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雀のメモ帳  日本語の優しさ

 決まったテーマの話をするつもりだけど、思いついた事をまたピーチクパーチクしてしまう。大変申し訳ない。
秘密
 人は墓場まで持っていく秘密を一つくらいは抱えている。秘密なんか無いと言う人もいるけど、誰にも喋らない事は必ずある。夫婦間でも兄弟間でもあるはずだ。
それでも「私は何でも喋る。秘密はない」という人がいる。
その人には(丸秘)書類は見せられないことになる。

 秘密でもないけど、誰も尋ねないなら、敢えて話すこともなく一生を終えて、その人とともに消えていく話もある。
そんな秘密を全国に向けて、人が話してしまうテレビ番組がある。NHKの「ドキュメント72時間」だ。人気が高いので知っている人も多いと思う。

 番組は特定の場所で72時間の定点観察をする。そしてその場所へ訪れる人々にインタビューをする。そんな企画だ。
ここで人はNHKのインタビューに、本来は墓場まで持ち込むような話を何故か口にしてしまう。
「何とも不思議だ」
でもそこが、この番組の面白いところで見る人の心の琴線に響く。

 もう一つある。テレビ東京の「家、ついて行ってイイですか?
ここでも同じように、自宅で突然自分を語りだす。一生言うことも無い心情をはき出す。
人はカメラの外に広がる世界に、自分の話を本気で聞いてくれる。そんな誰かがいると思うのだろう。人は結局の所、秘密を話したい。
また話したいから秘密とも言える。


英語ではトム・ハンクスのフォレスト・ガンプ 邦題フォレスト・ガンプ 一期一会

彷徨映画
 「フォレスト・ガンプ」を観た人は多いだろう。映画の中で、ガンプは人生を途切れなく流されるままに走り続ける。そして出会いを繰り返し数奇な運命を経験する。
一時、人生に成功したように見えたガンプだが、一度掴みかけた彼女(家庭)を失っていた。
 
 その喪失感からまた走り始める。アメリカ大陸を走り続ける。そして、ある日唐突に走るのを止める。
「疲れたから家に帰りたい」
ガンプはただ疲れたかったのかと一瞬思う。私もトライアスロンをやっているとき、現実を忘れたい。頭を空白にしたい。ただ疲れたいと思うことがあった。

 彷徨い続けていたガンプが現実に戻ると、偶然か必然か恐らく時間のマジックだろう。最愛の人が戻ってきた。時間は全てを解決する最強のメソッドだ。

 彼女と結婚して故郷の家で過ごす。しかし時間は冷酷でもある。ほどなく彼女は亡くなる。そしてガンプが子供をスクールバスで見送るシーンで終わる。羽根が舞い上がり時は終わらない。そのことを印象づける。

 「人生はチョコレートの箱、開けてみるまで分からない」実のところ32才まで、おそらく私は1人で生きていくことになる。そう思っていた。
そんな自分が3人の子供を持ち、育て、Noteをぼちぼち書いているような晩年を送っているとは想像もしていなかった。
現在、私の彷徨もいったん終わり、新しい羽(子供達の人生)が舞い上がった。今はそんなところだ。

この映画の題目
英題 トム・ハンクスのフォレスト・ガンプ
邦題 フォレスト・ガンプ 一期一会

 英語は主語、人を強調する。日本語では状況を強調。
この差は言語として相当大きい。おそらく日本人だとフォレスト・ガンプ と聞けば一期一会を頭に浮かべる。

日本語は素晴らしい。英語もいいけどまずは日本語を

日本語が世界を平和にするこれだけの理由 金谷武洋 
 この本で、日本語を外人に教えている金谷さんは、日本語の素晴らしさを幾つもあげている。
その一つに日本語は文脈で分かる事は言わなくていい、また書かない文章が特徴で、そしてそこが素晴らしいという。文脈を読む。行間を読む日本語。

 そう言えば、実際に聞くと話が面白い麻生さん。この爺さんは言葉が足らないと言われることが多い。
私の意見では、逆に日本語が上手いのではと思っている。
言葉尻を捕まえて記者が揚げ足を取るけど、その人の読解レベルを疑う。
それを見越して発言している節もある。
見える言葉から何でも断定してしまう。主語が消え、目的語も曖昧な日本語に黒白つけるのは難しい。

 日本語は個人の視点より、俯瞰した状況を説明する言葉でもある。
例とし以下がある。
「八月に友人と新幹線で京都へ行きました」という文章。
この文章は文脈で状況が分かれば。「八月に京都へ行ったよ」だけで通じる。あの手の方々はこの切り取り文章を見て言う。
「主語無い、誰と何時行った、歩いて行ったのか、不倫相手か? 曖昧だ。説明責任を果たせ。。。。はい論破!」

芭蕉の名言 「言い仰せて何かある」(=全部言ってしまったら何も残らない)
その通りだと思う。

 主語を強調しない、むしろ消す、鳥瞰図みたいな日本語。
俺が、私が、アンタが、貴方がを強調する言葉とは相容れないだろうと思う。

 ボストン・テランの名作
邦題「音もなく少女は」 状況が主題 
英語では「WOMAN」 人(女性)が主題
この日本語の題目だけで、想像が膨らむ。日本語の翻訳本の凄さがわかる。
おそらく日本語の上手い翻訳者の本は原本より面白いと思っている。それなのに原本を読めとか、理解出来ない。(個人の意見です、論破不要)



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