見出し画像

ナナハン物語(猫殺し)第五話 1970年代を生きる少年達、ナナハンはスモールワールドに生きる少年の唯一の力だった

祖師谷大蔵のプール
 山路さんの家で徹夜した次の土曜日、正午過ぎに自宅にいる高木に西川から電話があった。バイト先の祖師谷大蔵のプールに今直ぐこいと言う。
理由を聞いても言わない。それでも断る理由もないので、高木はナナハンでプールに向かった。

プールのフェンス脇の駐車場にナナハンを止めると。突然上から水が降って来た。見ると西川が高木に向かって、ホースで水をかけていた。高木が睨むと西川が言った。
「涼しいだろう!」
「アホ、免許とか財布が濡れるだろう」
「まあ、おこるなよ、天気いいし直ぐ乾くよ」
「もう帰るぞ」と高木が怒ると西川は慌てた。

「待ってよ、あれを見ろよ」そう言うと西川はホースを併設するテニス場に近い駐車場へ向けた。ホースから放物線を描く水の中に虹が見えた。
「なに、虹で話をごまかすのか」
「高木、よく見ろよ」虹の向こうに、追っていたピンクと黄緑のCB500が止めてあった。
「なぁ、どうだ」西川の鼻の穴が膨らみ顔に凄みを増した。

高木は奥多摩の幽霊バイク事件を西川だけに話していた。
西川は該当するバイクを見つけて連絡をくれたようだ。
「ああ」高木は着ていた迷彩色のTシャツの裾から水を絞りながら、そのバイクに近づいた。
「空気でも抜いとく」いつの間にか横に西川がいた。
「いや、まずは顔を拝見しよう」

日体大の信子さん
2人はいったん、プールの監視員詰め所に戻った。去年、高木はここでバイトをしていた。だから顔見知りが多い。その中でも特に会いたくない女性がいた。その女性は高木を見るなり言った。

「あれ、高木、今年は逃げたの」
この女性は信子さんと言う。日本体育大学の学生で今3年生だ。当然さん付けだ。
この方、男並みの肩幅とパンパンの太ももを持ち、女藤波と言われている現役スイマーだ。
「逃げてないよ、受験、受験勉強」と高木は不満げに答えた。
「ふーん、ここでの訓練が嫌だから逃げているのでしょう」
訓練とは、バイトが終わったあと任意で行われる水泳の練習なのだが、それが非常にきつい。何故なら、日本代表級の泳力を持つ信子さんを基準とした練習だからだ。

ここの主任曰く
「女の信子でも出来るぞ、お前らもやれ!!」ということだ。
一応霊長類のメスであることは確かだが、一般男子の力量を凌駕している。
「来年は来なよ、高木」と言うと信子さんは監視台へ向かった。

「おい、西川、信子さんまだいるのか」
「うん、あの人、可愛いし、俺は嬉しいよ」
西川の審美眼はどうでもいいが、悪党を発見する眼は確かだ。
高木は海パン借りて、監視員のTシャツを着る。そのままプールサイドへ行き、駐車場のピンクと黄緑のバイクを見つめた。

悪党登場 
しばらく待つと、ついにバイクの持ち主の二人が現れた。痩せた体にバミューダパンツ、紫色の絞り染めのTシャツの男、同じくバミューダパンツに黄色のトレーナーの袖を切って半袖にして裏返しで着ている男。二人ともトウモロコシの房みたいな黄色い頭をしている。なんとも品性のない。わかりやすい奴らだと高木は思った。
絞り染めと黄色の男。
「おい、あれ?」横を見ると西川がいない。

いつの間にか、西川は二人に近いプールのフェンスに移動している。そして手にはホースを持っていた。そして先端を指で押さえ、水を貯めている。そして勢いつけて男達に水をかけた。

絞り染めと黄色は一瞬戸惑っていたが、西川と目が合うとフェンスまで駆け寄ってきた。西川はすでに逃げている。
「おい、てめー、ふざけんな」「にげんじゃーねーよ」と怒声が聞こえてきた。今度はフェンスをよじ登ろうとしている。

それに気づいた信子さんがフェンスに近づいた。絞り染めと黄色と話をしている。プールのガキ共の声が大きくって、よく聞こえないが、絞り染めと黄色は何か捨て台詞をはき、バイクへ戻った。

絞り染めがバイクに戻ると今度はバイクのエンジンをかけ、エンジンを激しく空吹かしさせた。爆音が駐車場を満たす。プールにいる親子らが何事かという顔をしている。
 さすがに高木も腹が立ち、プールの出口に向かった。
 
小橋さんのアイアン・クロー
 高木は出口を駆け抜け、絞り染めと黄色に向かっていく。
「お前ら、うるせーよ!」高木は叫んだ。
高木の声は聞こえたようだ。2人がガンを飛ばしてくる。まだエンジンは空吹かししている。
高木は「殴るしかない」と腹を決めた。その時だ。高木の横を走って追い抜いていく男がいた。ここの施設全体の管理主任の小橋さんだ。

 小橋さんはバイクに跨る二入に、「静かに願います」と紳士的に言っている。
それでも、絞り染めは空吹かしを止めない。そこで小橋さんが絞り染めのアクセルを握る右の二の腕を掴んだ。
「うぎゃー!!」悲鳴をあげて、絞り染めはアクセルを離した。
「バカな野郎だなぁ」と高木は呟いた。いくら白髪が増えているとはいえ、あの伝説のアイアン・クロー(プロレスの必殺技)の技を持つストロング小橋さんだぞ、馬鹿たれが。

小橋さんは近所にある新日本プロレスで長い間トレーナーをしていた人で、引退しても体つきは格闘家並のおじさんだ。
ようやく、相手がどんな人間か理解した二人は、小橋さんが手を離すと、脱兎のようにバイクで逃げ去った。

「ふん、弱いくせに、脅かしやがって」いつの間にか高木の横に西川がいた。
「西川、弱っちいのはお前もだろう」
「ふん!俺のおかげだろう」
「そうだな、ありがとう」ともあれ犯人の顔と度量もわかった。

多摩川
 翌朝の日曜日、熱帯夜で寝苦しい。エアコンの無い部屋で早めに起きた高木。
未だ7時だった。食パンにバターをぬり、インスタントコーヒーを飲んでから、ナナハンで出かけることにした。

朝っぱらから、狭い路地でナナハンのエンジンを響かせると近所迷惑なので、広い道まで、押して行きエンジンをかけて出発した。
最近ノーヘル(ヘルメットを被らないこと)だとポリ公(警察官)に注意される事が多くなっているので、かぶることにした。
それと安全第一、転倒して頭を潰したら洒落にならない。
行き先は多摩川の河川敷だ。

モトクロスライダー
河原の土手に乗り上げると。風は爽やかだがドブ臭いもする。子どもの頃から多摩川の水に入ると破傷風になると言われていた。夏場は雑草で河川敷はほぼジャングル状態だった。
見ると、私設モトクロス場で埃が舞い上がり、2サイクル単気筒の甲高いエンジン音が響いている。
 
高木は土手から河原へナナハンで降りていった。そのまま、スタンディングでオフロードを走る。ナナハンを止めたそのモトクロス場では、2台のモトクロスバイクが争うように走っていた。

 エンジン音から2台とも125ccの市販モトクロッサー(市販されがモトクロス専用バイク)だ。白色のバイクがヤマハYZ125(ヤマハの市販レサー)、赤色のバイクがホンダCR125(ホンダの市販レサー)だ。ライダーは二人ともフル装備で乗っている。レースをしているモトクロスライダー達だろう。

凸凹のストレート、先頭を走るヤマハYZがフロントホイールを上げて、飛び跳ねて通過する。後ろのホンダCRは、凸凹を舐めるようにして走っている。ホンダのバイク方が暴れているからだろう。

ストレートを走り終わるとバンクの付いたコーナーを倒しこんだバイクは、結構なスピードでコーナークリアし、そのまま前方にある大きな山でジャンプをした。
ジャンプしたら直ぐにアクセルを閉じ、着地と同時フル加速する。後輪から土埃が舞い上がる。

ミツと再開
高木は埃が舞う河川敷で2台の走りに見とれていた。
その後、何周かコースを回ったバイクの1台、赤色のホンダCRが、高木の所に走ってきた。カランカランとアイドルしている。燃料コックを閉じてエンジンを止めた。
一方白色のヤマハYZのライダーは土手にバイクを倒して、横に座り込んだ。

ホンダCRのライダーがゴーグルを取ると、そこには知っている顔があった。
ミツだ。
「高木、こんな所で何している。この前はまんまと逃げられたが」と言うと、バイクをヤマハYZの横におきにいった。

ヘルメットを脱ぎ、プロテクターとか長袖のジャージなどを脱ぎ、Tシャツ姿になり高木の前に戻ってきた。角刈りの頭から汗が流れ出ている。

「驚いたな。ちょっと待っていろ」と高木は言うと、土手を駆け上がり、反対側の道路にある自販機で缶コーラを3本買って戻った。
「ほぃ」待っていたミツと座り込んでたいたもう一人に缶コーラを渡した。
「なんだよ、わりぃな」とミツは言うとコーラを一気に飲んだ。

高木はモトクロスに興味があった。バイク雑誌でレース記事などを読んでいた。
「俺さぁ、モトクロスが好きなんだ。特に鈴木秀明(当時のトップライダー)とか格好いいだろう」と高木が言うとミツは笑顔になり。

「何だ、そうか、そうか、俺も秀明は尊敬しているぜぇ、あそこにいる奴だけど、兄貴で、今はMFJ(日本モーターサイクルスポーツ協会)でジュニアクラスだ。俺も兄貴が勧めるから、今度ノービスで関東大会にでるつもりだ」
「すげーな、でも、あちらはどうするの?」これは族の話だ。
「今年の夏で辞める。どちらかというと俺はレースが好きだからな、どう乗ってみる」
「いいのかよ」
 
ホンダCR125CR125R 89年モデル(ホンダの市販レーサー、タンクはアルミ、2サイクル 空冷単気筒 リアはまだ昭和製の2本サス)

初めて乗る純粋なモトクロスレーサー、125CCだが車重が軽い、おそらく80キログラム位だ。アクセルを不用意に開けるとフロントが簡単に持ち上がる。
走り始めるとそのエンジン特性はピーキーで、ある程度回転数を上げないとトルクが出ない。しかしアクセルを開けるといきなりスピードは出る。
「これは怖いぞ」
じたばたしながらコースを2週ほど走る。

バイクを止めた高木の息は荒く、両腕の筋肉がぱんぱんに張っていた。
「高木、お前、結構乗れているよ」
「そうか、難しいよ、でも最高だ。ミツ、お前すげーな」
「まなぁ」ミツは角刈り頭を掻いて、柄にもなく照れている。

その時、高木は昨日の絞り染めと黄色の男達のことを思い出した。
「そうだ、ミツさぁ、相談したことがある」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?