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生涯スポーツと80歳の生涯

オリンピックに関わる
 2024年7月、オリンピックがパリで開催されている。日本選手は、各種スポーツへ参加しているので、色々な競技を観ることができる。

 選挙の1票の格差ではないけど、競技人口の多さ、少なさもあり、金メダルの価値が違うような意見もある。色々うるさいねぇ。これは大学受験の倍率とお同じだと思う。

 つまり有名私学の倍率が10倍、東大が2倍、しかし、有名私学、本当のライバルは2倍程度、他は争うレベルでない。つまり競技としてトップを狙う人達の人数は変わらない。言い方は悪いが、本当のライバルは少ない。

 娘2が転職するため、作文で審査が通過し、筆記試験となって、20倍とか言って気弱になっていた。そこで私はこう言った。
「あのなぁ、お前の本当のライバルはその中の数人だ。そこでは少しの差で判定が決まる。倍率なんてたいして意味ないから」

 私も長年、同じ試合(トライアスロン)に出て、年代別争いをしていると分かる。ライバルは結局数人だ。
競技人口、人気でも、その厳しさに差はあまりない。(私見)

 私は30年前、黎明期の日本トライアスロンクラブの理事を2年ほどやっていたが、その頃、トライアスロンをオリンピック競技へするための活動をしていた。まず知名度を高める。底辺の拡大をする。

 その一つとして、現天皇 浩宮(ひろのみや)様からトライアスロンをやってみたいという打診があり、「凄いなぁ、チャンスだ」と、そのプロジェクトを立ち上げようとした。しかしその矢先、婚約発表。
この話はなかったことになった。

スケートボードと生涯スポーツ
 スケボーがオリンピック種目、それも人気がでている。スポーツクライミングもフランス(欧州)では人気だ。

 娘2もスケボー、娘1はクライミングをする。
ストリート系のスケボーは、繰り返し練習の鬼と化さないと、上達はしない。その延長線である日、ぱっと出来る。クライミングも同様で何度も何度もチャレンジして完登する。

 この手のスポーツの喜び、これは子供には絶対に必要だと思う。
課題達成。これを積み上げることが人を強くする。
現在部活に対して不定的な意見も多く、それならば、親がその機会を作るしかない。

生涯スポーツ
 国が勧める生涯スポーツだけど、子供時代からスポーツの楽しさと達成感を経験してないと続かないだろう。
健康のため、美容のための運動って本末転倒で、それは付加価値で、スポーツ本来の楽しさがあってこそ生涯スポーツとなる。自分の利益の為にするスポーツは苦しいだけだ。

私のスポーツ

  私はトライアスロンをメインとして、自転車(マウンテンバイク、ロードレース)、競泳、OWS(オープンウオータースイム)、ランニングと競技生活を35年間続けた。スケートボードもサーフスケートでまだ滑っている。

 私にとって、若い頃、スポーツは勝つためだった。人より優れた面を持ちたかった。そのためにスポーツをしていた。しかし歳を取るにつれて、会社組織の末端で働くことのストレス発散の為にスポーツをするようになった。

 40歳前くらいから仕事おける人間関係にウンザリしていた。大きな企業だと、おおよそ自分の将来が見えてくる。そんな時、スポーツ仲間と試合や遠征、飲み会、ライバル争い。そこには青春時代がそのままある。そんな世界に溺れていた。これも溺れたままだと子供大人のまま終わる危険がある。

四十にして惑わず」私は軸足を家庭と仕事に移した。

息抜のスポーツ 
 時間という無敵の艦隊には抗えない。時に流されて行く中で、必死に子育て、介護、ローン返済、会社設立、最後は会社の解散、そんな全てを処理した。その中で息抜きとしてスポーツをしていた。しかし、それも果たして意味のあることか、もしかして自分は大いなる時間の無駄使いをしているのではとそんな思いもあった。

 それでも、最低限と言える練習時間でトライアスロンとスイム、マウンテンバイク、一時期は自転車のロードレース、マラソン、こう書くと多いけど、今までの貯金(練習量)を使っていた。
それと試合となると無理をしていたと思う。たまに、運良く年代別で入賞などしたりすると、益々無理をする。

55歳くらい、ショートで年代別争いしていた頃

 そのトレードオフとして心臓が少し壊れてしまった。その結果としてスポーツを試合として楽しむことが出来なくなった。
私としては、いい取引だと思う。まだ運動は出来る。
しかし、もし生涯スポーツとして闘い続けたらどんなことなのだろう。それは経験出来なくなった。

病気の状況
 突然倒れたのは東京オリンピックの開会式の日だ。マウンテンバイクの練習帰りに、自宅から1キロのところで急性心筋梗塞で倒れた。
コロナ禍だったが、運良く病院に運び込まれて、ステント治療を受けて生き返った。その後、薬を沢山飲み続けている。副作用がないとは言い切れないが、体調もいいので、止めるにはいかない。

 明確な副作用として、たまに打ち身が出来る。それが消えない。また血が止まらないこともたまにある。昔から血は直ぐに止まるタイプだった。先天的に血液は濃い。
皮膚に湿疹が出やすい。これが老化か副作用か判断出来ない。

 血圧、コレステロール値、尿酸値、血糖値は正常な範囲内だが、これは薬のおかげだ。
そう考えると今一さっぱりしない。治った訳ではなく、対処療法を続けているだけだ。それで健康と言えるのだろうか、そんな疑問はある。

 それでも、娘2は1型糖尿病で、一生、血糖値を計り続けて、毎日インスリンを打ち続ける。そうしないと生きられない。それに比べたら、鼻くそもたいな悩みだ。

彼女の奮闘記を少し書いた
 ドジャースのフリーマン選手が子供の突然の病で、チーム離脱し、戻ってきたが、そこでの記者会見でこんな言葉があった。(うろ覚え)
「病院において、こんなに沢山の子供達が病気と闘っており、その家族が治療を見守っている。言葉や映像で知ってはいたが、自分の子供がその中に入るとその辛さ、悲しさが身に染みてわかった」
 私にはわかる。子供の病気を見る辛さは、自分の身に降りかからないと分からない。

 と言っても私もなかなか大変で、ステントは5箇所、右冠動脈 左冠動脈の両方にステントを入れるのは非常に稀だ。心臓の血管の末端は硬質化しているし、おそらく心臓の数%は死んでいる。

薬は毎日7種類飲んでいる。
抗血小板剤
心拍数を下げる
高コレステロールを下げる
血圧を下げる
血液をさらさらにする
尿酸値を下げる
胃腸薬

ステント箇所

 この状態で、健常者よりAT値、MET値が2年前で1.5倍まで復活。
それでも心臓機能は健常者の下位レベルだ。
入院していた病院の理学療法士には、研究すれば論文ものだと言われて、放射線を使ったの検査までされている。要因は35年以上続けた耐久スポーツだと思う。

 今のかかりつけの医者は運動を禁止することもなく、問題ないという。
この病院でエコー検査したが、その時パルスオキシメーターが100%となっていて、看護師さんが100はここでは初めて見たと言っていた。
その頃、2000m越えの登山も含め高所へ頻繁に行っていたからだと思う。

人生100年と生涯スポーツ
 生命保険、銀行、人生100年と言って、色んな商品を紹介してくる。
少しうるさい。そこまで生きるのか?
実際、データだと65歳から100歳まで生きる男は4/100人以下だ。
健康寿命は、データを読む限り80歳まで生きるとして、最後の10%の期間は寝たきりだ。つまり健康寿命は72歳となる。

 生涯スポーツをすることで、10%が5%になるとは思えない。100歳まで生きるとして、10年は寝たきり。結局介護負担は減らないと思う。
私の母親は80歳位までは医者いらずで、89歳まで生きたけど、7年間は要介護であった。

 つまり、健康年齢は延びるけど、介護の期間は変わらない。
成人が定期的に運動をすれば、成人病が減り健康年齢は延びる。
でも寝たきりの時間は同じだ。そこは留意したい。

自分の軌跡 
 孔子の言葉に自分の人生を合わせてみよう

十五にして学に志し 17歳から勉強し直し大学へ
三十にして立ち 33歳で結婚、
四十にして惑わず 44歳で会社を辞め会社を立ち上げる 
五十にして天命を知る 会社は存続し、母親は癌、娘1が不治の病気になる。色々な事件が降りかかる。バンド活動に参加。
六十にして耳従(したが)う 妻、娘達の小言に従っている。後は体の衰えに従っている。
七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず つまり、思うままに振る舞えばいいのね。

80歳以降運命に抗っている爺さん達

90歳のアイアンマン
 アイアンマンレースはトライアスロンではあるけど、オリンピックでのトライアスロンではない。アイアンマンレース(スイム3.8km、バイク180.2km、ラン42.2km)

稲田弘さん 90 歳
 アイアンマン界では有名な方。
世界一過酷なトライアスロン「アイアンマンレース」そのレースに挑む世界最高齢者だ。2016年と2018年に出場したアイアンマン世界選手権大会の年代別で優勝した記録が、ギネス世界記録に認定されている。

 稲田さんは60歳過ぎからトライアスロンを始めている。トライアスロンは練習量が多い、また老人は衰えもあり、練習しても効果が少ない、穴の空いたバケツで水を汲むような練習なので、現役を続けるには1日中練習と回復を繰りかえした生活をする。残りの人生を全てトライアスロンに捧げている。だから見る人が感動する。

生涯現役 猟師
 北海道北部に位置する礼文島で半世紀以上、トドの命と向き合い続けてきた漁師の俵静夫さん、88歳の生き方。
北海道の極寒の海で1人で漁船を操り巨大なトドをしとめ続けてきた猟師。
流儀として、「トドを苦しめたくはない」と1回のトド猟で使う弾は3発までだ。生涯現役で命と向き合い続けてきた男。テレビのドキュメントを観て、自分の生き方と全く違う人生を見た感じだ。

 ある日、猟師小屋を尋ねると、彼は銃を手入れしている姿でこときれていた。稲見一良さんの小説を頭に浮かべてしまう。

最果ての離島で生き続けてきた漁師

ムツゴロウ 畑正憲さん 
 今、30,40台の人達が一番知っていると思う。まだ88歳で健在だ。
ムツゴロウ王国の崩壊、それと同じように自然も崩壊している。

自分の80歳
 想像したくもないが、もう70代が目の前だ。よく元気な爺さん、婆さんが「歳なんか関係ない、何時でも青春」と言っているが、気持ちはそれでいいけど大方はよぼよぼだ。
私は、とりあえず自分の目指すよぼよぼをイメージをしている。

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