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過保護?過剰?

コロナウイルスの影響で、3月初旬から学校は休みになりました。

それに伴い、日本語学校も休みになったりオンラインへの変更が起きたようです。

そんな中、3月13日に、

「ICT活用のその先へ 学習者一人ひとりと向き合うために」

という対談がありました。

私は開催を後日知ったので、録画視聴で見ています。
(結構長いので、まだ見終わっていない)

今回はその中で出てきた質問から感じたことを書きたいと思います。


まず、ちょっとまとめですが、私は1時間くらい聞いています。
そこまでの流れとしては、
①学習自体は、人間が教えるよりそれ以外(Duolingoなど)の方がいいこと
 もある。
②今後は、生身の教師が教えることに、付加価値が必要になる。
というようなことだったと思います。
(違っていたら、本当にすみません)

概ね、私も賛成というか納得で、結構内容の濃い時間だと思います。
今回書くことも、対談の中で触れられていることの、私なりの焼き直し的なものです。なので、対談を見られた方は、面白みはないかも。
でも、私の言葉でまとめさせてください笑

教師の役目?

さて、対談の中ではいくつか質問に答える箇所がありました。

その中に、こんな質問がありました。

「留学しなければ得られないものを教師は提供できるのか?」

私にとっては、この部分がずっと気になっていたことに重なって、対談を聞きながら考えてしまいました。

「ずっと気になっていたこと」というのは、日本語教師の方を含め、日本の先生の”過保護というか”過剰”というか、そういう Too Much感のある対応です。

私は、日本語教師になりたかったけど、なれませんでした。
高校教師の資格を持っていますが、なっていません。
なので、資格はありますが、あくまで学生側の経験しかありません。
でも、語学留学の経験は台湾、アメリカなどでありますから、留学生の気持ちはよくわかります。

その経験からしたら、語学学校の先生に求めることは、
「語学を教えてもらうこと」だけ
です。
それ以外の体験や経験は、自分でやりたいのです。

教師としては、せっかく日本にいるんだから、着付けも味わってほしい、日本食も食べてほしい、友達も作ってほしいなどなど思いはあると思います。

でも、学生としては、それらは自分でしたいことなんです。
それを自分で出来るためのツールとして、語学を学んでいるんです。

一人でセブンイレブンに行って、美味しそうなおにぎりを探して、
レジで「PayPayでお願いします」って言いたいんです。

クラスメートと、留学先のお祭りを調べて、着ていく服を探して、
カキ氷の露店で「ブルーハワイってどんな味ですか?」って言いたいんです。

それらを学校に準備してもらいたいとは、思っていないと思います。
むしろ、自由に使える時間がたくさんあって、自由に言葉を操れるようになる方が、うれしいと思います。

私は、教師の役目というのは、あくまで「語学を教えることだけ」だと思っています。
私は通った語学学校は、台湾もアメリカも、先生は語学を教えるだけでした。本当にさっぱりしたものでしたが、それがとても楽でした。

(対談の中でも、「当たり前すぎて文字化していない部分(ネットでは知れない部分)を体験できることが留学の意味の一つ」という話がありました。)

Too Much感

「留学しなければ得られないものを教師は提供できるのか?」

逆に聞きたいのは、留学する意味を教師が与える必要があるのか?ということです。
むしろ、教師に教えること以外の何を求めるのか?
教えることに力を入れ、あとは野に放てばいいわけですよね。
本質はそうですよね。

でも、日本の他の学校(小中高など)でも、先生は本質を含め、
その周辺もおさえておこうとしているように思います。
例えば、部活や行事はそれにあたるかと思います。
それに慣れてしまうと、それが当たり前で、そこまでしないといけないになってしまうように思います。
(正直、公務員の仕事のほとんどがそれなので、大きな声では言えませんが…)

でもでも、それって本当に学生のためになっているのでしょうか?

今回の学校の一斉休校で、自由研究に励んだ人、遊びまくった人、それぞれいたと思います。
でも、みんな「自分(もしくは家族)が考えて行動した」のではないでしょうか?
私はここがとても大切だと思っています。
誰も何も準備しないから、自分たちで考えるしかない、動くしかない。
それを学ぶための時間だったように思います。

あっさりさっぱり

今の世の中、流れが速いので、「自分で考えて動けるかどうか」はとても大切なスキルです。

それを、準備しすぎる=過剰、過保護にすることで、奪っているのが現状ではないかなっと思っています。

だから、教師の仕事は、意味を与えることでも、あれこれ世話をすることでもなく、「教えることに集中し、力をつける」ということだと思っています。

ただ、本質的なことをあっさりさっぱり実行していく。
それが大事かなっと思いました。


※全体的に記憶違いがあったら申し訳ないです。

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