芋餅と子供の話。
友人からリクエストされて、芋餅というのを作った。
芋餅というのは友人曰く北海道のおやつとのことだが、そんなに調味料や複雑な調理方法が必要ということもなく、芋を潰すという労力はあれど比較的作りやすい料理だった。
とはいえ、サムネの写真の通りよく見ると、餅の大きさがわりとまちまち。私は均等に餅を作るのが割と下手。
そこでふと、「もし私に子供が何人もいたら、芋餅の大きさで喧嘩が起きてしまうだろうな…。」というとを思った。
子供。窓の外から飛び込んでくる子供の声をよく聞いている私は、子供の存在について考えさせられることが多い。子供の小さく、か弱いいのちのことを。
ある時、とても愛しい知り合いに子供が生まれた。
それからすくすくと成長する姿をインスタグラムのストーリーで見るたびに「子供ってすごいな。」といつも驚かされる。子供の成長の速さはあっという間だ。
これからあの子はどんな人生を歩むのだろう?何を見て、何を聞くのだろう?というどきどき感が、いつもインスタグラムのストーリーにある。他人の子供なのだけれどね。でも、愛しいと思う。
もし、私に子供ができたらどうなるんだろうか。私は子供を愛せるだろうか。私はとてつもない心配症などうしょうもない人間になりそうでならない。あと、ママ友とかいうグループに馴染める気がしない。どうあがいても、私は一般社会とはズレ込んだ価値観と言葉しか喋れない。周りの思う「当たり前」とか、社会に溶け込める気もしない。
不安と心配、今はそればかりが目立つが、子供を本当に授かったのなら、そういう不安や心配も乗り越えていけるものなんだろうか。私は母親になったこともないからわからないけど。でも何となくそういうものであってほしいなって思う。
正直、今後結婚するかも微妙な所だ。結婚して幸せになりたいとか、絶対幸せになれるとか思わないし、今はもう「結婚」というものがステータスな時代でもない。(と思っているが実際はどうなんだろう)
けど、ある程度の幸せは掴めるのかもしれないとも思う。子供を愛しく、時に苦しく思いながら歳を取るって、素敵だと思う。一生馬鹿なロマンチストだから、大変な事が多いとはわかっていながらも夢見ることはやめられない。
今は六畳一間で限界の私のテリトリー。子供を育てるほどの余力もなく、今を生き抜くだけで精一杯なのが現実。
でも、いつか子供に巡り会う日を夢見ている。愛しい子供の髪を梳いたり、おやつや夕ご飯を作って家で待っている日常を。そんな甘ったるいもんじゃないと思うけど。もっと、激流みたいな毎日になると思うけど。そんな激流みたいな日常も愛していけるような大人になってみたいものである。
出来上がった芋餅を頬張りながら、私は愛しい日常を夢見ている。
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