとだった。

「ガッハッハッハ。そういうことは、学年順位を上げてからいいな」

小気味いいくらいに、バサッとやられた。

そうか、留学推薦枠に入るには順位が良い生徒じゃなくちゃいけないんだ。じゃあ、上げてやろうじゃないの。

内部進学で上がった高校だったから、最初の学期の学年順位は400人中たぶん150番くらいだったんじゃないかと思う。
だから、先生があり得ないというのもある意味納得したし、悔しかったので、勉強をした。
次の試験で学年25番くらいになった。
理由が目的とリンクすると人間って頑張れるんだな、と実感した経験だった。
とはいえ、そもそもの目的だった交換留学には、成績のせいじゃなく、父親が首を縦に振らなかったので、行けなかったんだけれど。

高校三年生にもなると、普通の学校は文系とか理系とかに分かれるものらしい。
しかし、大半がそのまま内部進学する私の母校では、どう考えても文系ど真ん中の私ですら「代数幾何」や「微分積分」といった、今キーボードを打っても悪寒が走るような恐ろしい科目たちと立ち向かわなくてはならなかった。(理系の方すみません)

微分積分のK先生は、強風が吹けば飛んでしまいそうにひょろっと細くて長く、いつもグレーのスーツで、つるりとした頭にメガネのおとなしい方だった。

「はい、こうやって、放物線を回転させた体積を求めましょう」

チョークの跡も美しく、見事な放物線が黒板に描かれる。
回転?体積?
だって、これみんな、空想上の放物線ですよね?

「はい、じゃあここまでで、質問」

私は手を挙げた。

「あの。そもそも数学が苦手だからだとは思うのですが」

仲の良い友達には私の数学嫌いは有名だった。
それに、数学が悪くたって大学生にはなれると甘く見ているところもあった。だからこそ臆せず、そんな質問をぶつけられたのだと思う。

「私は、この先の人生で、ボールを投げたりする以外の場面で、自分がどんなときに放物線を描くことになるのか想像がつきません」

先生もみんなも、困惑と笑いの混じった目で私を見た。
一応弁明すれば、その時も学年順位は50番以内を維持していて、クラス委員もやっていた。
放課後に合コンにもいってたけど。

「もしもなにか現実に存在するものの体積を求めたかったら、私はたらいに水を張ってそれを突っ込んで溢れたお水を測ります。っていうか、私がなにかの体積を知りたいときって、大根を煮るのにこのお鍋に入るかしら、とかしか思いつきません。先生、放物線を描いて、回転もしたあとに、体積をもとめたくなる場面がどんなときか、それが何に応用ができるのかを教えてください」

いやな生徒だ。
いや、自分のことなんだけど。

でも、私は本当に、「これを学ぶとこれができる」という動機づけのようなものが欲しかったのだ。
学年順位を上げる勉強をしたときみたいに、きちんと理由が分かったら、嫌だとしても、たぶん、なんとか頑張れるから。

けれど。

「このクラスには」

コホンと喉をならして、K先生は私以外のみんなを眺めた。

「数学を楽しいと思い、勉強したいと思っている者たちもいっぱいおる。だから、その同級生たちを邪魔をしない範囲で、キミは他のことをしてなさい。5は絶対にあげるから」

5というのは通知表の10段階評価で内部進学を取り消されないための最低数字だ。
つまり、「黙っとれ」。

だから、それ以降、私はK先生の授業では、編み物をしたり、本を読んだり、機械と対戦するオセロゲームなんかして時間を過ごした。
前に呼ばれて問題を解く場面になっても、前の席のHさんがあたり、次は後ろの席のOさんに飛んだ。
ロンパールームでパンダに変身した泣き虫の女の子みたいに、私は微分積分の世界から消えた。

そんな挑戦的な態度が許され、そして、勉強するよう強制もせず、「邪魔せんで、他のことやっとれ」といってくれる自分の母校のことが大好きだ。

だけど、やっぱりK先生には答えてほしかったなと、今は思う。
たとえば、「放物線を回転できると火星探査機を宇宙に送ることができるんだよ」とか、そんな夢のあることを。

ま、もし、そういってもらえてたとしても、やっぱり私は文系だったとは思うけど。

そしてロンドンで暮らすようになった今。仲良しのウェールズ人友達には、今年18歳になる甥っ子がいる。

数年前、その甥っ子RくんがGCSE(General Certificate of Secondary Education)と呼ばれる義務教育の修了試験(イギリスでは義務教育が16歳まで、その後自分の選んだ進路に従い何をどう学ぶかを決める)の勉強をしていたときのことだ。

「ああ、いやだ、いやだ。なんでこんな思いまでして、勉強しなくちゃいけないんだよ」

試験勉強のために、ゲームやおもちゃのない環境をと、Rくんはウェールズから、遠路はるばるロンドンに住む叔母にあたるその友達の家に「合宿」に来ていた。

私の友達は

「だって将来は自分で生活していかなくちゃいけないし、勉強は大切なのよ」

と話し始めた。

けれど、私は、やさしい両親と祖父母に加え、独身の二人の叔母たちが思いっきり甘やかしている一人っ子のRくんに、そんな説明じゃ伝わるまいと思った。

「ね、Rさ、いま私のいってることわかる?」

私はわざと日本語で話しかけた。

当然Rくんは一瞬キョトンとしたあとで

「ずるいや、それ日本語だろ」

といった。

「そうだよ。じゃ、どうして普段は私の話すことがわかるのかな」

私は今度は英語に切り替えてそういった。

「そりゃ、それは英語で…」

そこでRくんはハッとした顔をした。

「そうでしょ。それは、私がRと同じくらいの年齢のときに、いやだいやだと思いながらも、外国語の単語を覚えて、外国語の文法を勉強して、外国語の発音を練習したからだよね」

Rくんはうなずいた。

「そうしてなかったら、私はいまここにいない。興味があることをサポートする科目を勉強をするって、世界を広げてくれるってことなんだよ。もしも私がRの歳のとき、数学が大好きだったら、それを突き詰めて今頃はものすごい定理を解き明かしてたかもしれない」

いいながら、ちょっぴりK先生の顔が浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。

「まずは試してみないと、自分が何にトキメクのかなんてわからないよね。ご飯と同じだよ。私は、いろいろ試食して、日本語を話せない人とも理解しあいたいって思って、英語を勉強したんだよ」

Rくんが、その後の人生でなにをしたいのか、そのためには何を勉強したらいいのか、そんなことを考えてくれたかはわからない。

でも、勉強のために勉強するんじゃなく、なにかを変える一歩としていろんな勉強をすることには意義がある、と、分かってくれたならいいんだけど。

Rくんはその後、大いに成績を改善して、今は近所のカレッジに通っている。

私たちは、なぜ(Why)それを勉強するかの前に、どうやって(How)効率よく学べるかを追及してしまっていないだろうか。

企業活動においても、なぜその会社が存在してどんな価値を社会に届けるのかを明確にする前に、達成目標を掲げどうやってそれを叶えるかに執心していないだろうか。

成績を上げよう。
マーケットシェアを上げよう。

新しい単語を覚えよう。
新製品の説明資料を読み込もう。

でも、その前に、どうしてするのか、を、ちょっと立ち止まって考えたい。

そんなことを考える、無職2日目の私である。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。