病院の日

昨日は月に2回の通院日でした
私服を着る機会があまりないので、今年まだ1度も着ていなかったおめかし用のワンピースを着て、好きな色でお化粧をして病院へ向かいました
担当のカウンセラーさんは女性で、髪が短くて、さぱさぱしていて、優しい感じの人です
もう2年以上担当してもらっているので、社会人になってからの話だけではなく、もっと前の話も沢山聞いてもらいました

私は、新卒で入職した障がい者施設の仕事をする中でメンタルをぶっ壊し、うつ病と診断されました

診断されてから1年半程経ち、今は週2回、学習塾で講師としてアルバイトをしています
正社員として働くのはまだ先になるかなあ…という感じです

今日カウンセラーさんに、「以前あなたから聞いた話で印象に残っているんだけどね、」と切り出され、話をされました
以前私が、年上で、何年も障がい者支援の現場で働いてきた同期の子と自分を比べて落ち込んでいると話したこと

そのことを言われて思ったのは、「ああ、そんなことを考えていたときもあったなあ」でした
まるで、今の自分と当時の自分が全くの別の人であるかのような感覚がありました

今思えば、何年も障がい者支援の現場で経験を積んできていて、社会人としても一人前になったその子と、そもそも社会人になって間もない自分を比べることは理にかなっていないと思えますが、当時はそれができませんでした
比べて、落ち込んで、へこんで、泣いて、結果としてメンタルを壊しました
もちろんそれだけが原因ではありません
職場と自分の支援方針の違いや仕事量、職場環境、自分の性格も原因になっていたと思います
でも、近い目線で悩みを共有したり、ちょっとした疑問を話し合えるはずだと思っていた同期の子と、スタート地点から大きな差があることは、当時の私にとっては大きな負担になっていました

今はうつ病の症状もかなり寛解しており、ある程度普通に生活できていますが、うつ病と診断された過去は、誰のものでもなく私の過去です
なかったことにはならないし、多分一生ずっと付き合っていくものなのだと思っています
うつ病と診断された当時のことは正直あまり覚えていませんが、きっとすごく辛かったのだと思います
でも、いつまでも辛かったときの自分にしがみついているのかな、と思ったとき、「それは嫌かもしれないな」と思いました

夜、急に悲しくなって泣いてしまっても自分で終わりにできたこと
やりたいことが沢山出てきて、少しずつだけど実行に移せていること
辛かった当時より、自分のことを理解して受け入れられた(一種の諦めがついた)こと
全部、“私が生きやすい私”、“なりたい自分”になろうとした過程でできるようになったことです
そうやって、辛かった自分が遠くなっていくのは悲しいし寂しいし、自分を薄情だと思うこともあります
“辛くない自分”、“元気になった自分”を受け入れたくなくて、“辛かった当時の自分“のままでいたいと思ったこともありました
でももう、辛くなくても悲しくなくても大丈夫なんだと思います
楽しいことをして笑っていても大丈夫なんだと思います
だから、辛かった当時のことをカウンセラーさんから話されたときに、とてもフラットな気持ちで冷静にいられたのだと思います

私は、私のことを大切にしたいのです
そのためにすることは、傷ついた自分にしがみついて泣いていることではないと思うのです
その頃の自分を忘れることなく、でも自分の辛さや悲しさに執着せず、今できること、やりたいと思うことから始めていくことなんじゃないかなあと思うのです
そういう段階にきているのかな、と思ったのです

人より何倍も時間も手間もかかるけど、ちょっとずつだけど私も“私が生きやすい私”になれているのかなと思った1日になりました

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