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2015年のレース活動、最後の花火を上げてみた

 2015年から2016年、年齢だと59才から61才。ここが私の最後のレース活動だった。
2017年はお袋が亡くなって、その後の処理と自分の気持ちの問題でレース活動は少しだけとなった。
2018年以降は体調不良が続く。故障・怪我をする。試合でもリタイヤする。疲れが取れない。寝られない。体が変調を来たしていた。
この時は歳のせいだと思っていた。しかし本当に病魔に蝕まれていた。

 コロナ禍の2021年、会社を辞めた後、一気に疲労が来たのだろうか、マウンテンバイク乗っている時に急性心筋梗塞で倒れた。運良く死なずにすんだが、これで30年以上続けた選手生活は終わった。

 入院中はコロナ禍の故、ほぼ隔離状態。そしてベッドの上で1人寂しく65才の誕生日を向かえた。テレビでは無観客の東京オリンピックが中継されていた。何時もながら人生は不条理だった。

2015年春
お袋が特別養護老人ホームに入居
 2010年、お袋は多発性骨髄炎となり、ステージ4で余命2年と告知された。
それからの5年間、実家での介護生活だった。弟とシフト制にして、使える介護サービスの全てのリソースを使って切り抜けていたが、限界に近かった。
そんな私に神様がご褒美をくれた。
2015年の春、なんと病気が消えて体調が回復した。また、近所の特別養護老人ホームに駄目元で申し込みをしていたが、なんと入所出来ることになった。
「奇蹟だ」

 自宅でゆっくり寝ることが出来る。土日もある程度自由になった。
私は久しぶりにレース活動を活性化させた。娘1も大学2年生、今年は大学チームより個人のレース活動を優先させるという。であれば一緒に自転車のレース活動をしよう。そういう事になった。

 2015年3月に開催された明治神宮外苑大学クリテリウム。これ以降娘1は諸事情から大学チームのレースから離れた。

明治神宮外苑大学クリテリウム

(私には子供が3人いる 息子(長男)娘1(長女)娘2(次女))
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 2015年レース活動
 歳も取ってきたので、自転車レースに色々と出てみようと思った。まずはクリテリウムレース。
春の連休も過ぎて雑草の花粉症が出だした。そのため体調は今一だ。

5月10日(日) 東京クリテリウム サマーランド
 私だけの参戦となった。娘1はサポート、マスタークラスへエントリーしたが、スピードの上げ下げについていけたのは最初だけ、週遅れでDNF。クリテリウムは乳酸が溜まり、結構厳しい。

6月28日(日)  川崎マリンエンデューロ
 4時間エンデューロへ娘1と男女混成チームで参戦する。4名まで登録可能だが、2人で2時間づつ連続で走ることにした。
一時5位まで順位が上がるが、結果は8位となり入賞を逃す。他のチームは4人体制で一人30分程度の交代だった。やはり連続で2時間も走ると後半スピードが落ちるようだ。
スピードの上げ下げが激しいクリテリウムが苦手な娘1はロングライドは得意だった。私もトライアスリートなので一定速度域の維持は得意だ。

7月5日(日) 昭和記念公園トライアスロン 
 スイム750m、 バイク20キロ、ラン5キロ ショートタイプのスピードレース。年代別でのウエーブスタート 1時間20分程度のタイムで行けば上位に入る。
スイムで何時ものようにトップグループで泳ぎ切る。バイク終了時点で3位、ランで抜かれ8位となった。

7月25日、26日 シマノ・バイカーズフェスティバル2015
富士見パノラマスキー場
 クロスカントリーレースを走る。最年長だった。マウンテンバイクコースは年々ハードになっている。26インチマシンではスピードと走破力に差がつく。また登りもキツい、それは歳のせいだ。
年齢とともに心肺機能が落ちる。20才を100%とすると60才で60%となる。一つ歳をとるごとに心肺機能は1%減るそうだ。
レースは完走した。時間があったので応援に来ていた娘1、娘2、妻と柳生博さんのレストラン、八ヶ岳倶楽部へ向かう。

8月9日(日)山梨甘利山 ヒルクライムレース
(コース全長11.7km・獲得標高1134m・平均勾配9.6%)
 娘1と一緒に参加する。斜度が想像以上にキツい。それと山梨の夏は猛暑だ。娘1はクライマー体質なので直ぐに見えなくなる。
私がゴールしたとき、娘1は綺麗な女性ライダーと話し込んでいた。
聞くと高校のOGだそうだ。多摩地区の強豪クラブ「なるしまフレンド」所属で、このレースにも何度か表彰台に乗っていた。

9月12日(土)ケンズカップ トライアスロン 
 スイム750m、 バイク20キロ、ラン5キロ ショートタイプのスピードレース。
何時ものレースパターン、スイムを3位で上がる。バイクパートでは娘1の所属する自転車チームの選手達と争ってタイムをあげる。なんとか順位をキープした。その後、ランで引き離し年代別で3位となる。
入賞は久しぶりだった。

9月20日(日)第63回秩父宮杯埼玉県自転車道路競走大会
 娘1が参戦した。関東では有名な一般公道を使うロードレース。
関東圏の大学チームやクラブチームが沢山参加する。レベルは高い。娘1は入賞を逃し12位となる。

9月23日 富士チャレンジ2015 4時間チームエンデューロ女子
 日を置かず、娘1は急遽代理出走し、2位に入賞。これも4人で走れるが2人で走っていた。

10月24日(土)サンセットシクロクロス 多摩川(立川)
 初めてシクロクロスレースに参戦した。下位のカテゴリーへエントリーした。スタートダッシュが上手くいき2位をキープしていた。しかし途中で集中力が切れて木に肩を強打する。肩が上がらなくなるほどの激痛。
何とか完走はしたが、この肩の怪我で今シーズンの自転車レースは終了なる。老人は怪我一生となりがちなので無理は出来ない。

最後に
 2015年、色々な自転車レースにエントリーしたが、自分が一番強いのはトライアスロンだった。
やはり30年のキャリアの差だ。自転車だけだと心肺機能の落ちが大きいので、ロートルで活躍するには筋力をかなり鍛える必要がある。強い選手は私より腰周りの筋肉が大きい。
レースとしては、シクロクロスが一番キツかった。これは怪我して走ったからだと思う。

 2016年は自転車ロードレースのエントリーは止めた。
その代わりに三浦海岸であったOWS(オープンウオータースイム)にエントリーする。久しぶりのスイムレースだ。
海はクラゲだらけ、台風の余波で大荒れだったが、60代で3位に入賞した。

 自転車レースはシマノ・バイカーズフェスティバルでのマウンテンバイクレースだけだった。クロカンレースでは最年長参加者だった。
マディコンディションで体力を奪われて途中リタイヤした。
トライアスロンではバイクが終わった時点でリタイヤした。なんか体が動かないと感じていた。
この辺りから選手生生命終了のカウントダウンが始まっていたようだ。

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