見出し画像

ルーツ

大好きなもの・ことを思い出すことは、自然と、今の自分をつくったものはなんなのか、に思いを馳せることにつながる。

たとえば自分が「パン屋の娘」として生まれ育ったこと。

たとえば小学校時代に大好きだった怪盗ルパンシリーズ。
お城や財宝ということばから異国の文化に思いを馳せた。

そのあとに読んだクリスティの翻訳小説で出会ったオレンジ色の猫。
その日本語に疑問を抱いたことで言語学への興味が生まれたこと。

大好きだった漫画、いや今でも大好きな漫画。
ロンドンには、私がアメリカに留学したいと思うきっかけを作った成田美奈子の漫画だけじゃない。川原泉や槇村さとるも連れてきた。
「パタリロ!」はさすがに連れてこれなかったけど、いまだに霧が立ち込める朝には「霧のロンドンエアポート」というバンコランのコードが思い浮かんでしまう。
キンドルには「マスターキートン」、「ガラスの仮面」に「ベルサイユのばら」そして「有閑倶楽部」。

私の中学校には「年間研究」という課題があって、中学校三年になると、何かひとつ一年間を通して調べ続けるものを選びなさいといわれる。

私がテーマに「仏教」を選んだのは、禁忌感に満ちたお寺のイメージを解き明かしたい気持ちと、僧侶というものが自分のルーツに関わっているという好奇心からだった。

そしてもうひとつ、中学時代に課題だったのが、「ルーツ」というめちゃくちゃ長い本を読んで、自分のルーツを書きまとめるという夏休みの宿題だった。

1976年にアメリカで出版された「ルーツ」は原題を「Roots: The Saga of an American Family」という。
著者アレックス・ヘイリーが、彼自身の一族の歴史を12年かけ調べ、描いた、ドキュメンタリーとフィクションを混在させた小説だ。

1767年に西アフリカの小国ガンビアからアメリカ合衆国に奴隷として連れて来られたクンタ・キンテをスタートに、そこからヘイリーに至るまでの親子七代、200年に渡る「あらゆるものを搾取され、奪われ、それでも自分たちの暮らしを築き上げてきた歴史」を描いている。

1760年ということは江戸時代の中頃。そこから現代までを、戸籍制度のないアメリカで、奴隷の子孫という自分の系譜をさかのぼっていったとは。その情熱が伝わる。

1977年にピューリッツァー賞を受賞。
世界的ベストセラーとなり、TVドラマになって、日本でも大ブームになったのだという。
さすがに小さすぎて、その記憶はない。
きっと、そのドラマに衝撃を受けた先生が考えついた夏休みの課題だったのだろう。

2センチくらいの文庫本で全三巻。これを読むのは、苦痛に等しかった。
最初のほうに出てくる奴隷船の中の描写は暗く気持ち悪く痛い。読むだけでも拷問のようだった。

迫害と血と犠牲のバトンに読める「ルーツ」。
アメリカ人たちが誇りにし、日本人にとってアメリカの象徴のような「自由」が、いかにたくさんの犠牲のうえになりたち、いかに不平等に与えられていたのか。
そんなヘビーな内容を読み、「そしてあなたのルーツを書きまとめなさい」とは、中学生の夏休みの宿題として、あまりに重い荷物だった。

ヘイリーは小説の最後に、幼い頃、祖母でありクンタ・キンテの曾曾孫にあたるシンシアが家族の歴史を語っていたと回想する。
そうか。さすがに200年をさかのぼるのは無理だけど、せめておじいちゃんかおばあちゃんに家族の歴史を聞いてみなくっちゃ。

おじいちゃんの家族はどこからきたの?
おじいちゃんのおじいちゃんはどこからきたの?
おばあちゃんの家族はどこからきたの?
おばあちゃんのおじいちゃんはどこからきたの?

同じ学校にいた3つ上の姉が、同居している父方の祖父母に質問をしてしまっていた。だから、私は湘南に住む母方の祖母に話を聞くことにした。

どうしておじいちゃんはお坊さんになったの?

「ルーツ」は「奴隷船に乗せられ、無理やり連れてこられたアメリカで、搾取され苦しみ抜いて根を下ろしていった黒人の子孫」であるヘイリーの系譜だ。
バラク・オバマのような「チャンスを求めて留学生として自発的にアメリカにやってきた黒人の子孫」ではない。
でもどういう事情でやってきたからって、差別が免除されるわけじゃない。

私は、チャンスを求めて自発的にイギリスにやってきた有色人種だ。
自分で選んできたからって、鋭い敵意や悪意を投げられないわけじゃない。
アメリカ時代だってそうだった。

そんなとき、ふと思う。

あの夏の宿題で、「ルーツ」を読まされ、自分がどこから来たのか、自分が何者なのかについて祖父母に聞いたのは、とても貴重な体験だったのだと。

自分のルーツを分かっておくということは、そういう悪意に動ぜぬインナーマッスルを与えてくれるのだと。

肌の色だけではなかった。
アメリカ時代、当時のボーイフレンドの郷里であるペンシルベニア州にいったとき。裕福で教育程度の高い白人と貧しく高校にもいかない白人の暮らしぶりの差を目の前に突き付けられた。
ミネソタ州では先住インディアンの居住地生まれや混血の若者たちがアルコールや薬物、ギャンブル中毒の親や親戚の呪縛から抜け出そうともがいていた。
日本でだって、イギリスでだって、性別、ことば、文化、信じるもの、受けた教育、食べ物、生活習慣、肌の色、目の色、髪の色。
いくらだって区別と差別の理由は作られる。

外側から、じぶんを揺るがすような何か強い力を向けられたとき。
それに屈せずどっしりとあるために助けとなるのは強く深い「ルーツ(根)」なのではないか。

いまここにいる自分を作っているものが、なんなのか。
どこからきたのか。
どんなものを吸収してきたのか。
自分を愛して、支えてくれるひとたち。
差別に、いっしょに憤慨してくれるひとたち。

そんなルーツをしっかり認知しておくことが、パワーであり、支えなのだ。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。