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共存できますか

カッパドキアの街で4日間過ごし数々の遺跡を巡った後、私たちはGüzelyurtという集落に立ち寄った。
ここにあるモスクで、イマム(指導者、お坊さんや神父さんにあたる)とお話しをする機会がツアーに含まれているのだ。

これこそリックおじさんのツアーに参加した意義。

これまでの博物館やモスク訪問でも、ツアーガイドの説明はアブラヒム系のキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の共通点に触れることが多かった。
エジプトのイシス神も処女でホルスを宿った説があるなど、いろいろな神話や宗教、歴史において、お互いの相違点よりも共通点に目を向けさせようとしている印象を受けた。
そこここで、「歴史は大きなうねりの中で繰り返すものなのだ」というフレーズを多用していたからだ。

それは私がこれまで考えてきたことにとても共鳴するものだった。

こんなことを過去のnoteにいくつか書いた。

おそらく、ツアーの対象がアメリカ人であることを踏まえ、彼らの中にあるイスラムフォビア(イスラム教への嫌悪)感情や、キリスト教的視点を基準にものを判断しがちな傾向をわかった上で、こういった機会を設けているのだろう。



大型バスが停まったのは、何気ない小さな集落のスーパーマーケットの隣にあるモスク。

スーパーの前にはサビ猫。

チェックのシャツにダウンベストを羽織った40代の柔らかな笑顔の小柄な男性が迎えてくれた。

これまでみたものとは違う
こぢんまりと簡素で
地元に根づいた感のあるモスク


どんな教育を受けてイマムになるのか、どうやって教区が選ばれるのかなどの質問のあと、少し踏み込んだ質問が飛び交い始めた。

なぜ女性は髪や体を隠すのか
なぜ性別で祈りの場所が違うのか
ジハードとは何なのか。
女性はイマムになれるのか。

ツアーのメンバーを反映し、回答はキリスト教やユダヤ教に比較したり喩えたりするものが多かった。

私の番がきた。
そこで、自分が仏教の考えに共感する身であることを伝え、「世の中にあまたある宗教は共存できると思うか」を私は尋ねた。

私はアクティブに宗教活動をするわけではなく、初詣には実家の近所の氏神様に手を合わせ、祖父母の墓参りに合わせて菩提寺で手を合わせる典型的日本人だ。
けれど、以前にも書いたように仏教の考えに共鳴している。


もちろん明確にイエス・ノーの回答を期待していたわけではない。
できるわけもない。

「とても深い、素晴らしい質問ですね」

イマムは静かに時間をおいた後にそう口を開き、話し始めた。

「仏教は自己の修練を通じて自ら導くもので、私たちは多くの人々を導くものです」

それを受け、私は仏教にも大乗仏教と小乗仏教の考え方があると述べた。

「そうですね。同じように私たちの船には指導者がおり、多くの人を乗せて導くことを目指しています。あなたの場所もそこにありますよ」

と笑顔で結んだ。

もちろんツアー客を自分のモスクに迎え話をすることを受け入れるくらいリベラルなのだから、攻撃的な回答をすることはないだろうと思ってはいた。

ただ、さらに他のものを否定しないその回答が、寛容でそしてとても現実的なものだったことに、とても暖かい気持ちになった。

「ありがとう。とても貴重な機会だったし、この旅のハイライトかもしれない」

モスクを出た後、私はツアーガイドにお礼をいった。

「イマムも自分もとても考えさせられるいいグループと話ができたといっていたよ」

と彼は教えてくれた。

最後に写真をお願いした
柔和な笑顔。


うん、共存できますよね。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。