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吉田秋生さんを読んでいた時代

 高2のいつ頃だろうか、Tシャツ姿でナナハンに乗りバイト先へ行っていたので、夏だと思う。
高校の友達と狛江にある配送センターでバイトをしていた。

 昼休みは3人で三様のバイクに乗って飯を食いに行く。
ミニトレ80   DX250  CB750  
この時代コンビニなどないので、食いに出るしかない。それと金もないので、俺たちは一番安い飯屋、世田谷街道沿いのラーメン屋へ向かう。
そこは店主ひとり、カウンターだけの店だ。8人で満席となる。俺たちが入ると満席になった。

 「ラーメンとライス」を頼むのが常だったが、一人が突然、焼きそばとライスを頼んだ。
「お前、汁なしでどうやって、飯を食うんだよ」友1
「いいんだよ」友2
そんなことはどうでもいい。早く飯だ。昼休みは50分。既に15分過ぎた。

 ようやくラーメンを食べて、ライスに突入したとき、その惨劇が起こった。ラーメンの汁で半分くらいライスを食べ終わった時だ。俺はライスのなかに茶色の物体(有機体)を発見した。

 「えっ?」目を疑った。それはGだった。それもふっくらと蒸されている。俺は動揺しつつ、何とかしようと考えていた。
「あのぉお、これゴキブリが入っているけど」と店主にどんぶりのライスを見せる。
その時、店にいた客、全員の箸が止まった。

しばしの静寂後。
「すみません、交換します!」と店主が大きな声で言う。
違うんだけど・・・。

その後、誰もライスに箸をつけずに店を出て行った。

ヤマハ DX250  
ホンダ CB750 通称ナナハン
ヤマハ GT80 通称ミニトレ


前書きはいつものとおり。
 
初顔合わせ

  私が初めて読んだ吉田秋生さんの漫画は、「河よりも長くゆるやかに」だった。結婚してなかったので1989年より前だと思う。
「面白い!!」

 今では不適切きわまりない内容だけど、当時の女子の目線から描かれた。アホだけど愛すべき男子がそこにあった。新鮮だった。この頃からBLも描かれている。

 実際若い子達にはそんな気分はあった。男どうしで犬がじゃれ合うように、私も何度か股間を押しつけられたことはある。
断言するがそれ以上はない。

文庫版 こんな電話ボックスは不適切

 その次に読んだのが、「夢みる頃をすぎても」収録作では「解放の呪文」が一番好きだった。

「解放の呪文」ウインブルドンの激闘を終えた2人の選手へ、どんな声をかけたらいいと戸惑うオッサンに、その奥さんが言う。
「決まっているじゃない、すばらしかったよ、二人とも! ただそれだけ!」
オッサンには浮かばない言葉だ。俺だと惜しかった、頑張った、だろう。

経歴
 吉田秋生さん、1990年当時は年上だと思っていが、実は誕生日がニアミスだった。1956年8月上旬生まれの同い年だ。渋谷生まれ、武蔵美出身、そこもニアミスだ。高校時代、武蔵美の女子と遊んでいた。

 この子に、たまに夜中に呼び出されてナナハンに乗せたり、何故かそいつの大学生の彼氏と会ったり、当時はその意味がわからなかった。今さらだが吉田 秋生さんの漫画を読んでからは、その意味が少し分かった気がした。

「海街diary」
 2000年に入ると、結婚10年目、私は家庭と仕事が忙しく、漫画を含めて本を暫く読んでいない。上の2冊も何処かへ消えた。
そして、ある日、青春そのものが懐かしくなり、上の2冊を文庫本で買った。それ以降、吉田秋生の名前を本屋でみつけたら買っていた。でもそれは1年程度のマイブームだった。

 その後10年経って、2011年、「海街diary」を本屋で発見した。
震災で弱り切っていた私。
「吉田秋生かぁ懐かしい」
読んでみたら、昔の作風と若干変わっており、それも良い方向に向かっており面白かった。
そして買い続けた。この人は常に都会の女子なんだなぁと思った。
海街diaryは2018年末に最終巻 9巻が刊行されて終わった。

 途中で人気もでて、是枝さんの監督脚本で映画化された。
観たけど、漫画とはコンセプトが違うだろうと思った。
監督の意向だろうか、四人の姉妹の関係性というか人ばかりに目が向いた映画だった。

 この漫画は実は鎌倉の街が主役で、その街の魅力の中で生きている姉妹。友達。あくまでも街を巡る人の物語だった。
人間関係の話も軸ではあったが、それは沢山ある物語の一つで、常に鎌倉の街とその自然が魅力的だった。それが主軸だと私は感じていた。

 鎌倉の四季の変化、お祭り、そこで生きる人々、毎日の生活、その中で次第に原風景が心に刻み込まれる。それを心の故郷と言うのかもしれない。
それさえあれば、何があっても大丈夫だ。
そして末っ子のすずが旅だっていく。

すでに完結

 「河よりも長くゆるやかに」も1980年代の横田基地のある福生があっての物語だ。あの時代、私が高校時代をすごした調布にも米軍の居住区の関東村があった。

 周辺はアメリカだった。その中で生きる高校生を描けば、飲酒、タバコ、不純異性交遊、不適切な高校生活を描く必要がある。でもそれは懐かしい姿だ。
 今の人達はあの時代を多少勘違いしている。ステレオタイプの言葉を信じ過ぎる。実際はそんなに殺伐とはしていない。常に友達や彼女がいるウエットな世界だ。また物語が口伝えなので、いろんな事、人が噂や伝説となり、一種独特の文化圏を作っていた。
それも2つあった。

あの時代の高校生の文化圏
 
あの時代の高校生の文化圏は大枠2つあった。
グループ1
ここは私のいたグループ。工業高校、バイト、暴走族、高卒か3流大学、アホ文化圏
グループ2
普通科、受験校 大学受験、大卒(国立、医学区部)、エリート文化圏

 実際、自分が所属していたアホ文化圏の友達(工業高校卒)と今でも会って飲んでいる。そして皆、あの時代が一番楽しかったと言う。
土曜の夜の暴走とロック三昧。

 それと不思議な巡り合わせで、私はエリート文化圏の医者、大学教授達と10年以上バンド活動をしている。その高校の同級生がライブに遊びにくるのだが、彼らもあの時代、好き放題いに暮らし、人生で一番楽しかったと言う。でもその後、国立大や医学部だけどね。こちらは女の子とのお付き合いとアイドルとフォーク三昧。基本、話が合わないので俺は聞いているだけ。

 今さらどうでもいいけど、あの時代はお互いに相容れない文化圏だったと思う。でも、お互いよく知らないから対立もしない。(これはネットがないことの利点)
そして両グループも高校時代が最高だったと言える時代だ。

 おそらく吉田 秋生さんはグループ2の人だ。
だから描けなかったのはバイクだ。これは当時、本当にバイクで爆走していた人間(私?)にしか描けないと思っている。

当時ならグループ1の斉藤和義




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