赤いヘリコプターを青空に見る
2023年2月
近所のホームセンターへケーブルダクトを買いに行こうと歩いていると、ヘリコプターの音がする。
見上げるとヘリコプターが上空を飛んでいた。この辺りは調布飛行場、横田基地があり、飛行機、ヘリなどが頻繁に飛んでいる。
白地に赤いラインのドクターヘリだ。おそらくヘリポートのある杏林病院へ向かうのだろう。
10年前、御岳山(青梅市)から救助ヘリで救出された娘2、飛んでいる赤いヘリコプターを妻が自宅近くで見つめていた。
この状況に至るまで長い話になる。
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*(私の子供達、息子(長男)、娘1(姉)、娘2(末っ子))
1型糖尿病
事の始まりは13年以上前に遡る2010年の6月下旬。
娘2が小学5年生の時だ。1型糖尿病を突然発病して緊急入院した。
目の前の医者が神妙な顔をしている。
「この病気は一生治らない病気です」
突然そんな事を言われても、「そうですか」としか言えない。
そして生き残るため、あるルーチンが増えることになった。
1型糖尿病とは膵臓がインスリンを突然供給しなくなる病気だ。色々研究されてはいるが、未だに不治の病だ。
1型糖尿病に対して間違った認識を持つ人が多いのでここで少し説明する。
1型糖尿病は生活習慣病とは無関係の自己免疫性疾患が原因とされる病気だ。突然、誰でも発症する可能性がある。
「甘い物の食べ過ぎ、食生活の乱れ」などが要因となる成人病ではない。
娘2は風邪のウイルスがトリガーになったようだ。コロナもそうだけど風邪は万病のもと。気をつけよう。
この病気は統計的に乳児から思春期前までの女の子に発病が多い。
日本では10万人に1人程度の発病率だと言う。世界的にみると東欧、北欧で患者が多い。日本の100倍くらい患者がいる。
血糖値コントロール
食事すると糖分を体に取り込む、この時、1型糖尿病患者はインスリンを投与しないといけない。そうしなと高血糖となり合併症を併発させる。
方法は皮下注射となり、食事度に打つので、最低でも一日3回は打つ。
このインスリン投与だが簡単ではない。摂った糖分を素早く計算して、その糖分を処理するだけのインスリン量を計算して投与する。
この際、危険なのはインスリンを多く打ちすぎることだ。そうすると必要以上に糖を分解して、低血糖症を招く。
低血糖症は脳に酸素がいかなくなる。意識が朦朧となる。最悪の場合死に至る。
一方、インスリンを打たないと、今度は血糖値がどんどん上がり血液はドロドロとなり、心臓、目、各種臓器に負担をかける。
そして、心筋梗塞などの大血管障害や、糖尿病性腎症、糖尿病性網膜症などの合併症を引き起こす。
血糖値コントロールを身につけるには、時間と医師の指導が必要となる。
自分の血糖値を常に測定して規則正しくインスリンを投与する。これが永遠に続くルーチンとなる。
良いこともある。
血糖値がコントロールされていれば、健常者と変わらない生活が出来る。
スポーツなど何でも出来る。
なんだか人の努力を試しているような疾患だ。
そんなことなので、自分をさらに厳しく律することが出来る人達もいる。
東欧には自転車のプロチームがある。
低血糖デビュー
娘2は2011年に姉も通う地元の中高一貫の女子校に入学した。
そこでの初めての体育祭が5月の晴天の下で行われた。私と妻は応援に行く。
「普通の中学生になれてよかった」そんな思いだった。
開会式が始まって、校長先生の挨拶を聞いているときだ。娘2の体がフラフラしだした。
妻は「やばいかも」と言うのと同時に娘2は倒れた。
周りが大騒ぎになり、男の先生が娘2を担いで校舎へ行く。
普通、貧血だと思うが、これは低血糖だ。まだ状況を知らない先生も多いので妻はダッシュで保健室へ向かった。
その後、カルピスウォーター1パックで回復した娘2は、校庭に戻った。このおかげで先生方には娘2の病気が浸透した。
低血糖の恐怖
中2となり学校生活に慣れてきた2012年7月、夏休みに入り、娘2は高校2年の姉が付き添い、御茶ノ水にある大学病院へ定期検査に行った。ここには主治医の頼れる教授先生がいる。
そこで事件が起きた。
御茶ノ水の駅で付き添っていた姉が娘2の姿を見失った。
どこに行ったのだろうと探している最中。電車が緊急停車した。人が線路に落ちたと構内アナウンスがある。
「まさか」
姉は嫌な予感がした。
そのまさかだったのだ。娘2は低血糖症状を起こし意識を失い、駅のホームから線路に落ちた。
平日、仕事をしていた私に姉から携帯へ電話があり、妹が線路に落ちて、救急車で大学病院に運び込まれたと言う。
良かったことは通院していた大学病院へ運び込まれたことだ。病院での処置が速かったので、大事に至らず意識を取り戻した。
「怪我したのか?」と私。
「大丈夫、たいしたことない、手の平を火傷して、皮がむけている」
「未成年なので、警官に保護者を呼んでと言われた」
「わかった」
私は直ぐに、大学病院へ向かった。事務所から病院までは3キロ程度だ。
庶務の女の子に事情を話したにもかかわらず、「直帰ですか?」と、とぼけた発言にイラっとするが、とりあえず病院まで真夏の午後3時、3Kmを走る。電話をしてきた妻が「何故タクシーを使わない?」と言った。
汗だくで小児科に着くと、一目でそれだとわかる警官に挨拶して、事情聴取を受ける。ごった返す小児科の待合室で、いきなり警察バッジを私に見せるデリカシーの欠如した警官。
「こういう者です」一斉に待合室の人々の目が私に向く。
私も免許証を提示し身分を証明する。
怪しいものではありません、犯罪者でありませんと笑顔を作る。
事情聴取は、小児科長の先生に話をしてもらい丸く収まり、警官にはお引取り願った。
火傷を負う
娘2の怪我は、ホームから落ちて、太陽に焼かれていた線路を触ったため、手のひらに一面に火傷を負っていた。点滴で回復した娘2の火傷の治療を見に行くと、
「これ、どうにもならないから、切るから」と女医さんが、べろんと剥けた手の皮をはさみで切り始めた。
「止めてろ!痛い!」と、娘2の叫び声が聞こえてきた。
「腕を抑えて!」看護士に女医さんが言う。
「痛い、止めろー!」
「なに喚いてるの」と姉があきれ顔で言う。高校2年の姉にとってはとんだ災難だった。
手のひらのほとんどの皮が剥けていた火傷も、最新医療は素晴らしく、1ヵ月後、綺麗に後も残らず治った。若さゆえに素晴らしい。
事故の恐怖や心の傷も本人の意識がなかったので、ほとんどなかった。
駅員さん達の凄さ
娘2は線路に落ちたときに財布を紛失した。駅に連絡すると、財布は駅員さんが保管していてくれた。
娘達は後日、財布を取りに行く。
手土産を持参して駅員さんに「お礼」をしてきたようだ。
日本の駅員さんは、数々の修羅場を経験、対応しているので、処理は適切だった。下手したら命を落としている。
「本当に有り難うございます」
学校は私学しかない
1型糖尿病の家族会の話題は、大体子供達の低血糖の大騒ぎの話が多い。
思春期の子供達の体調や心の変化に対して、毎日のインスリン投与による血糖値コントロールを自主的にさせる。その親達の気苦労とストレスは相当なものだ。だから家族会がある。子供の病気は親を痛めつけるから、親のケアも必要だ。
また日本は教育現場で慢性疾患の病気を持つ子供達への認識不足と理解不足がある。学校に関しては、やはり学校側に慣れてもらうしかない、サポートも必要だ。たまに公立だと学校内で注射は打てない、親が立ち会えと馬鹿げた事を言う校長もいる。
御世話になっている大学病院の教授が何時も言っている言葉。
「そんな校長がいたら直ぐに連絡して、私が説明しに行きます」
校長に対抗るするには「権威」しかない。
「わかっていらっしゃる」
そんなことで公立の先生ガチャを避けるため、娘2は秀才の姉が通っている中高一貫の女子校を選択した。
ただ勉強がそれほど好きではない娘2の受験は、病気もあり難儀した。
2013年5月某日
中3になり、中2病から抜け出した娘2。
娘達の通う学校は先生の趣味で、校外授業で登山が多い。この日も御岳山(青梅市)を登っていた。
補食くもせず登山を続けていた娘2はやや低血糖気味となり、気持ち悪くなる。
周りの友達は娘2のこのような状況に慣れているので、ジュースなどを飲ませてくれるのだが、その時たまたま友達達は先に歩いていて、後から来た先生が慌てた。山の中という状況もあり、大事を取って救急ヘリを呼んでしまった。
救急ヘリが来る頃、娘2は補給食も摂り、意識も戻っていたが、空中ロープでつり上げられてヘリに乗ると、先の杏林病院へ搬送された。
赤いヘリを見る
連絡を受けた妻は自転車で病院へ向かう。
その時、ヘリコプターのプロペラ音が聞こえた。
見上げると、青空の中に赤いヘリが見えた。
「速いなぁ」15分で飛んできたそうだ。
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今娘2は、公務員となり新しい生活を婚約者と始めようとしている。
娘2にとって、人生とは普通に生きること、それが目的で一番の幸せ。
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