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月に着くまで13分

会社をやめようと決めたのはいつだったんだろう。

実際に上司に伝えた日のことはもちろんしっかり覚えている。週に一回の「ワンオンワン」と呼ばれる一対一の面談の時間だ。
言っちゃうぞと決めていたから、上司が延々とギリシャやポーランドの製品準備の話をしていることがもどかしくて、とっとと吐き出してしまいたくて仕方なかったっけ。

だけど、やめようと決意をした瞬間みたいなものは、どうにも思い出せない。

朝ごはんのオムレツに卵の殻が入っていた時のように、ザラッと嫌な感覚を口の中に感じたのは、そもそも採用面接の時だった。
そのアメリカ人の肩書はダイレクターで、アソシエートダイレクターの職に就くはずの私は格下ということになるのだろうけど、「同じボスにレポートするのだから同僚じゃないか、なんでそんなに偉そうなんだろ」と思いながらの電話面接だった。
かっこつけて専門用語を駆使した質問を投げてくるわりに、私の回答に全く深堀りしてこないところから、「コイツほんとうは自分のしゃべってることがよくわかってないじゃないのかな。そういうタイプがはびこる会社じゃ不安かも」と思ったんだっけ。

ピカピカのオフィスにジュースやフルーツの詰まったアクセス自由の冷蔵庫。
飛ぶ鳥を落とす勢いの会社らしいキラキラしたオフィスでの新しい生活が始まってすぐ、自分の部下になるはずのソマリア系女子が、やたらと私をを牽制していることに気づいた。
神経質で自意識が強め。ややこしいことになるタイプかもと思っていたら、いきなり「ワタシはあなたの部下にはならない。並列で同じようにシニアダイレクターにレポートするはずだ。」とぶちかまされた。
道理で最初からけんか腰だと思ったら、今回出世するんだと期待していたのに、新しく採用された私が自分の上司になることが納得できなかったようだ。
採用面接でそもそも部下が一人いますが、管理職経験はありますよねと訊かれたくらいだし、はじめから私の上司はそのつもりだったはずだ。
でも「彼女に圧されてそれを切り出せなかったんだ…」と私が質問したら目をそらして告白した。
おかげで、こっちの上下関係の構築は最悪のスタートだ。

上司として認めない!まで言い切った後だから、誤解が解けた後でも今さら迎合もできなかったのか、そもそもそのつもりだったのか、そんなスタートをした彼女からは業務の説明も引継ぎらしきものも、ほとんど皆無だった。
私の採用まであいだを埋めていた派遣のインド人からなんとか状況を察し、あとはもう飛び込むしかないんだなと腹をくくった。

まるで15年前に日本でやっていたような仕事内容。しかも社内のネットワークについてまるで知識がないから、いちいちものごとを進めるのに時間が数倍かかる。
なんでこんなことしてるんだろ、辞めようかな、いやいやそれは自分が不慣れなことから逃げているからだ、もっと新しい環境にオープンマインドでいなくては。そう言い聞かせて頑張った。

試用期間の3か月が終わるころ、上司に「形式だけど、一応辞意を確認するよ」と訊かれた。

イギリスでは試用期間はお互いの権利だ。雇用主がしまったと思うこともあれば、従業員の側がこんなはずじゃなかったということもある。3か月以内ならば即刻辞めることができるのは双方にとって意味がある。

形式だけというなんて、上司には私の煩悶が掴めてないんだな、と悲しくなった。
3ヶ月目の面談はもっと深掘りしたものになると思っていたからだ。
質問に対して「ちょっと考えちゃってます」と上司に告げると「そうか…。確かにまだまだのところがいっぱい組織だけど、一緒に変えていきたいと思って採用したのだからがんばろう」と励まされた。
だから、辞めるのは思いとどまった。

でも、やっぱり、毎日、まいにち、無理かな…と思う日が続いた。
そんなある日、上司から呼び出された。「実は、年内で辞める」
はぁ?耳を疑った。
頑張ろうといったじゃん。
チームは最悪だし、部下は反発しかしないけど、少なくとも上司がサポートしてくれるのならば続けてみるかと思ってたのに。

唯一のよりどころだった岩場が、荒波に一気に粉砕された瞬間だ。
はしごを外されるって、こういうことをいうんだろうな、となぜか他人事のように思いながら見下ろしていた上司の机の上のカレンダーのオレンジ色が目に焼き付いた。

上司のあとがまが決まるまで、突然本社の取締役の直属の部下になった。
別に出世したわけじゃない。
単にボスのボスにレポートすることになっただけだ。
そのおじさんはアメリカ人の常で「どんな小さなことでも、いつだって連絡しておいで」というけれど、実際送ったメールには何も返事がこなかった。

どこの組織が何をするのかろくにわからないまま、相談するひともなく、並列のはずのアメリカ人ダイレクターは「これはお前のチームで解決するべき問題だ」とどんどん自分にきた課題をこっちに振ってくる。

あまりに無秩序で、これまで業務プロセスを効率化してきた自分には理解ができない混沌ぶりだった。

私の部下(を拒否した部下だけど)は、私を飛び越して、アメリカ本社にいる取締役に自分の仕事を報告しはじねた。
お偉いさんに直接つながり、ここぞとばかりに売り込みする作戦らしい。

そんな中でも、アメリカのチームからヘルプをいれさせたり、よその部門に相談相手を作ったり、自分なりにはがんばったつもりだ。

でも、「アウェー感」がいつまでも消えないことが、どうしようもなくつらかった。
いつまでもいつまでも、ここにはお前の場所はないといわれ続けている感じだった。
いつの間にか「辞めよう」が心の中に染み出して、どんどんと濃くなっていった。

私の作ったんじゃない需要予測シートをもとに、それを作ったインド人本人が、内容に問題があるといいながら私の不手際を訴えるという、どう考えても論理破綻しているzoom会議が終わった時、「もう無理」とココロから思った。
むしろ、オレ、よく17か月も耐えたなと肩をたたいて褒めてやりたいくらいだった。
明日のワンオンワンで辞めるっていっちゃおうと決めたとき、すうっと気持ちが楽になった。

あ、この瞬間か。決めたのは。

15年以上も勤めた会社を辞めたあとだ。どこのどんな会社に行っても、ギャップに目がいってしまうに違いないから、できるだけオープンマインドでいこうと言いきかせていた。

けれど、笑顔で許せば許すほど、ありとあらゆるものが乗っかってきた。
合意した役割分担に即してないといえば、フレキシブルじゃないと責められた。もう、無理。

これまで、どんなにつらくとも、次の仕事が見つからないまま辞めることは絶対にしたことはなかった。
MBAのため大学院に通っている間、仕事があり収入があることのありがたさをつくづく感じたからだ。

なのに、コロナで世界中が不況の渦に飲み込まれていくなか、次も決めずに私は会社を辞めることにした。

不安?もちろん。足先からぞわぞわと毛虫がよじ登ってくるように、不安がじわじわせり上がってきている。
でも、後悔だけはまったくない。自分の魂をこれ以上切り売りすることだけはできないから。

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